ボクシングレヴュー

「TM」はタイトルマッチ、階級名につく「S」はスーパー、「L」はライトの略です。

WBC世界フライ級TM 勇利アルバチャコフvs渡久地隆人

1996年08月26日 | 国内試合(世界タイトル)
ユーリ・アルバチャコフ。僕が最も畏敬の念を覚えるボクサーの
一人だ。完成されたボクシングスタイルで、一流の狙撃者のように
表情一つ変えず相手を仕留める姿には痺れさせられた。

ペレストロイカ政策の恩恵もあっただろうか、協栄ジムは
ソ連から有能なアマチュアボクサー達をスカウトしてきた。
プロとして「世界」を獲らせるためだ。ユーリはその中の一人だった。
デビューから8戦目(8KO)で軽々と日本タイトルを獲得した後、
まるで当たり前のように世界チャンピオンになったのだった。

生まれて初めてリアルタイムで見たボクシングの試合は
タイソンvsタッブズだったが、その次に見たのはずっと後の
勇利アルバチャコフの試合だった。漫画「はじめの一歩」を読み、
ボクシングに興味を持ち始めた頃だと思う。どこから知ったのかは
忘れたが、強いと評判の勇利の試合を見たいと思ったのだ。

しかしそれはタイのチャチャイとの一戦、つまり勇利が冴えない
戦いの末に判定で敗れ王座を失った試合で、勇利の強さ自体は
まるで分からなかった。ただ、ボクシングのことは何も知らなかった
当時の僕だが、まるでいいところなく負けたにもかかわらず、
勇利に対して何か王者の威厳のようなものを感じたことを覚えている。

それは「王座から追われた王の悲哀」という形ではあったが、
真の王者というものは、例え没落しても王としてのプライドは
失わないものなのだと思う。あの時の勇利がまさにそうだった。

それからさらに年月が過ぎ、後追いではあるが僕は勇利の世界戦を
二つ見ることが出来た。王座を獲得したムアンチャイ戦、そしてこの
渡久地戦だ。ボクシングファンの間での評判からすると、渡久地戦は
必ずしも勇利のベストファイトではないようだが、「王者の威厳」を
これでもかというほど感じさせてくれるという点においては、やはり
素晴らしい試合だと思う。ただ、勇利は挑戦者としてリングに上がった
ムアンチャイ戦ですら、どこか王者の風格を漂わせていたものだ。
ムアンチャイも強い選手で、王者と挑戦者というより、チャンピオン
同士の統一戦のようなレベルの高さだった。

さて渡久地戦だが、これは勇利の持つWBC世界フライ級王座の9度目の
防衛戦として行われた。その前は3回連続で判定防衛、つまりKOでの
勝利を逃しており、勇利にもさすがに衰えがあるのでは・・・と考えた
渡久地ファンもいたはずだ。もちろん、渡久地だって弱い選手ではない。
新人時代には、後に世界王座を6度も防衛する川島郭志にKO勝ちし、
日本タイトルも2度獲得している。川島、そしてこれも後に世界チャンピオン
となる鬼塚勝也とともに「平成三羽烏」ともてはやされたこともあった。

ただし渡久地には、やや練習嫌いの面があったようだ。大の酒好きでもあり、
自己を律するという点においては前述の川島や鬼塚らに及ばなかった。
実は渡久地が日本チャンピオンだった時、売り出し中だった勇利(当時の
リングネームはチャコフ・ユーリ)の挑戦を受けることになっていたのだが、
それが突然キャンセルされた。渡久地が失踪してしまったのだ。練習中の怪我が
理由と伝えられたが、飲酒の末に暴行事件を起こし、拳を骨折したというのが
真相だったらしい。それから5年。そういった経緯もあり、この両者による
世界タイトルマッチは「因縁の対決」として注目された。

立ち上がり、渡久地の動きは機敏で、コンディションの良さを感じさせる。
ボディブローもよく決まる。しかしチャンピオンはいつものように冷静だ。
2ラウンド終盤、左をきっかけにロープ際に追い込み、多彩なパンチを見舞う。
やはり技術の厚みが違う。確かに実力差は感じる。しかし渡久地も健闘し、
試合は緊迫感を保って進んでいた。

やや膠着状態に入ったようにも見えた中盤だったが、7ラウンド、一気に
試合が動いた。まず渡久地が攻め込んだが、打ち合いの中、勇利のボディ打ちで
渡久地の動きが鈍ったところへ左フック一閃。アゴの先端を打たれ、渡久地ダウン。
立ち上がった渡久地に、勇利はまさに鬼のような猛攻で襲い掛かり、2度目の
ダウンを奪った。しかし渡久地はまだ諦めない。逃げるより手を出すことで
ピンチを乗り切った。思い起こしてみると、5ラウンドだか6ラウンドだかにも、
ボディを打たれて渡久地の動きが鈍る場面があった。それを見逃す勇利ではない。

そして第9ラウンド。またしてもきっかけは渡久地の攻勢だったように思う。
必死に抵抗する相手をねじ伏せるように、勇利が力をこめたパンチを振るい
出したのだ。どんどん強く、速くなるパンチ。そしてついに渡久地が無抵抗に
なったところで、レフェリーはたまらず試合を止めた。凄まじい、鬼気迫る
連打だった。どうだ、と言わんばかりの表情で勝ち名乗りを受ける勇利。
王者の強さ、風格を存分に感じられた一戦だった。

なお、これは試合後になって分かったことだが、勇利は4ラウンドの攻防で
右拳を骨折していたという。しかしそんなことは微塵も感じさせず、それ以降も
強い右を打ち込んでいた。見事と言う他ない。







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