北海道の苫小牧のあたりの僧侶。
抑揚のきいた声で現代語の
経典のフレーズからはじまった。
・・・
オバマ大統領が広島を訪問して
話題になっている。
かつて、30年ほど前、
広島の川で、ケロイド化した瓦を
拾った経験がある。
・・・
世の中、命の意味がわからなくなる傾向に
あるのではないだろうか。
その結果、命をそまつにしてしまう。
目に見えるものだけを
よりどころにしてしまっているのでは
ないだろうか。
役に立つか立たないか。
役に立たない人は、社会的に捨てられる
という風潮になっていないだろうか。
門徒の中に85歳のおばあさん。
3人の子供がいるがわけあり。
新興宗教の子供3人。
付き合いがあまりよくない。
近くにも住んでいない。
そんなとき、背骨を痛め入院。
もう入院して自分の家に戻って
これないと思っていた。
おいや、めいが、
リハビリセンターへ転院させた。
一年たって、我が家に戻れた。
おばあさんの家に伺うときは、
セルフサービス。
つまり、僧侶自体が、お茶を作る。
こういうセルフサービスが、
全部で3軒ある。
「年をとることは残酷なことだよ」と
おばあさん。
「でも、なるようにしかならんね」と
さらに続けた。
役に立たない→捨てる→自分で自分の
命を排除しかねない。
子供のお泊り会というのをお寺ですることがある。
たまに小さい3歳くらいの子も参加。
あるとき、小さい子にのどちんこってなに?
と聞かれた。
・・・
実は、のどちんこは、奥が深い。
のどちんこは、口から食べ物を食べるときは、
食道へ、息を吸うときは、肺へと、
切り分けている。
意識して、のどちんこを使っていないが、
無意識に切り分けている。
(たまに食べたり水を飲むとき、肺のほうの器官に
入ってむせることがあるのは、そういうこと
だったのか)
のどちんこだけではない。
体の全てが与えられたもの。
命は、生かされている。
仏様の知恵を借りて、
理解していかなければならない。
抑揚のきいた声で現代語の
経典のフレーズからはじまった。
・・・
オバマ大統領が広島を訪問して
話題になっている。
かつて、30年ほど前、
広島の川で、ケロイド化した瓦を
拾った経験がある。
・・・
世の中、命の意味がわからなくなる傾向に
あるのではないだろうか。
その結果、命をそまつにしてしまう。
目に見えるものだけを
よりどころにしてしまっているのでは
ないだろうか。
役に立つか立たないか。
役に立たない人は、社会的に捨てられる
という風潮になっていないだろうか。
門徒の中に85歳のおばあさん。
3人の子供がいるがわけあり。
新興宗教の子供3人。
付き合いがあまりよくない。
近くにも住んでいない。
そんなとき、背骨を痛め入院。
もう入院して自分の家に戻って
これないと思っていた。
おいや、めいが、
リハビリセンターへ転院させた。
一年たって、我が家に戻れた。
おばあさんの家に伺うときは、
セルフサービス。
つまり、僧侶自体が、お茶を作る。
こういうセルフサービスが、
全部で3軒ある。
「年をとることは残酷なことだよ」と
おばあさん。
「でも、なるようにしかならんね」と
さらに続けた。
役に立たない→捨てる→自分で自分の
命を排除しかねない。
子供のお泊り会というのをお寺ですることがある。
たまに小さい3歳くらいの子も参加。
あるとき、小さい子にのどちんこってなに?
と聞かれた。
・・・
実は、のどちんこは、奥が深い。
のどちんこは、口から食べ物を食べるときは、
食道へ、息を吸うときは、肺へと、
切り分けている。
意識して、のどちんこを使っていないが、
無意識に切り分けている。
(たまに食べたり水を飲むとき、肺のほうの器官に
入ってむせることがあるのは、そういうこと
だったのか)
のどちんこだけではない。
体の全てが与えられたもの。
命は、生かされている。
仏様の知恵を借りて、
理解していかなければならない。
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