自己と他者 

自己理解、そして他者理解のために
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法律とお金と政治 全てにつながる教育について

2006-03-13 02:42:38 | 日記・エッセイ・コラム・メモ

 どんなことをやるにも生きている限り、見えないので意識しづらいが法律が根底にある。裁判制度の改正に伴い、成人以上の全ての人が他人の有罪・無罪の決定(つまり一人の人間の人生・将来)に影響を与えるかもしれない可能性を持つ。この制度がもし、法律の啓蒙を目的としているなら恐ろしい。

 税金は何のために(払うのではなく)納め、どう自分や家族、社会が恩恵を受けているかということ(国の存在意義でもある)を教育で徹底するべきである。なんに使うか分からないことにお金を進んで出す人はいない。

 前者も後者も小学校から教育すべき長期の問題。政治家は学校の先生が納得感を持って児童・生徒に説明・納得させることができるように、自身の考えていることと行動を一致させ(大前研一氏は政治的・感情的決定は経済的・社会的負担を生むといっているがその通り。)、一貫性を持ち、国民に自身の政治家としての目的と行動の成果を評価してもらうこと。

 これを選挙時のマニフェストにつなげ、国民は政治が自分の生活に影響することを認識し、その金を自分が払っていることを自覚し、積極的に評価する意志を持つこと。将来が不安であると思っている人が多いとの認識を自分は持っているが、ならばまず投票には行こう。政治が変わらないなら政治家を変え、党を変えてやろう。そうしてこなかったから財政はパンク寸前、あるいはパンクしているのである。