ボクシングレヴュー

「TM」はタイトルマッチ、階級名につく「S」はスーパー、「L」はライトの略です。

東洋太平洋&日本Sウェルター級TM クレイジー・キムvs川崎タツキ

2006年01月24日 | 国内試合(日本・東洋タイトル)
いよいよ今日、東洋と日本の2冠をかけたタイトルマッチが行われる。
前々から楽しみにしていた試合だ。実績で大きく上回るキムの優位が
予想されているが、僕は川崎のKO勝ちもあり得ると思っている。
結果は後ほど・・・。
                   
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(ここから1月27日・記)

スカパーで、3日遅れの放送を見た。さて結果は・・・極めて順当なものだったと
言っていいだろう。キムの9ラウンドTKO勝ち。ただしその内容は、予想とは少し
違っていたように思う。破格の強打を誇る両者だけに、壮絶な打撃戦を期待していた
人が多かったのだろうが、実際には「壮絶な」というほどの打ち合いが展開された
わけではない。だからといって、不思議と「期待外れ」という印象は全くなかった。
それは多分、こちらの予想を遥かに超えるほどの会場の熱気と、その熱気を作り出した
両者の尋常ならざる存在感に圧倒されたせいだろう。

しかしそれにしても観客席の盛り上がりは凄かった。こと声援の大きさに関しては、
テレビのドキュメンタリー番組でその波瀾万丈の半生を取り上げられたこともある
川崎の方が勝っていた。まさに耳をつんざくばかりの応援だ。それに加え、
2冠をかけた歴史的なタイトルマッチを見たいという人や、純粋に強打者どうしの
激しい打撃戦を期待して来た人もいただろう。会場は超満員だった。

両者、観客を煽るかのようにたっぷりと時間をかけての入場。タイトル初挑戦の
川崎に気持ちの高ぶりが見られるのは当然だが、チャンピオンのキムの方もどこか
緊張しているようにも見える。負けたら一気に2本のベルトを失ってしまうという
切迫感があるのか、はたまた目の前の相手の強さを認めているのか。実際、試合前は
対戦相手をこき下ろすことの多いキムが、今回に限ってはビッグマウスを封印。
「危険な相手。油断したら足元をすくわれかねない」と警戒感を露にしていた。

先にリングインした川崎は、丁寧に観客席にお辞儀。このいかにも実直そうな姿を
見ただけでは、元暴力団員、元麻薬中毒者といった波乱万丈の過去は想像できない。
対するキムは、リングに上がるや否や雄叫びを上げ、場内をさらに盛り上げる。
両極端なキャラクターだが、いずれも凄みのある存在感を醸し出している。まさに
役者は揃った、という感じだ。

そしていよいよゴングが鳴った。「キムは強いチャンピオン。だからこそ負けを
恐れることなく思い切りぶつかれる」と語っていた川崎が、その言葉通りの果敢な
前進を仕掛ける。頭を下げることによって、キムより12cmも低い身長をさらに
低くし、懐に飛び込んでいく。軽快な動きだ。そして接近すると上下に連打を放つ。
「まずはじっくり相手の動きを見ていこう」といった構えのキムに慌てた様子は見られ
ないが、多少手を焼いているように映るのも確かで、川崎としては上々のスタートだ。

実は、この試合でまず僕の目を引いたのは、両者の意外なディフェンスの巧さだった。
やはりお互いの強打を警戒しているのだろう。もちろん被弾はあるが、致命打は慎重に
避けている。ちゃんとボクシングをしている、と言うと当たり前のように聞こえるかも
しれないが、ガードなんて二の次で強打をぶつけ合うケンカファイト、というのも
予想されたパターンの一つではあったのだ。

ある意味で少し意外な展開の中、そこで効力を発揮したのは、これもまた今まであまり
感じたことのないキムの「うまさ」だった。川崎が突進してきた序盤においても、表情は
冷静そのもの。ラウンドが進むにつれて挑戦者の動きにも慣れてきたらしく、段々川崎の
パンチが当たらなくなってきた。リング中央で、あるいはロープ際でも、キムが見事な
ボディワークで川崎の連打をことごとく空転させる。

そして、初めはヒットの少なかったキムのパンチも当たり出す。対サウスポーの王道とも
言えるいきなりの右ストレートや、頭を低くして懐に入ろうとする相手の体を起こすのに
有効なパンチであるアッパーなどだ。これまでは強引に攻め込んでねじ伏せるような
戦い方が多かったが、この日のキムは非常に基本に忠実な攻めを見せていた。
そして4ラウンドには、そのジャブのような右でダウンを奪う。軽いパンチだったため、
ダウンそのもののダメージはそれほどでもなかったが、その前の猛攻はかなり効いて
いるようだ。強烈な右フックで川崎の動きを止めた後の連打だ。全体的にはさして
スピードのあるボクサーとは言えないキムだが、詰めの鋭さはさすがだった。

この後の試合の流れは、ほぼ一方的にキムが握った。しかし川崎も、まるでめげる
様子も見せずに攻撃を仕掛け続ける。キムのパンチで目をカットし、顔面の右半分は
血で真っ赤に染まっている。もちろんダメージもある。それでもなお、全く表情を
変えることなくチャンピオンに立ち向かっていくのだ。

しかしそんな川崎の一途な奮闘は報われず、第9ラウンド、試合はついに終わった。
キムのパンチが何発かヒットした直後にレフェリーが割って入り、キムのTKO勝ちを
告げたのだ。川崎にはまだ充分戦えるだけの体力は残っていたように思うが、大量の
出血をも考慮に入れてのストップだったのだろう。止められた川崎の表情にも不満の
色は見えず、妥当な判断だったと言っていい。

キムとて決して無敵の選手ではない。かつて大東旭、河合丈矢、吉野弘幸らに挑戦
したがいずれも敗退し、4度目の挑戦(王座決定戦)でようやく日本タイトルを
獲得した。それ以降は負けなしだが、派手にKOした相手は格下や下の階級から
上がってきた選手がほとんどだった。それだけにタフネスと強打を持った川崎にも
チャンスはあると思っていたが、リングで相対した両者を見ると、今回もやはり
かなりの体格差があった。しかし、だからといってキムの勝利にケチをつける
つもりは毛頭ない。勝負を分けたのは、明らかに体格以前の実力差だったからだ。

チャンピオンとして、その名に恥じない技量を見せ付けたキム。さぞご満悦だろうと
思ったら、放送席でのインタビューでは露骨に苛立っていた。快勝した試合内容には
ほとんど触れず、どれだけ勝っても一向に世界挑戦が具体化しないことに対する不満を
延々とぶちまけていた。キムの怒りは、もはや爆発寸前にまで来ているようだ。
あろうことかその後の記者会見までも、一部の記者を除き取材拒否。元来、建前で
話すのが何より嫌いなキムである。こんな苛立った気分で、上辺だけの空虚な質問に
答えることには耐えられないと判断したのだろう。

何度も書いていることだが、スーパー・ウェルター辺りの階級には強豪がひしめき
あっており、世界挑戦への切符を手に入れるだけでも大変なのだ。前述の大東も
日本タイトルを10度防衛し世界ランクにも入ったが、ついに挑戦のチャンスは
訪れなかった。同じく層の厚いスーパー・ライト級で「世界」を嘱望された
佐竹政一も、東洋タイトルを9度も防衛していく中でモチベーションを失い、
10度目の防衛戦でKO負けを喫すると即座に引退してしまった。

ただ、苛立ちがあるということは、危ういバランスではあるがまだ何とか気持ちを
保ち続けているという証拠でもある。それは、数少ない親しい記者に語った
コメント
にも表れている。前回の試合ではわざわざタイへ出向き、ABCOという
日本では未公認の地域タイトルを獲得しているキムだが、次は同じような
(とはいえABCOよりは影響力のある)地域タイトルであるPABAの王座を
狙おうかという前向きな発言をしている。

また、以前スパーリングをした時の印象から「腹の据わった男の中の男」と
最大級の賛辞を送っていた川崎と対戦したことについての感想も、ヒール的な
イメージが定着してしまったキムの実相を物語るものとして興味深い。
切れそうになる気持ちを必死に繋ぎ止め、大いなる絶望とわずかな希望の狭間で
苦悩するキム。それはボクサーにとって、リング上での戦い以上に苦しいもので
あるに違いない。

もちろん、現実的な問題としてキムが今すぐ世界に挑戦して勝てるだけの力を
持っているとは正直思わない。スーパー・ウェルター級の層は、本場のアメリカを
筆頭に恐ろしく厚いのだ。金銭的には難しいかもしれないが、その「本場」へ
乗り込んで実力を磨き、また強豪と対戦してアピールするというのも一つの
方法だろう。

偽善を憎むあまり自ら進んでヒール役を演じるほど純粋な心根の持ち主である
キムには「しょせん上辺だけの言葉」と言われるだろうが、何とかしてこの男に
世界挑戦のチャンスが巡ってきて欲しい、今はただそう願うばかりだ。