今日は、厚生労働省が定める「暫定基準値」について一言。
まず、厚労省の定める暫定基準値について一覧してみます。
水 放射性ヨウ素300(乳児は100)ベクレル/㎏ 放射性セシウム200ベクレル/kg
参考 アメリカの基準値 170/1200 注 左が放射性ヨウ素、右が放射性セシウム
注釈 WHO基準は、平常時で放射性ヨウ素10ベクレル/リットル
なお、水の場合は、4℃で1リットル=1000㎤=1kgとなるのは小学高学年なら知っていてほしい。
乳製品 放射性ヨウ素300(乳児は100)ベクレル/kg 放射性セシウム200ベクレル/kg
参考 アメリカの基準値 170/1200 注 左が放射性ヨウ素、右が放射性セシウム
注釈 牛乳に含まれる放射性物質はバターやチーズに加工するとほとんど除去される。ただし、加工されない残りの部分には放射性物質のほとんどが凝縮残留する。
穀類 放射性ヨウ素基準値なし 放射性セシウム500ベクレル/kg
参考 アメリカの基準値 170/1200 注 左が放射性ヨウ素、右が放射性セシウム
注釈 放射性ヨウ素に基準値がないのは、食べる部分に直接放射性ヨウ素が付着しないから。セシウムの場合は、根から吸収され、籾や胚芽には特に集まりやすいとされる。なお、コメについては、精米することで50%以上が除洗される。
魚介類 放射性ヨウ素2000ベクレル/kg 放射性セシウム500ベクレル/kg
参考 アメリカの基準値 170/1200 注 左が放射性ヨウ素、右が放射性セシウム
注釈 放射性ヨウ素の基準値は、野菜類の基準を援用したもの。魚の場合、放射性物質は内臓に集まる。
野菜 放射性ヨウ素2000ベクレル/kg 放射性セシウム500ベクレル/kg
参考 アメリカの基準値 170/1200 注 左が放射性ヨウ素、右が放射性セシウム
注釈 放射性ヨウ素は空気中から沈着するので葉菜が特に注意を要する。葉菜は果菜類(キュウリ・ナス)よりも土壌からの放射性ヨウ素を取り込みやすいとされる。除洗にはあくぬきが有効で50%以上は除去できるとされる。なお、野菜でも根菜(ゴボウ、芋)については、放射性ヨウ素の基準値はない。食べる部分に直接放射性ヨウ素が付着しないから。
肉・卵など 放射性ヨウ素基準値なし 放射性セシウム500ベクレル/kg
参考 アメリカの基準値 170/1200 注 左が放射性ヨウ素、右が放射性セシウム
注釈 牛肉以外の肉について、放射性ヨウ素に基準値がないのは、汚染レベルが低いと見られているため。
注釈 味噌や豆腐などの加工食品については、基準値がない。茶葉についてはも卵と同じ基準である。
さて、厚労省の検査の要請に対しては、業界は反対しています。5月中旬には、神奈川県の茶畑で暫定基準値を超える放射性セシウムが検出されました。場所は福島第1原発から300㌔も離れています。深刻なのは、茶の新芽からの検出だったということです。新芽から検出したということは、土壌から吸収したのではないかの疑いがあるからです。静岡県が独自に検査したところ、~製茶した茶葉10グラムを90度の湯430ミリリットルに60秒浸して抽出~清水区では、生茶葉の放射性セシウムが139ベクレル、飲用茶は11ベクレルであったということです。生茶葉から乾燥させて荒茶になると約5分の一に減ります。つまり、それだけ高濃度になります。神奈川県で生茶葉から570ベクレルの放射性セシウムが検出されました。南足柄市の荒茶を調べたところ3000ベクレルもの放射性セシウムが検出されました。ただ、荒茶はそのまま消費者の口に入ることはなく、加工されますので、野菜類とはやや事情を異にします。それにしても、推定では店頭にならぶ茶葉には6000ベクレルもの放射性セシウムが含まれる計算にはなります。
現在福島県からの農産物などからの基準値超の検出が多いのは当然である。福島県では他の県よりも検査する機会が多いこともある。空から降ってきた放射性物質、海中への放射性物質の流出
により、被害はますます広がりつつある。
さて、以上の検討においては、厚労省の掲げる基準値を前提としてその攻防という視点から見てきました。しかし、そもそも暫定基準値なるものはいったい何なのか、信用できる基準なのかという疑問が当然あるはずです。実は、福島第1原発の事故が起きる前までは、国産の食品、水などに放射性物質の基準はありませんでした。なにしろ国も東電も「事故は絶対に起きない」という想定でなにもしてこなかったのですから。震災から6日経ってようやく原子力安全委員会の防災指針の中にあった数値を急遽援用したものです。
しかし、国の定める暫定基準値は、今の福島の実情では、ほとんどむなしいくらいに無意味な基準値なのです。国の暫定基準値の前提には、放射性物質が一度に放出されてしまった場合という限定があるのです。たとえば、事故直後に大量の放射性物質が放出されましたが、それでもうすっかり放出が収まり、そのときにたとえば300ベクレルの濃度の水を飲む、という前提です。消費者はその300ベクレルの水を飲み続けるという前提です。しかし、福島の現実はそうではない。今も、継続的に毎日高濃度の放射性物質が放出され続けているわけです。だから、300ベクレルの濃度のままということはなく、日々蓄積されているはずです。福島から300㌔内外の日本人は、今低線量の放射能をこれからどのくらいになるのか想像もつかない期間被曝し続けることになるのです。そうなると国が出している暫定基準値は全く参考にはならないはすです。あるいはアメリカやそれよりも緩いとされるEUの基準値にしても参考にはならない。なにしろ1回の放出を想定した基準なのですから。さらには、あの国際放射線防護委員会(ICRP)の92年勧告の根拠が疑わしいことは「草枕」でも再三指摘してきたとおりです。
私たち国民は長く自民党の原発推進政策を見て見ぬふりをしてきたと思うのです。景気さえよければ自民党が何をやっても大目に見てきたとおもうのです。官僚が特殊法人をいくらでも作り、自己保身のために税金を泉のように無駄遣いしても私たち国民は全く無関心ではなかったでしょうか。物質生活を謳歌し、海外旅行をし、日本人は金持ちだと世界中でもてはやされていい気になっていたのではないでしょうか。巷には政治に無関心の若者、いや若者どころかいい年をした大人たちがたくさんいた。国民年金が破綻寸前になるほど杜撰な社会保険庁の例をあげるまでもなく、官僚はいつしか仕事もしないでいかに楽をして税金をかすめとるかに腐心するようになってしまいました。自民党はさしたる政策もなく、だれが総理になるかだけのために日々明け暮れたのです。前提には利権の争奪しかなかったのですからひどいものです。そして脳天気な原発推進の国会議員たちは、事故の起きることなど露にも想像することもなく、いや貧困な想像力しかもたない頭の悪い人たちとしかおもえないのですが、原発利権に満喫しそういう世が永遠に続くと錯覚したのです。「事故は必ず起きる」。これは真理でした。だれがどんなに絶対安全を吹聴してまわろうとも、「事故は必ず起きる」し、実際に起きたのです。あの無能な国のパンフレットをそのままに判決文にするような裁判官たちにも、原発利権で我が世の春を謳歌する政治家、学者、官僚、電力会社の面々にも、「自然」は「事故が起きる」というあたりまえのことをあたりまえに「証明」してみせたのです。そしてひとたび事故が起きれば、それは取り返しのつかない、そうもはやどうにもできない「死」のように、惨状を突きつけてきたのです。私たちは今そのまっただ中にいます。
まず、厚労省の定める暫定基準値について一覧してみます。
水 放射性ヨウ素300(乳児は100)ベクレル/㎏ 放射性セシウム200ベクレル/kg
参考 アメリカの基準値 170/1200 注 左が放射性ヨウ素、右が放射性セシウム
注釈 WHO基準は、平常時で放射性ヨウ素10ベクレル/リットル
なお、水の場合は、4℃で1リットル=1000㎤=1kgとなるのは小学高学年なら知っていてほしい。
乳製品 放射性ヨウ素300(乳児は100)ベクレル/kg 放射性セシウム200ベクレル/kg
参考 アメリカの基準値 170/1200 注 左が放射性ヨウ素、右が放射性セシウム
注釈 牛乳に含まれる放射性物質はバターやチーズに加工するとほとんど除去される。ただし、加工されない残りの部分には放射性物質のほとんどが凝縮残留する。
穀類 放射性ヨウ素基準値なし 放射性セシウム500ベクレル/kg
参考 アメリカの基準値 170/1200 注 左が放射性ヨウ素、右が放射性セシウム
注釈 放射性ヨウ素に基準値がないのは、食べる部分に直接放射性ヨウ素が付着しないから。セシウムの場合は、根から吸収され、籾や胚芽には特に集まりやすいとされる。なお、コメについては、精米することで50%以上が除洗される。
魚介類 放射性ヨウ素2000ベクレル/kg 放射性セシウム500ベクレル/kg
参考 アメリカの基準値 170/1200 注 左が放射性ヨウ素、右が放射性セシウム
注釈 放射性ヨウ素の基準値は、野菜類の基準を援用したもの。魚の場合、放射性物質は内臓に集まる。
野菜 放射性ヨウ素2000ベクレル/kg 放射性セシウム500ベクレル/kg
参考 アメリカの基準値 170/1200 注 左が放射性ヨウ素、右が放射性セシウム
注釈 放射性ヨウ素は空気中から沈着するので葉菜が特に注意を要する。葉菜は果菜類(キュウリ・ナス)よりも土壌からの放射性ヨウ素を取り込みやすいとされる。除洗にはあくぬきが有効で50%以上は除去できるとされる。なお、野菜でも根菜(ゴボウ、芋)については、放射性ヨウ素の基準値はない。食べる部分に直接放射性ヨウ素が付着しないから。
肉・卵など 放射性ヨウ素基準値なし 放射性セシウム500ベクレル/kg
参考 アメリカの基準値 170/1200 注 左が放射性ヨウ素、右が放射性セシウム
注釈 牛肉以外の肉について、放射性ヨウ素に基準値がないのは、汚染レベルが低いと見られているため。
注釈 味噌や豆腐などの加工食品については、基準値がない。茶葉についてはも卵と同じ基準である。
さて、厚労省の検査の要請に対しては、業界は反対しています。5月中旬には、神奈川県の茶畑で暫定基準値を超える放射性セシウムが検出されました。場所は福島第1原発から300㌔も離れています。深刻なのは、茶の新芽からの検出だったということです。新芽から検出したということは、土壌から吸収したのではないかの疑いがあるからです。静岡県が独自に検査したところ、~製茶した茶葉10グラムを90度の湯430ミリリットルに60秒浸して抽出~清水区では、生茶葉の放射性セシウムが139ベクレル、飲用茶は11ベクレルであったということです。生茶葉から乾燥させて荒茶になると約5分の一に減ります。つまり、それだけ高濃度になります。神奈川県で生茶葉から570ベクレルの放射性セシウムが検出されました。南足柄市の荒茶を調べたところ3000ベクレルもの放射性セシウムが検出されました。ただ、荒茶はそのまま消費者の口に入ることはなく、加工されますので、野菜類とはやや事情を異にします。それにしても、推定では店頭にならぶ茶葉には6000ベクレルもの放射性セシウムが含まれる計算にはなります。
現在福島県からの農産物などからの基準値超の検出が多いのは当然である。福島県では他の県よりも検査する機会が多いこともある。空から降ってきた放射性物質、海中への放射性物質の流出
により、被害はますます広がりつつある。
さて、以上の検討においては、厚労省の掲げる基準値を前提としてその攻防という視点から見てきました。しかし、そもそも暫定基準値なるものはいったい何なのか、信用できる基準なのかという疑問が当然あるはずです。実は、福島第1原発の事故が起きる前までは、国産の食品、水などに放射性物質の基準はありませんでした。なにしろ国も東電も「事故は絶対に起きない」という想定でなにもしてこなかったのですから。震災から6日経ってようやく原子力安全委員会の防災指針の中にあった数値を急遽援用したものです。
しかし、国の定める暫定基準値は、今の福島の実情では、ほとんどむなしいくらいに無意味な基準値なのです。国の暫定基準値の前提には、放射性物質が一度に放出されてしまった場合という限定があるのです。たとえば、事故直後に大量の放射性物質が放出されましたが、それでもうすっかり放出が収まり、そのときにたとえば300ベクレルの濃度の水を飲む、という前提です。消費者はその300ベクレルの水を飲み続けるという前提です。しかし、福島の現実はそうではない。今も、継続的に毎日高濃度の放射性物質が放出され続けているわけです。だから、300ベクレルの濃度のままということはなく、日々蓄積されているはずです。福島から300㌔内外の日本人は、今低線量の放射能をこれからどのくらいになるのか想像もつかない期間被曝し続けることになるのです。そうなると国が出している暫定基準値は全く参考にはならないはすです。あるいはアメリカやそれよりも緩いとされるEUの基準値にしても参考にはならない。なにしろ1回の放出を想定した基準なのですから。さらには、あの国際放射線防護委員会(ICRP)の92年勧告の根拠が疑わしいことは「草枕」でも再三指摘してきたとおりです。
私たち国民は長く自民党の原発推進政策を見て見ぬふりをしてきたと思うのです。景気さえよければ自民党が何をやっても大目に見てきたとおもうのです。官僚が特殊法人をいくらでも作り、自己保身のために税金を泉のように無駄遣いしても私たち国民は全く無関心ではなかったでしょうか。物質生活を謳歌し、海外旅行をし、日本人は金持ちだと世界中でもてはやされていい気になっていたのではないでしょうか。巷には政治に無関心の若者、いや若者どころかいい年をした大人たちがたくさんいた。国民年金が破綻寸前になるほど杜撰な社会保険庁の例をあげるまでもなく、官僚はいつしか仕事もしないでいかに楽をして税金をかすめとるかに腐心するようになってしまいました。自民党はさしたる政策もなく、だれが総理になるかだけのために日々明け暮れたのです。前提には利権の争奪しかなかったのですからひどいものです。そして脳天気な原発推進の国会議員たちは、事故の起きることなど露にも想像することもなく、いや貧困な想像力しかもたない頭の悪い人たちとしかおもえないのですが、原発利権に満喫しそういう世が永遠に続くと錯覚したのです。「事故は必ず起きる」。これは真理でした。だれがどんなに絶対安全を吹聴してまわろうとも、「事故は必ず起きる」し、実際に起きたのです。あの無能な国のパンフレットをそのままに判決文にするような裁判官たちにも、原発利権で我が世の春を謳歌する政治家、学者、官僚、電力会社の面々にも、「自然」は「事故が起きる」というあたりまえのことをあたりまえに「証明」してみせたのです。そしてひとたび事故が起きれば、それは取り返しのつかない、そうもはやどうにもできない「死」のように、惨状を突きつけてきたのです。私たちは今そのまっただ中にいます。