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草枕

都立中高一貫校・都立高校トップ校 受験指導塾「竹の会」塾長のブログ
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恐怖が判断を狂わせる

2012年12月23日 09時41分04秒 | 
 お早うございます。12月23日になりました。昨日は気温が低かったですね。わたしは基本いつもアンダーはヒートテック1枚なので外を歩いたら冷たくなった脚がなかなか温まらず「まずいかな」と懼れました。不安からめったに呑まない熱燗を一気に呑んで体を温めました。
 今日から、明日まで連続指導です。事実上冬期の始まりです。小6にはこの冬期が最後の「やれる時期」になろうかと思います。冬期が終わった1月は特殊な力が支配する世界です。心に大きな力がのしかかったように心は固くなります。自らの意思でコントロールできないかのような巨大な力に押し潰されそうな世界です。わたしはこの時期にはもう新しい知識を勉強する段階ではないとして復習にのみ力を注ぐべきことを子どもたちに訴えてきました。1月になって「作文が書けない」、「算数が解けない」といってももはや手立てはありません。今ある力で戦うしかないのです。今ある武器を使えるようにくり返し磨くことに力を注ぐべきと思います。
 本来なら解き直しのみに集中できればこれほどすばらしいことはありません。それが理想です。しかし、たとえば、平成23年小石川合格者は、読解問題が弱点とわかり、冬期は開成などの国語の問題を何年分も解きました。平成22年両国合格者は、過去問が終わりきらずに、冬期中は過去問(ただし、全国版)解きと解き直しにすべての時間を使い切りました。この男子は結局1月中頃にようやく解き直し7回を終了させたのです。そういえば、今年都立富士高校附属中に合格した女子は、解き直し7回を年内に終わらせています。これまでの合格者は最低でも全国版の解き直し7回以上を終わらせた子たちばかりでした。もちろん過去には7回解き直しを終わらせたのに落ちたという少数の子たちもいます。しかし、7回解き直しを終わらせないで受かったという子はひとりもいません。
 本年の指導から過去問全国版は廃止しました。今年の冬期(2011.12.26~2012.1.7)にもっとも進んでいた小5に全国版をやらせてみたところまるで使えないことがわかり、取りやめたました。加えて、本年2月受検者の多くが全国版1回を終わらせるのに結局冬期までかかってしまったことがわたしの対応を変えさせる契機になりました。7回解き直しどころではなかったのです。
 今年の指導からレジュメ1本になりました。しかし、それでも「遅い」=「時間がかかる」と「正解率がよくない」ということが、ずっと懸念されてきました。1枚のレジュメを受け取って1時間も2時間もたっても出してこない、出してきてもできていないという最悪のパターンです。受かる子は「早くて、できている」ものです。暗雲立ちこめる中での冬期突入です。また男子が延々とおしゃべりをして時間を無駄にして自滅していかなければいいがと心配がつきません。受かる子は目の色がちがいます。真剣な表情です。真摯な気持ちです。期待だけでは受かりません。いくら合格したいと思っても気持ちだけでは受かりません。冷静な判断が大切ということです。真摯な気持ちが大切ということです。
 試験が近づけば恐怖心が大きく心の中に横たわり始めます。赤ちゃんの最初に持つ感情は恐怖心だと云われています。恐怖から様々な感情が分化していくのだそうです。つまり、すべての感情の素は恐怖です。わたしたちは追い詰められると恐怖を持ちます。この恐怖心は生命の危機に際して危険信号を発するセンサーみたいなものです。ですから、このセンサーがはたらくと人間は防御本能が、回避本能がはたらきます。ところが、この身を守るはずの恐怖が保守的に、現状維持的にはたらくのが人間のやっかいなところです。3.11の津波のとき、犠牲になった人たちの中には家から動かずにじっとしていたという人たちがたくさんいたそうです。この人たちには恐怖さえもはたらいていなかったようです。恐怖がセンサーとしてはたらかないほどに何も起こらない生活が恐怖を否定してさえもいたのです。
 さて、試験と恐怖の関係です。試験では生命の危険はありません。なのにわたしたち人間は試験という恐怖において自由な判断ができないほどに迷わされてしまうのです。生命の危険はないのです。ただ人生を決めることになる一つの場合ではあります。人間には節目節目に人生を決めることになる勝負所があるのです。そういう場面でもし失敗したらと考えると自然恐怖心が湧いてくることにもなります。その恐怖心が本来冷静であるところの判断を狂わせるのです。試験からまだ遠い日には自由になんの枷もなく問題を解いていたものがまるで自由な思考ができなくなるのです。時間をかけて延々と考えていたものが、わずか5分ほどで結論を出すことを迫られるのです。だからこそ普段の勉強ではたった1問を解くのに1時間も2時間もかけるような緩い心持ちで勉強してはならなかったのです。常に死地にある心境で問題に対しなければ訓練にはなりません。
 結論を出せなければ「落ちる」のだという覚悟が必要なのです。ふだんの生活を甘い曖昧さでごまかしてきていてはいざというときに戦えるはずはないのです。ましてや問題にとりかかったのに途中で周りと長々とおしゃべりをするなど考えられません。今年受検した小6たちは問題を解きながら終わりのないおしゃべりを延々と続けていましたが、最後にはわたしも注意することさえもあきらめてしまいましたが・・・。
 願わくばこの冬に小6たちが真剣な真摯な気持ちで過ごして欲しいと思うばかりです。
 
竹の会
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