おはようございます。 本日は指導日です。 いよいよ10月も後半突入です。 秋は一気に深まり、あっという間に試験の日がやってきます。 わたしはいつも言うのですが、ほんとうに勉強できるのは、8月までです。それまでに勉強だけにひたすら勉強だけに時間を捧げてきた者のみが、9月以降の勉強をほんとうに充実した、意味あるものにできるのです。 それまでに嫌と言うほど勉強してきた者には次のより高次の手が打てるのです。 ところが、試験を甘く見て、適当にしかやってこなかった、さまざまなことを勉強に優先させてきた者は、秋になっても、それまでにやり残した、今からやってももう遅いというようなことを今更ながらにやるしかないのですから、それだけ見ても8月までの勉強がいかに大切かわかろうというものです。ところが、悲しいかな、あの時にはいくら言っても通じない、わからない親子が多いわけです。かつてお盆に1週間遠い田舎に法事ということで親に嫌々ながら連れて行かれた小6がいましたけど、あるいは去年の小6でしたか、ピアノの発表会に向けて頑張っていた小6がいましたけど、8月までだと、まだそういうことをやる余裕があると勘違いされている親御さんが多いものです。 例えば、今年桜修館合格した女子の8月までの勉強量はわたしの推測する限り比類のないものでした。彼女は早稲田進学会の模試全回で上位に名前をのせています。彼女はすでに10月にはわたしに合格を確信させています。 8月までにがんばるというのはそういうことなのです。
かつて平成22年に桜修館に合格した杉山太一君は、なんと小6の6月から指導を始めた子でしたが、11月にはわたしは合格を確信し、あのときは彼に「あなたは合格します」と断言したことを覚えています。かつては土日は指導はなかったのですが、当時は土日は1日10時間勉強するというのが竹の会の指示でした。彼はなんとある日曜日には17時間勉強したと申告しました。それを裏付けるのが提出した課題の量でした。当時は過去問合格法が主流でしたが、彼は、あるとき、土日の課題として、銀本(過去問)を100ページほど持ち帰り、わたしがコピーしながら、「ほんとうに、やれるの?」と疑ったくらいですが、月曜日にはきっちりとやって出してきました。書道7段ということですが、文字は丁寧で読みやすく、決して急いで乱雑にやった形跡もありません。すべての問いに丁寧に答えていました。その正解率は高く驚きでした。添削は大変な作業でしたが、わたしもがんばって何時間かかけて添削しました。
彼の勉強ぶりは他の竹の会の小5などにはとてもいい影響を与えたと思います。 後輩たちが先輩の姿を追う、そういういい形があったのです。
平成23年に小石川に合格した男子は、小4の8月入会でしたが、彼が小5になったときの6月に杉山太一君は入会してきたのです。竹の会ではあたりまえの光景なのですが、このときも杉山君の算数の力は初歩的な割合を理解した程度で、件の小5がすでに難解な私立の割合の問題を解けるまでに達していたのと比べると、かなり劣るものでした。わたしは杉山君が、「わからない」と持ってくると、その小5に説明させました。ところが。杉山君はまたすぐに理解するのですか、丁寧に頭を下げてその小5に「ありがとうございます」とやるわけです。が、かれの実行力は遂には、その小5さえも尊敬の対象とするようになったことがわかりました。 今年の竹の会の小6には小5のときから、勉強になかなか向かわないで、指導室などで用もないのに時間を潰す子たちが多々いまして、正直どうしたものかと悩んだものです。 去年は桜修館に合格した女子の姿を見てきたと思うのに、一向に響かないようでした。まるで別世界の出来事とでも考えていたのでしょうか。
それでも時間は限られているものだということを今知るときがきたのだと思います。
小学生にはときおり、いやよくという子もいますけど、ため息ばかりついている子がいます。
ため息というのは、退屈だという心のメッセージでしょ。そう、勉強が面白くないと、本音が出ているわけです。
中学生ならともかく、小学生でため息はまずいかもしれません。 それは勉強嫌いということの徴表かもしれないからです。
勉強が面白くなければ、勉強とはどうしても距離を置きたがる傾向が強くなると思います。 勉強を実行しないのは、面白くないからです。背景には、いくら考えても「わからない」といったことがあるのかもしれません。勉強というのは、考えて「わかった」ということが、「おもしろい」という脳に報償を与え、そこからさらにその喜びを求めて「考える」という連鎖になるからです。
勉強が不活発な子というのは、勉強が「わからない」、それで「おもしろくない」というところから来ているのではないか。 他方で、周りでは「この子はできる」と思われていたりすると、その齟齬で悩むことになる。全ての子が勉強に適性を持っているわけではない。それはしかたない、自然界の摂理です。
竹の会は昭和60年10月に開設したときから、まず「考える」ということを指導してきました。当時は、授業形式でしたが、それが次第に「考える」形態に変わっていったと思います。
オリジナルのテキストを作ったり、プリントを作る、ということは、やってきましたが、今のようなレジュメによる思考開発という完成された指導形態になるまでにはずいぶんと時間がかかりました。
できない子というのは、まず「読み取る」能力が劣る、ということはわかっていました。読んでも理解できないというのは、将来中学、高校とまず読んで理解することが基本であることからすると致命的な欠陥です。そういう子に親は、わかりやすい先生、家庭教師などを求めて塾をあてがうわけです。 開発しなければならない能力を矯めて、それを前提に、わかりやすい講師のいる塾、読まなくてもわかりやすく授業してくれる塾の講師を探すわけです。
読み取ったら、次には、読み取ったことを問題を解くことで確かめることが必要です。 ここで時間を使って考えることをやらないでどうするのか。ここですぐにわかりやすく教えることの得意な先生に説明させてどうするのか。ここでも本来育てなければならない思考という力を抹殺することが行われるわけです。
今のような大手の横並びの授業方式では、まず思考は育たない。もともと知能の高い子は、その知能で伸びていき、もともと知能のない子は、その授業で抹殺されていくだけのことです。そして大半の子どもたちが知能のそれほど高くない子たちであるということです。 例えば、学校で、「よくできる」が8割ほどある子でも、竹の会で診た経験からは普通です。ただし、その程度の普通なら、竹の会で1年も鍛えれば、トップクラスの子に変貌させることはできます。竹の会で指導すればということです。
もうほんとうによく考えた、何時間も考えた、そういうタイミングでわたしの解説レジュメを読めばいい。 わたしの解説レジュメは読めばこんなにもわかりやすいのかというほど、涙の出るほど、わかりやすい。みなそういう。わたしの解説レジュメを読んだ子たちは99%「なるほど」という。それくらいかりやすい。 考えて考えて苦しんだ挙げ句に見た、解説に、砂漠の中のオアシスを見る思いだろう。
竹の会の解説は、みなわたしが考え考え問題を解いた過程を忠実にふみながら、こどもたちがつまりそうなところを、そうかゆいところに手の届くように、配慮して、作ったわたしの作品、いや芸術品である。 わたしは「みくに出版の」の過去問集を愛用している。あれのいいところは、紙が透けて見えないこと、解答が「答え」のみで解説がないこと、です。解説がないから自由にわたしは羽ばたける。
わたしの世界、わたしだけの世界を作り上げることができる。
声の教育社のは嫌いだ。解説を売りにしているようだけど、わたしには無用の長物である。紙が薄くて裏の印刷が透けている。最悪だ。解説だって、難解で、徒に難しく解いたものが多すぎる。わたしは高校入試の過去問でいつもわたしの作った解説と声の教育社の長々しい解答を比べて、生徒に「いい解答」というもの、「いい解き方」というものを指導してきた。反面教師として利用してきた。悪い例として使えるので便利だった。公刊されてみなが使っている問題集の解説が酷いのがわたしには別の意味で重宝であった。
いい解答は、シンプルであり、できるだけ教科書に載っている、基本の方法で解く解答と心得ている。
声の教育社の解答を読んでいると、もう苦し紛れに、すべて書き出して答えとして、方法がないものがあったりする。どこかの大学の大学院の数学科の学生に委託したのであろうか。ともすれば中学ではなく、高校でしかやらない方法で解いたものもある。小学にもそのような解き方に出会うことがよくある。
わたしはそうした酷い解答を見ながら、こんなにいい解き方があるのに、アホか、と正直楽しげに解いている。
かつて平成22年に桜修館に合格した杉山太一君は、なんと小6の6月から指導を始めた子でしたが、11月にはわたしは合格を確信し、あのときは彼に「あなたは合格します」と断言したことを覚えています。かつては土日は指導はなかったのですが、当時は土日は1日10時間勉強するというのが竹の会の指示でした。彼はなんとある日曜日には17時間勉強したと申告しました。それを裏付けるのが提出した課題の量でした。当時は過去問合格法が主流でしたが、彼は、あるとき、土日の課題として、銀本(過去問)を100ページほど持ち帰り、わたしがコピーしながら、「ほんとうに、やれるの?」と疑ったくらいですが、月曜日にはきっちりとやって出してきました。書道7段ということですが、文字は丁寧で読みやすく、決して急いで乱雑にやった形跡もありません。すべての問いに丁寧に答えていました。その正解率は高く驚きでした。添削は大変な作業でしたが、わたしもがんばって何時間かかけて添削しました。
彼の勉強ぶりは他の竹の会の小5などにはとてもいい影響を与えたと思います。 後輩たちが先輩の姿を追う、そういういい形があったのです。
平成23年に小石川に合格した男子は、小4の8月入会でしたが、彼が小5になったときの6月に杉山太一君は入会してきたのです。竹の会ではあたりまえの光景なのですが、このときも杉山君の算数の力は初歩的な割合を理解した程度で、件の小5がすでに難解な私立の割合の問題を解けるまでに達していたのと比べると、かなり劣るものでした。わたしは杉山君が、「わからない」と持ってくると、その小5に説明させました。ところが。杉山君はまたすぐに理解するのですか、丁寧に頭を下げてその小5に「ありがとうございます」とやるわけです。が、かれの実行力は遂には、その小5さえも尊敬の対象とするようになったことがわかりました。 今年の竹の会の小6には小5のときから、勉強になかなか向かわないで、指導室などで用もないのに時間を潰す子たちが多々いまして、正直どうしたものかと悩んだものです。 去年は桜修館に合格した女子の姿を見てきたと思うのに、一向に響かないようでした。まるで別世界の出来事とでも考えていたのでしょうか。
それでも時間は限られているものだということを今知るときがきたのだと思います。
小学生にはときおり、いやよくという子もいますけど、ため息ばかりついている子がいます。
ため息というのは、退屈だという心のメッセージでしょ。そう、勉強が面白くないと、本音が出ているわけです。
中学生ならともかく、小学生でため息はまずいかもしれません。 それは勉強嫌いということの徴表かもしれないからです。
勉強が面白くなければ、勉強とはどうしても距離を置きたがる傾向が強くなると思います。 勉強を実行しないのは、面白くないからです。背景には、いくら考えても「わからない」といったことがあるのかもしれません。勉強というのは、考えて「わかった」ということが、「おもしろい」という脳に報償を与え、そこからさらにその喜びを求めて「考える」という連鎖になるからです。
勉強が不活発な子というのは、勉強が「わからない」、それで「おもしろくない」というところから来ているのではないか。 他方で、周りでは「この子はできる」と思われていたりすると、その齟齬で悩むことになる。全ての子が勉強に適性を持っているわけではない。それはしかたない、自然界の摂理です。
竹の会は昭和60年10月に開設したときから、まず「考える」ということを指導してきました。当時は、授業形式でしたが、それが次第に「考える」形態に変わっていったと思います。
オリジナルのテキストを作ったり、プリントを作る、ということは、やってきましたが、今のようなレジュメによる思考開発という完成された指導形態になるまでにはずいぶんと時間がかかりました。
できない子というのは、まず「読み取る」能力が劣る、ということはわかっていました。読んでも理解できないというのは、将来中学、高校とまず読んで理解することが基本であることからすると致命的な欠陥です。そういう子に親は、わかりやすい先生、家庭教師などを求めて塾をあてがうわけです。 開発しなければならない能力を矯めて、それを前提に、わかりやすい講師のいる塾、読まなくてもわかりやすく授業してくれる塾の講師を探すわけです。
読み取ったら、次には、読み取ったことを問題を解くことで確かめることが必要です。 ここで時間を使って考えることをやらないでどうするのか。ここですぐにわかりやすく教えることの得意な先生に説明させてどうするのか。ここでも本来育てなければならない思考という力を抹殺することが行われるわけです。
今のような大手の横並びの授業方式では、まず思考は育たない。もともと知能の高い子は、その知能で伸びていき、もともと知能のない子は、その授業で抹殺されていくだけのことです。そして大半の子どもたちが知能のそれほど高くない子たちであるということです。 例えば、学校で、「よくできる」が8割ほどある子でも、竹の会で診た経験からは普通です。ただし、その程度の普通なら、竹の会で1年も鍛えれば、トップクラスの子に変貌させることはできます。竹の会で指導すればということです。
もうほんとうによく考えた、何時間も考えた、そういうタイミングでわたしの解説レジュメを読めばいい。 わたしの解説レジュメは読めばこんなにもわかりやすいのかというほど、涙の出るほど、わかりやすい。みなそういう。わたしの解説レジュメを読んだ子たちは99%「なるほど」という。それくらいかりやすい。 考えて考えて苦しんだ挙げ句に見た、解説に、砂漠の中のオアシスを見る思いだろう。
竹の会の解説は、みなわたしが考え考え問題を解いた過程を忠実にふみながら、こどもたちがつまりそうなところを、そうかゆいところに手の届くように、配慮して、作ったわたしの作品、いや芸術品である。 わたしは「みくに出版の」の過去問集を愛用している。あれのいいところは、紙が透けて見えないこと、解答が「答え」のみで解説がないこと、です。解説がないから自由にわたしは羽ばたける。
わたしの世界、わたしだけの世界を作り上げることができる。
声の教育社のは嫌いだ。解説を売りにしているようだけど、わたしには無用の長物である。紙が薄くて裏の印刷が透けている。最悪だ。解説だって、難解で、徒に難しく解いたものが多すぎる。わたしは高校入試の過去問でいつもわたしの作った解説と声の教育社の長々しい解答を比べて、生徒に「いい解答」というもの、「いい解き方」というものを指導してきた。反面教師として利用してきた。悪い例として使えるので便利だった。公刊されてみなが使っている問題集の解説が酷いのがわたしには別の意味で重宝であった。
いい解答は、シンプルであり、できるだけ教科書に載っている、基本の方法で解く解答と心得ている。
声の教育社の解答を読んでいると、もう苦し紛れに、すべて書き出して答えとして、方法がないものがあったりする。どこかの大学の大学院の数学科の学生に委託したのであろうか。ともすれば中学ではなく、高校でしかやらない方法で解いたものもある。小学にもそのような解き方に出会うことがよくある。
わたしはそうした酷い解答を見ながら、こんなにいい解き方があるのに、アホか、と正直楽しげに解いている。
