たけじいの気まぐれブログ

記憶力減退爺さんの日記風備忘雑記録&フォト

学生寮の記憶・その2

2022年03月08日 14時29分12秒 | M男のあの日あの頃(the good old days)

◯寮の様子
昭和30年代中頃、M男が、北陸の山村の親元を離れ、地方都市の学生寮に入寮し、生まれて初めて外で集団生活を始めた頃の話である。最初の1年間を過ごした学生寮は、第二次世界大戦の戦火を免れた、旧制高校時代からの古い木造平屋建(大正後期から昭和初期の建物)だった。記憶は曖昧になっているが、寮舎の入り口・玄関は、大きな引き戸で、入ると広い土間が有り、向かって右、中、左、並列に3棟が並んでいた。各棟は、「南寮」「中寮」「北寮」と呼ばれていたような気がするが、その3棟の奥には、さらに2棟が有って、「東寮」「西寮」と呼ばれていたと思う。いくつか有った「寮歌」の一つの歌詞の一節に、「三寮の窓、漏るる灯の・・・」が有り、おそらく、創立時には、「南寮」「中寮」「北寮」の3寮だったものが、後に、「東寮」「西寮」2寮が増設され、全部で5棟の寮になったということだったと思う。各寮棟に入るには、渡り廊下の土間から高い敷居を上がり、学校の廊下のような板張りの廊下を伝っていく造りで、もしかしたら、創立時には、上履きに履き替えて、あるいは裸足で、出入りしていたのではないかと推定される建物様式だったが、入寮当時は、土足で廊下を進み、各部屋まで入れるようになっていた。

◯寮歌の練習
入寮してまもなくのこと、新入寮生は、先輩寮生から、たびたび、寮の食堂へ呼び出された。寮には、旧制高校時代から脈々と受け継がれた「寮歌」が何曲か有って、それを教え込むためのものだったが、もちろん、譜面も何も無し、先輩が歌うを聞いて真似するだけ、謄写版で刷ったような歌詞も、もらったようなもらわなかったような。何人かの先輩が代わる代わる担当していたような気がするが、音痴な先輩、高温が出ない先輩、はっきりしない先輩、微妙に歌い方が違ったりして、曖昧な部分多々有りだったが、そんなことにはまるで頓着しない風で、とにかく「覚えろ!」だった。

◯新入寮生歓迎コンパ
4月も半ば過ぎてからだったと思うが、寮の食堂で「新入寮生歓迎コンパ」が行われた。寮の行事の一つで、寮生全員が参加、長テーブルを宴会型に並べ替えただけの会場で、夕食に毛が生えたようなささやかな料理が出され、アルコールも出たのだろう。寮には「自治会」が有って、先輩寮生が寮長以下、役員になっていたが、居並ぶ顔ぶれを見て、M等は、大人と子供の違い程を感じたものだった。アトラクションの一部に、先輩寮生が中心メンバーとなっていたジャズバンド演奏も有り、感動したりもしたが、宴たけなわともなると、寮生全員が蛮声を張り上げて、次々と「寮歌」の大合唱となり、その迫力に圧倒されると同時に、気分が高揚したものだった。当時でも、軟派(なんぱ)を張る寮生もかなりいたように思うが、いざ、集まり、飲み、肩を組み合い、「寮歌」を大合唱する段になると、たちまち、「バンカラ」「豪気」一色になってしまうのだった。
平成の時代になってからのこと、そんな若かりし頃にタイムスリップし、高齢者が、蛮声を張り上げる「全国寮歌祭」なるものが催されていたこと知ったが、その思いが分かる気がしたものだ。

旧制高校時代の「バンカラ」「豪気」が、まだまだ漂っていた寮で、ど田舎で育った初なM男が、大きなカルチャーショックを受けながら、むしろ、これを歓迎、日々、刺激的で、「これが 青春!」等と、意気に感じながら過ごした日々のことである。寮歌の何曲かは、未だに、不確かだが歌えるから不思議だ。

(ネットから拝借イラスト)

(つづく) 

 


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