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たけじいの気まぐれブログ

記憶力減退爺さんの日記風備忘雑記録&フォト

ふっと思い出した故郷の言葉 No.82 「しゃばじゅう」

2022年12月28日 06時17分23秒 | 懐かしい故郷の方言

昭和20年代から30年代前半、幼少期を北陸の山村で過ごした爺さん、当時 聞いたり、話したりしていた言葉(方言)も、ほとんど思い出せなくなっている。根っからの地元民ではなかった家族の中で育ったこともあり、身に染み込んでいなかったからだと思う。それでも 時々 何かのきっかけで ふっと思い出すことがある。記憶曖昧、多少ニュアンスが違っていたり、勘違いだったりの可能性も有りだが またすっかり思い出せなくなる前に 爺さんの引き出し、ブログ・カテゴリー「懐かしい故郷の方言」に、書き留め置くことにしている。

当時の北陸の山村の実家の近くの風景
村落で自動車を保有している家等無かった時代、
当然、現在のような除雪車両等無く、

根雪になると、雪解け時期までは、雪上をかんじきで踏み固めた一本道を 
長靴でズブズブ埋まりながら往来、登校したものだった。


No.82 「しゃばじゅう」

「そこらじゅう」「辺り一面」といった意味合いで使ったり、聞いていたような気がする。

例えば

「しゃばじゅう やばしとるそい しょうしいわね」
(そこらじゅう、取り散らかしているので 恥ずかしいですよ)

「ゆんべ、あまもりして しゃばじゅう、ぬれたんぜね」
(昨夜、雨漏りして、辺り一面、濡れてしまいましたよ)


「やばしい」 ⇨ ふっと思い出した故郷の言葉 No.07

「しょうしい」 ⇨ ふっと思い出した故郷の言葉 No.04


魔女に一撃を食らわされないように・・・、注意、注意、

2022年12月27日 18時24分23秒 | 健康・病気

gooブログの「アクセス解析」の「アクセスされたページ」欄を、時々覗くことがあるが、随分前に書き込んだ古い記事で、すっかり忘れてしまっているような記事にアクセスが有ったりすると、「エッ?」と驚くと同時に、「そう言えば・・・・」、記憶が蘇り、つい、自分もクリックし、改めて読み返してみたりすることがある。
8年前の今日、2014年12月27日に書き込んでいた記事「魔女の一撃」にアクセスが有ったことに気が付き、「おお!、懐かしい!」・・、早速、コピペ、リメイクしてみた。
そんな古い記事を、クリックひとつで引っ張り出して読んだり、加筆、訂正、修正、コピペ、リメイク等が出来るのも、ブログのメリット。従来の紙ベースの日記、日誌、備忘録、懐古録、雑記録の類では、絶対考えられないことであり、ブログを始める前までは、想像も出来なかったことである。今、出来ることは、やってみる・・、長生きした分、その時代を少しでも享受したいものだ等と、つぶやきながら・・・。

加齢と共に最大限注意しているせいもあってか、最近数年間は、腰の「ギクッ!」に襲われることが無くなっているが、当時は、しょっちゅう発症、その度に治療していたもので、改めて自戒しようと思うところだ。特に、寒くて慌ただしい年末は、要注意。


振り返り記事
8年前、2014年12月27日
「魔女の一撃」

昨日、魔女に一撃を食らいました?。
事務所のファンヒーターに給油しようとし、屋外で満杯にした、9リットルタンクを持ち上げた瞬間、「ギクッ!」。
運動不足や筋肉疲労状態で、物を持ち上げたり、身体をよじったりした時、はずみで起きるぎっくり腰。「魔女の一撃」と呼ばれています。
痛みは軽かったものの、まさに、忘れた頃に発症する、「我が腰痛問題」。
「しまった!」と思っても、遅かりしで、一晩、マッサージ、柔軟体操を試みましたが症状変わらずです。
今朝、いつもの脊椎矯正T治療院に駆け込み、所要時間約45分の施術を受けてきました。毎度のこと、1回の治療で治ってしまうのは、当方にとっては、非常に有難く助かります。施術料7000円が高いのかどうかはともかく、何日も通院して治療すること等不可能な職業柄、こんな緊急事態を、即解消してくれるT治療院は、心強い存在なのです。
靴下を履く姿勢すらもつらかった症状が、今は正常に戻っています。
通常は、4~5日「安静」にしていれば、次第に軽くなっていく場合が多い等とされていますが、 何日も「安静」にして回復を待つ余裕も無し。主な年内業務は、終了したものの残務有り。明日28日は、正月用の野菜収穫等で畑に向かう予定ですし、餅つき、大掃除等々、年内は大忙しです。高齢者とて、「のーんびり、炬燵でテレビ」も良しですが、なにかと動き回っている方が性に有っているのかも知れません。2014年も残り少な。いろいろ有りましたが、なんとか乗り切れそうで、それが何よりもうれしいこと。来年も、今の体調を維持して行けるよう願うばかりです。


振り返り記事
9年前、2013年3月24日
「ギクッ・・腰痛襲来」

1昨日、突然、「ギクッ」。またまたと言うべきか、とうとうと言うべきか、急性腰痛症(ぎっくり腰)に襲われました。特別重い物を持ち上げようとした分けでもなく、車の運転席から降りようとして、ちょこっと体を捻じった瞬間のことです。確かに、このところ、畑仕事や長距離運転が続いて、腰部にも疲労が蓄積、十分注意していたつもりですがやってしまいました。

40代から、数年に1回の頻度で襲われている 私の腰痛問題。程度の差はあるものの、「ギクッ」襲来は、もう10数回にのぼります。その都度、脊椎矯正専門のT治療院に駆け込んで治してきましたが。

腰痛治療法は、いろいろ有りますが、私にとっては、そのT治療院で受ける約40分の矯正治療が最も有効で、ほとんどの場合、ほぼ1回で、正常に戻り、帰りは、ルンルンになります。長期間の通院治療等しておれない私には、T治療院は、有り難い存在なのです。今回は、動けなくなるような重症ではなく、座った姿勢から立ち上がる際、中腰になる瞬間に、「ギクッ」と痛みが走る程度でしたが、悪化させないためにもと、昨日、T治療院に行ってきました。今日は、一応、「貼るカイロ」で温めてはいますが、痛みは全く無くなり、普通に動けます。先程、醤油類等重い買い物のぶら下げて、スーパーから戻ってきたところです。

私の場合、「腰痛(ぎっくり腰)は、忘れた頃にやってくる」という感じではありますが、今後とも、腰痛との縁は切れそうにありません。「魔女の一撃」等とも称されているようですが、治ってしまうと、「喉元過ぎれば 熱さを忘れる」性分で、どうも油断してしまいがちです。

折りしも、今日の朝日新聞の1面に、厚生労働省の調査で、「腰痛で悩んでいる人は、全国で2800万人いる」という記事が載っていました。腰痛仲間がいかに多いか、納得してしまいます。


(ネットより拝借イラスト)

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好天に誘われて・・・、トリトリ(鳥撮り)散歩・ウオーキング

2022年12月27日 15時52分13秒 | 散歩・ウオーキング

当地、今日の最高気温は、13℃前後だったようだが、
雲ひとつ見えない快晴の1日、
風も弱く、体感的には、温かくも感じる、小春日和だった。
好天に誘われて、ちょこっと近くを歩いてきた。
  君の名は?鳥に尋ねつ爺散歩
伸脚、屈伸、背筋伸ばしを 繰り返しながら、
スマホの歩数計で、約11,000歩。

 

 

なんと、もう、梅が咲き始めており・・・

ジョウビタキのオス・・かな

コガモ?の群れ               コガモ?の日向ぼっこ?

 

第1カワセミ、メッケ!

第2カワセミ、メッケ!

ハクセキレイ?・・・かな

アオサギの日向ぼっこ?

おまけのおニャン子


2022年 たけじいのヘボ川柳 20選

2022年12月27日 06時40分41秒 | 川柳・俳句・五七五

数年前までは、まるで興味も関心もなかった川柳。ユーモアセンスゼロ、頭カチカチ、クソ真面目、まるで面白みの無い、川柳とは程遠い存在の爺さんが、ひょんなきっかけで、「面白そう?・・」等と思い込んでしまい、「川柳とは?」も分からないまま、単なる「五七五言葉並べ遊び」を始めたのも、やはりブログを始めてからのことだったが、5年前頃には、相互ブログフォロワー登録している方からのお声掛け、お誘いを受けて、恥も外聞もなく、拙句、駄句を、投句してしまうことにもなっている。結果、何も分からなかった川柳の世界をちょこっとでも覗かせていただき、多くのことを教わってきたような気がしているが、所詮 川柳の才能等無しの爺さん。スタンスは、出題されるお題に対して、締め切り日までに、錆びついた老脳をギシギシ動かし、言葉を捻り出し、五七五に紡ぐという過程が、ある種、脳トレになっているに違いない、ボケ防止に多少は役立つかも知れない等と勝手に思い込んで続けていることだと思っている。その出来不出来に関わらず、四苦八苦して?生んだ川柳(川柳もどき)、せっかく作った句を、忘れてしまわない内にブログに書き留め置くことにしているが、2022年も残り数日となり、今年1年間に作った川柳(川柳もどき)の中から、独断と偏見で自選した20句を、爺さんの自分自身の備忘録として、「ZUISO」にしてみた。

5年前、2017年1月16日に、高尾山で撮っていた「霜の花」


「ZUISO」
「2022年 たけじいのヘボ川柳 20選」
👇
こちら




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白菜収獲第1弾・・・他、

2022年12月26日 20時51分03秒 | 畑日誌(見様見真似の野菜作り)

 

当地、今日も、比較的穏やかな晴天の1日となり、
日中、陽だまりでは、体感的には温かくも有った。
12月26日、そろそろ、白菜漬けをしないと・・・、
ということで、午後になってから、Go To 畑! と相成った。

(1)ハクサイ(白菜)収獲、第1弾、
   とりあえず、正月に食する分の白菜漬け漬け用として、数個収獲、
   今年の白菜、ヨトウムシ等の害虫が皆無、固く締まってずっしりしており、
   近年では稀、上出来のような気がする。

(2)コマツナ(小松菜)収獲

年内に、もう一回、
ホウレンソウ、サニーレタス、ネギ、コカブ等、収獲に行くことにして、
今日は、引き上げてきた。


「冬の夜」

2022年12月25日 20時26分37秒 | 懐かしいあの曲

相互フォロワー登録しているある方のブログを拝見していて、これまですっかり脳裏から喪失していた童謡、「冬の夜」を思い出した。子供の頃、「音楽」で習ったのかどうかは分からないが、メロディー、歌詞共、なんとなく覚えているから不思議なことだと思う。
せっかく思い出しても、そのそばから、何を思い出したかも思い出せなくなる老脳、忘れない内に、ブログ・カテゴリー「懐かしいあの曲」に、書き留め置くことにする。

今更になってネットで調べてみると
「冬の夜」は、1912年(明治45年)の尋常小学校第三学年用に掲載された「尋常小学唱歌」だった。作詞者、作曲者は不明なのだそうだ。
明治時代後期の雪国、外は一面雪に覆われ、吹雪が吹き荒れる厳しい冬、暖房もラジオも無い時代、家族が、「囲炉裏」の周りに身を寄せ合って、夜の団欒の時を過ごしている情景を表現した歌である。
戦後、昭和30年代頃からは、日本の住宅環境は急速に変わり、「囲炉裏」の有る家等ほとんど無くなってしまっており、多分、「囲炉裏(いろり)って、何?」という世代が大多数になっていると思われるが、昭和20年代~30年代、北陸の山村で幼少期を過ごした爺さんには、かすかに「囲炉裏」の有る暮らしの記憶が有り、童謡「冬の夜」には、じーんとするものがある。
現代では、雪深い地方でも、冬中、雪に閉じ込めらる暮らしは無いが、昭和20年代、30年代頃の北陸の山村ではまだ、それに近い暮らしが有ったのだった。

12年前、2010年に、岐阜県の白川郷を訪れた時、撮っていた「囲炉裏」

「冬の夜」
作詞者・作曲者 不明、

燈火(ともしび)ちかく
衣縫ふ(きぬぬう)母は
春の遊びの 楽しさ語る
居並ぶ子どもは 指を折りつつ
日数(ひかず)かぞへて 喜び勇む
囲炉裏火(いろりび)は とろとろ
外は 吹雪

囲炉裏の端に 繩なふ父は
過ぎしいくさの 手柄を語る
(過ぎし昔の 思い出語る)
居並ぶ子供は ねむさを忘れて
耳を傾け こぶしを握る
囲炉裏火は とろとろ
外は 吹雪

「冬の夜」 ダーク・ダックス (YouTubeから共有)

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ロウバイが開花しており・・・、

2022年12月25日 17時09分41秒 | 散歩・ウオーキング

当地、今日は、やや雲が多かったものの、比較的穏やかな晴天で、
日中、陽だまりでは、ポカポカする程だった。
午前中は、あっちだこっちだ、買い出しで終わってしまったが、
午後、好天に誘われ、その気になりちょこっと歩いてきた。
手袋要らず、調子に乗って、スマホの歩数計で、約9,800歩。

昨夜、プールで、泳友の女性Kさんから、「あそこの公園のロウバイ、咲いてるよ・・・」と耳打ちされ、「エッ!、もう・・?」だったが、早速、今日、立ち寄ってみた。
都立陵南公園の一角に植樹されているロウバイ(ソシンロウバイ)の1本だが
確かに咲き始めており、
もしかしたら、12月にロウバイ開花をみるのは、今回、初めて?かも知れない。


爺さんの備忘録的花図鑑「ロウバイ(蝋梅)」
👇
こちら


スイセン

 

ハボタン                       ユズリハ

 

タカサゴユリの実の殻             キンカン?・・・かな

 

アオサギ

夕焼け空


由良の門を 渡る舟人 かぢを絶え ゆくへも知らぬ 恋の道かな

2022年12月25日 09時42分16秒 | 懐かしい小倉百人一首

足腰大丈夫な内に、出来る限り不要雑物整理をしようと決心してから久しいが、正直あまり捗っていない。書棚や天袋、押入れ等に詰め込まれていた古い書籍や辞書、百科事典等の類も、ここ数年間で大胆に整理処分してきたつもりだが、中には、「これ、面白そう?」等と目に止まり、残してしまったものも結構有る。その中のひとつに、多分、長男か次男かが、学生時代に使っていたものに違いない、小町谷照彦著 文英堂の「小倉百人一首」(解説本・参考書)が有る。パラパラとページを捲ってみたところ、なかなか詳しく、分かりやすく、決して、「今更 向学心?」なーんてものではなく、子供の頃、作者や歌意も分からないまま、「けふ、けふ、けふ・・」「なほ、なほ、なほ・・・」等と、正月になると必ず家族でやっていた「百人一首かるた取り」を思い出して懐かしくなってしまったからで、今更になって、「へー!、そういう歌だったのか・・」、目から鱗・・になっているところだ。
「小倉百人一首」は、奈良時代から鎌倉時代初期までの百人の歌人の歌を、藤原定家の美意識により選び抜かれた秀歌であるが、時代が変わっても、日本人の心情が呼び起こされるような気がしてくる。
ブログネタに?、頭の体操に?、いいかも知れない等と思い込んでしまい、昨年、一昨年、「春」「夏」「秋」「冬」季節を詠んだ歌を取り上げて、ブログに書き留めたが、今回は、最も数の多い、「恋」を詠んだ歌を取り上げて、順不同、書き留めてみることにした。


百人一首で「恋」を詠んだ歌 その27

由良の門を 渡る舟人 かぢを絶え
ゆくへも知らぬ 恋の道かな

出典
新古今集(巻十一)

歌番号
46

作者
曽禰好忠

歌意
(潮の流れの速い)由良の瀬戸を漕ぎ渡っていく舟乗り(船頭)が
楫(かじ)を失って、行く先も分からずに漂うように
これから先、どうしてよいか分からない(頼りない)恋の
行く末であることよ。

注釈
「由良(ゆら)の門(と)」の「由良」は、
和歌山県、兵庫県、京都府に有る地名だが、
作者の任地(丹後)から見て、
京都府の由良川が若狭湾に流れ込む辺りの地名と考えられる。
「門(と)」は、瀬戸、海峡・川口のこと。
「舟人かぢを絶え」=「舟乗り(船頭)が楫(かじ)を速い流れに
奪われた、失った」の意。
「かぢ」=楫(かじ)、櫓(ろ)、櫂(かい)のこと。
「ゆくへも知らぬ恋の道かな」=「頼りない、恋のなりゆき」の意。
「ゆくへ(行方)」=行き先。
「恋の道」=恋のなりゆき。
「道」は、「ゆくへ(行方)」「渡る」の縁語。


曽禰好忠(そねのよしただ)

10世紀後半、平安時代の歌人。
時流に反抗する清新進歩的な歌風で、
和歌革新の先駆となった人物。
丹後掾(たんごじょう)であったことから、
曽丹後(そたんご)、曽丹(そたん)等と、呼ばれていた。


参照・引用
小町谷照彦著「小倉百人一首」(文英堂)


(つづく)


2022年泳ぎ納め、高齢者と水泳

2022年12月24日 21時37分41秒 | スイミング

当地、今日も、快晴だった。
カラカラ天気が続いている。
最低気温、0℃前後、最高気温、8℃前後だったようだが、
昨日程の強風は無く、
日中は、体感的には若干寒さが緩んだ感じさえした。
夕方からはまた、ぐーんと冷え込んできたが。
(冴えた夜空に星がきれいに見える。放射冷却?)
寒!、寒!
足、痛!、腰、痛!、体調もイマイチ・・・、
炬燵に入ってしまえば、おしまい・・・、
になるところだったが、
1日中、ほとんど動いていないし・・、
いかん!、いかん!、
こんな日こそ、泳いでくるべし・・・、
やおら重い腰を上げ、
19時~20時のスイミングクラブ成人クラスレッスンに出席、
先程帰って来たところだ。



今日は、12月第4土曜日、
例年通り、12月27日から1月3日までは、年末年始休館になるため 
今日が、2022年最後のレッスン日。泳ぎ納めになる。
今日は、若手のH指導員によるバタフライ中心のレッスンだったが、
毎度のこと、基本、基本の繰り返し、
特に、ストロークの姿勢をチェックされた。
M4グループの今日の出席者は、
泳ぎ納めとあって多く、女性10人、男性3人。
例によって、レッスン終了後も居残り、
疲れを知らない女性陣(60代?~80代?のおば(あ)ちゃんばかり?だが)の
後ろにくっついて、
5秒間隔スタート、クロール 50m✕10本
4種目 25m✕4本
なんとか泳ぎ切って引き上げてきた。
文字通り、裸の付き合い?、
細く長く続いている泳友たち、
「来年もよろしく・・」を、
言い合って退散した。

若い頃からの持病の腰痛対策、リハビリ的運動と決め込んで
続けているスイミング、 
脊椎矯正士にすすめられ始めてからかれこれ30年にもなるが、
その効果がどれほどのものか等、数値に出せるものでないにしろ、
泳いでくれば、腰の調子もそれなりに良い。
元々、運動・スポーツ苦手な人間が、ここまで続けてこられたのは、
高齢者対象の格安プール施設が近くに有ったこと、
無理せず、マイペースで出来る運動であること、
和気藹々の仲間がいること、
自分の性分に合った?運動、お似合い?の運動だったこと、
等々からだと思っている。


高齢者にこそ、安心で、効果的な、運動、水泳
(参照)
👇
「カラダづくりのサイエンス・水泳で健康づくり」


 


「ホワイト・クリスマス(White Christmas)」

2022年12月24日 09時43分02秒 | 懐かしいあの曲

(2022年12月24日、NHKテレビ「天気予報」から拝借)

ここ数日、日本列島全体が強烈な寒波に襲われ、北日本の日本海側や、特に北陸地方では、この時期としては記録的な大雪になっているようで、様々な被害や交通混乱が発生している。雪深い北陸の山村育ちの爺さん、故郷の積雪風景に思いを馳せながら、伝わってくる情報に、いちいち反応してしまっている。
今日は、12月24日。
12月24日というと、戦前生まれ、北陸の山村育ち、仏教徒であっても、子供の頃から、「クリスマス・イヴ」という、なんとなくうれしくなる日だったように思う。
さらに、クリスマスにちなんだ、数多の「クリスマス・ソング」に、心浮かれていたものだった。
若い頃、毎年、この時期になると、よく聴いていたレコード盤(ドーナツ盤)に、ビング・クロスビー(Bing Crosby)「クロスビーのクリスマス」(全4曲)がある。
「White Christmas」「Silent Night」「Jingle Bells」「Ave Maria」が、収録されているが、やはり、「White Christmas」が、最も良く聴いていた曲だ。ジャケットは 色褪せ、ボロボロ、溝もすり減って、音質も良くないが、懐しさだけは変わらない。

             

多分、昭和30年代~40年代頃のものだと思われる古いレコード盤だが、当時は、おいそれとレコード盤等買えなかった時代、数える程しかないレコード盤の内の1枚で、CD時代が到来しても なかなか始末出来ずに、ダンボール箱に詰め込んで押入れに仕舞い込んでいたものを、つい数年前から、引っ張り出して、時々聴いてみるようになっている。

今更になってネットで調べてみると
「ホワイト・クリスマス(White Christmas)」は、1940年(昭和15年)頃、アーヴィング・バーリンが作詞・作曲したクリスマスソングで、1942年(昭和17年)に、ビング・クロスビー(Bing Crosby)が録音した「ホワイト・クリスマス」が、映画「スイング・ホテル」で使われ、ラジオの人気番組で、たちまちチャートの首位に立ったという楽曲だった。
その後、ビング・クロスビーの「ホワイト・クリスマス」シングル盤は、推定5,000万枚以上の売上げがあったのだそうで、シングル盤としては、世界最高なのだという。
映画「スイング・ホテル」は、戦時中の作品であり、日本で公開されたのは、戦後1947年(昭和22年)になってからだったというが、実際に見たのは、ずいぶん後年になってから、テレビの映画番組だったような気がする。日本でも、数多の歌手やグループ、楽団が、「ホワイト・クリスマス」をカヴァー、クリスマスソングの定番中の定番になっていると思う。

ビング・クロスビー(Bing Crosby)の「ホワイト・クリスマス(White Christmas)」 (YouTubeから共有)
Bing Crosby - White Christmas [Lyrics

マーティー・ゴールド児童合唱団の「とんで来たサンタ・クロース(?Donde Esta Santa Claus?)」(YouTubeから共有)

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