「見仏」と「札所巡り」と「仏教少々」

仏像鑑賞と札所巡りと受け売りの仏教を少し

築地本願寺、法話2012.12/21

2012-12-21 23:11:06 | 仏教
今日は、大阪のほうの僧侶。

関西なまりをもろに出して、
細かい突っ込み、落ちをふんだんに
ちりばめた、けっこう面白い法話だった。

今は息子が住職をしていて、
おぼうさんを教える仕事をしておられるようだ。

主をたたえて、仏にくれて、神で明け。
ということばがあるようだ。
これは、クリスマスをして、お寺で除夜の鐘をつき、
年明けには、神社でお参り。ということだという。

クリマスの時期、夜、自分のお寺の近くの門下さんの家を
通ると、電飾できらびやか。
どうにも我慢できず、門下さんの家を訪ね、
「これは何ですか」というと、「見てわかりませんの」と
切り替えされた。・・・それから1日だけは、電飾は
消えていたという。


今回の僧侶は、大のねこぎらい(犬は好き)。
ときどき住職としての仕事をするため、
檀家さんの家に出向くが、猫を小脇にかかえ、「この猫
かわいいでしょう?」といわれても、「目がきれいですね」
くらいしか返せない。猫をさわった手でお茶をだされ、
電話が鳴って退散する口実ができないかと思ったという。


人は、人の言葉に悩まされる。
少し前にテレビに出ていた太った占いのおばさん、うそばっかし。・・・

浄土真宗の真宗は、真をよりどころとする宗教。
真とは、如来さま、阿弥陀さまのことば。・・・


あるとき、小学生たちと接したとき、小学生の質問に
困ったという。
お寺の仏壇になぜ菊ばっかり飾ってあるの?
菊が好きなら、なぜ阿弥陀さんは菊の上に乗っていないの?
なぜ、はすの上に乗っているの?・・・

仏壇に切花の生花をかざるのはなぜか?
それは、無常を示すためとか。
生きるものは、いずれ、死ぬ。いいことばかりが
ずっと続くわけではない。


この僧侶は、何年か前に頚椎の手術をしたという。
手術後の痛みは、かなりひどいらしい。
痛みで涙が出るが、その涙をガーゼで拭いてもらうだけで
もう痛みがでたという。

そんな経験もあってか、「あんたの気持ちはようわかる」
という言葉は大嫌いとのこと。
よく、そんな言葉を看護婦にかけられたのだろう。

看護婦に比べ、自分の娘に「痛かったね。がんばったね」
と涙しながら言われたときは、うれしかったという。


阿弥陀さんの耳は大きい。苦しみ、悩みを聞くため。


その他、ある夫婦がやっとさずかった命が、長くは持たず、
葬式でお棺からわが子を出して、
その子を母親が抱いていたという。
保育器の中にいて、ずっと抱けないまま亡くなったわが子を
・・・今しか抱けない・・・。
と涙を誘う話もあった。
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