「見仏」と「札所巡り」と「仏教少々」

仏像鑑賞と札所巡りと受け売りの仏教を少し

築地本願寺、仏教文化講座2019.9

2019-09-22 07:09:36 | 仏教
命の体感、こいではるこ

タイトルとは最近、ミスマッチな講座内容。
今回も同様。
講師は、35歳の女性。

*******
「悟りってなんですか」という本を数年前に出した。
各宗派の僧侶にインタビュー形式で、
対談した内容。
おそらく、この本がご縁で、今日ここへ講師として
呼ばれたのではないかと思う。
ライターはかつてはしていたけど、今はしていない。
自称、丹田道の提唱者。

(前半は自己紹介)
新潟の村上の出身。父方、母方は真宗。

小さいときから不安を抱えている子供だった。
父の転勤が多く、転校も頻繁で、せっかく
環境になれたのに別の学校へ。むなしい。

高校の古典の授業で、鴨長明の方丈記を習う。
最初の文書で、無常というものを知る。
少し開けた。
でも救われたいけど救われないというジレンマは
持ち続けた。
大学は、早稲田文学部。
卒業後、編集社に務めた。
残業が多く、十二指腸に穴が開いたりした。
ブラック企業だった。
会社は辞めた。

鴨長明に関係する京都の鴨川へ行って見た。
加茂川だけでは時間があく、京都といえば
有名な広隆寺の弥勒菩薩。見に行った。
柔和な表情に驚いた。お寺の人もひまだったのか
話しかけてきた。
このかた(仏像)は、何を考えていると思いますか?
50数億年後に、
人々を救うことを考えていらっしゃるのですよ。
また驚いた。

仏教に興味をもち、その入りとして、
全国の仏像を見ることもした。
仏像といえば真言密教。
空海の言葉で、「仏法ははるかにあらず、
心の中にある。」

真言宗は、門をたたきにくいし、その当時
座禅がブームだった。
座禅を通じてなら、お寺の門をたたきやすい。
鎌倉のお寺で座禅をし始めた。

座禅は、自分に向いていた。
無の境地に近づけた。
悟りの片鱗が見えたような気がした。
座禅をやっているときは落ち着けた。

でも、座禅をやめると、感情が抑えられない
いつもの自分。

2011年頃、資格を取って、
国立博物館内の図書で働いていた。
親鸞、法然に関する展示が予定されていたとき、
親鸞、法然に関する本を集める担当になった。
浄土教にも興味を持ち、法然から入った。
臨終のシーンから現世で救われていた人だったんだと
涙をほろりとさせた。このとき、念仏が自然と心から出た。
その後、親鸞の歎異抄も読んだ。

頭だけで人生を考えていた。
それは、お腹に移動した。
お腹に心がおさまる感覚。・・・

++++++++
頭で考えるというのを、お腹(丹田)で考えるに変えるというのを
力説して、説明されていたが、瞑想、禅をしていない素人には
理解不能だった。
ときどき、途中退席される人もいるが、
今回は、門徒さんが中心に座ると思われる席のほうからも
退席者が数人いた。
後半は理解不能だし、門徒さんにとっては、逆の方向を
向いている。と感じたのだろう。

まあ全否定することもないと個人的に思う。
いい方法があれば生活に取り入れていけば良いのである。
禅や瞑想やマインドフルネス。

頭だけで考えているのみであるが、
体があって生かされているんだという感覚。
わからないが、こういう感覚があるなら近づいてみたい。

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