「見仏」と「札所巡り」と「仏教少々」

仏像鑑賞と札所巡りと受け売りの仏教を少し

築地本願寺、仏教文化講座2013.9河野義行氏

2013-09-21 23:00:00 | 仏教
河野義行さんの講話。

本願寺の僧侶でない、浄土真宗とはあまり関係の
なさそうな人が講師を務めた。
あの松本サリン事件で、冤罪になってしまった河野さん。

河野さんが、本堂に入ってきたのを見ると、
農作業をしているくらいの色黒でちょっと
テレビでみた記憶より、イメージは違っていた。
また、テレビで見ていた印象より、背は高かった。

鹿児島から飛行機できたという。
(なぜ鹿児島かは、後で説明があるはず。)


あの松本サリン事件から19年たつ。
妻は意識不明のまま4年前に亡くなった。
家族は五人で、当時、自分も含めて、四人が入院した。

事件当時、殺人犯にしたてられた。
それでも、つぶされなかったのは、
許してあげる気持ちがあったから。
事件当時7人死亡。世間の人は無実だとは認めてくれないが
冤罪で死刑になって、その後に天国というところがあるなら、
そこで神様に、殺人犯とは言われないだろう。

警察も、マスコミも、間違っているけど、仕方が無い。
許してやろう。
という気持ちがあった(気持ちを持つようにした)。


自分は今まで好きなように人生を生きていこうという
信念だった。昭和51年妻と2人だけの結婚式。
親からは反対されていた。

子供2人残せば自分たちが2人死んでも
プラスマイナスゼロでと言う考えで
子供2人。さらに予備の1人が生まれて子供は3人。
その子供には、あんたは予備だよと言っていた。(笑)
長男の進学の時期にあの事件が発生。


あの当時肉体的な苦痛と供に社会的な命を失いかけた。

生きている実感というのはどんな時に感じるか。
それは死にそうになって死ななかったとき。

今まで自分は死にそうになったことが4回ある。
一回目は子供の頃の破傷風。二回目は、京都での交通事故。
三回目は、長野で自分がバイクを運転して行って車と
正面衝突。事故を見ていた周りの人は死んだなと
言っていたらしい。
四回目にはあのサリン事件。

いつ死ぬかわからない、だから今を大事に生きる。

許すということがなかったら、幸せな人生では無い。
憎んだりしない。恨まない。間違った人を許す。


19年前のサリン事件。
一ヶ月入院。その後の事情聴衆。その時期が一番つらかった。
警察の組織、対応について、不満だった。
一ヶ月入院して、記憶障害もあった。
それなのに、何をやっていた?→知らない→
言えないなにかがある。
隠している。、、、
という警察の経験則が働く。
自分が猛毒の薬品をもっていたことにも聞かれた。
趣味で、陶芸、写真をやっていて、
シアンカカリンなどは所持していただけ。

当初から、マスコミは、実名報道。
警察が、黒の方向で動く。マスコミからみたら、
これで決まり、、、。
ここで、マスコミの経験則が働いた。
いろんな見方があるはずなのに、白になるような記事は排除。
各記事は、真っ黒。


その当時、それでも、許してあげる。という気持ちで、
生きていこうと考えた。そうでないと、耐えられない。

子供達は、学校ではいじめがなかったという。
学校側が普通に接しようとしてくれた。
先生方には、感謝している。

自分自身は、入院一ヶ月。体調がよくなったから、
退院したのではなかった。
病院がかくまっているという噂。
熱がまだ、37・5度ほどあったが、退院。

会社の方には、苦情の電話も多かった。
なぜ、殺人犯をまだ、雇っている?
そんな中でも、社長は、社員に訓示。
まだ、何もはっきりしていないじゃないか。
6月の事件の発生だが、夏のボーナスも出たし、
まだ、疑い続けられていた時期の冬の
ボーナスもでた。社員でカンパもしてくれた。


警察については、四つの不満。
1.
7月30日退院。診断書には、
事情聴取は二時間が限度。
それなのに、七時間半の長い事
情聴取を二回させられた。
医師の診断書を無視。

2.
切り違え尋問。共犯者に、相棒が口をわったから、
お前もしゃべれという手法。
これを、高校生の息子に。「おやじはもう、はいた」
ほんとうのことを言え。

3.
自白の強要。
取り調べをする刑事の上司。
長時間の尋問で、協力ごくろうさん、
と言ってくれるどころか、
長時間の尋問で疲れていているのに、
「姿勢を正せ」。姿勢は正さなかった。
そしたら、お前が犯人だ。
疑われたら、疑われた人が、
罪のないことを証明してくれ。
やったということは、警察が証明すべきもの。

4.
別件逮捕。
長時間の尋問がつづき、9月中旬ころ、
任意の事情聴取を拒否。
そしたら、別件逮捕の動き。
周りの人達に、逮捕に結びつくようなことを
聞き回ったらしい。
(令状がでて、逮捕すれば、事情聴取が任意でなくなり、
 強制にできるということ。)


入院中の妻のほうは、意識が戻らないまま、9月をむかえ、
病院側は、出て行ってほしい、、、と。
殺人犯の妻を病院に長く置くと、
病院がかくまっているといううわさもでる。

一度、病院を出たら、重度の患者を受け入れて
くれる病院はすくなく、
予約しないと難しい。
困りはて、松本市長に、手紙。
松本市長からは、犯人の疑いのある人物と、
妻の人格は別です。
病院のほうに調査をいれてもらい、
継続して、妻を入院させてもらうことができた。



疑いが晴れないまま、年が明け、1月、ある新聞に
かみく一色村で、サリンが発見という記事。
ここで、物事が動く。

2月、攻めに転じようと、一向に反省しないマスコミに
対して、根拠のない虚偽の報道、記事を
訴えるよと会見もした。

そして、3月20日。地下鉄サリン事件発生。
ここで流れが変わった、、、、。



つらい状況で、なぜ、耐えられたか。
意識不明の妻を殺人犯の妻にはさせないという思い。
妻が生きているだけで、家族の絆が深まった。
家族の生きるささえになった。
孤立していなかった。助けてくれる人がいた。
信じてくれる人がいた。


現在、子供達は結婚して独立。
自分は、60歳を契機に年金生活をしてやろうと思った。
鹿児島の離島で。
ただ、離島だと、講演の依頼等で大変なので、
今は九州本島の鹿児島(?)

同居人の女性とここ、三年ほど暮らしていた。
その女性は、1年ほど前(?)、突然の末期ガン宣告。
それでも、韓国旅行もしたという。
そして、2013.3、肺炎を併発して、亡くなった。
ガンになった彼女をみて、
教えられたことがいっぱいある。
ガンは死ぬ時期がわかる。
だから、残りの人生の生き方を決められる。
ある意味、ガンはいい。
明日、突然死ぬというよりは。


最後に、

あの松本サリン事件あたりから、マスコミで、
容疑者逮捕と報道されても、本当か?と
必ず疑うようになった。
あたかも犯人と思わせる報道はおかしい。
現行犯ならまだしも。

全然、退屈する話でもないのに、
途中、寝ている人もいた。しっかり聴いて!
法話には、来そうもない30代後半くらいの
男性だけれども河野さんの顔が
向くたびに、うなずく人もいた。
見た目によらず、気を使っているなと思った。

今回のタイプの講話では、
僧侶ではないが、浄土真宗よりの肩書きの人も
多いように見受けられる。
今回のようにニュートラルな講話はめずらしい。


今日は、ほんとうに、いいお話を聞けてよかった。





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