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旧中央公民館(旧麻績小学校北校舎)の取壊し計画を見直し

2011-03-28 01:01:00 | 日々の公務
     ▲歴史的に貴重な建物との調査報告がされた旧中央公民館

 平成17年度から始まったまちづくり交付金事業(都市再生整備計画)は、旧中央公民館の取壊しとその跡地に公園と駐車場を整備する事業が残るのみとなりました。この事業は、老朽化した中央公民館に代わる新たな地域交流センター建設と併せて計画がなされたものです。
 この事業については、計画通り老朽化した建物は早急に取壊すべきとの声が、また一方では、この麻績小学校北校舎を懐かしむ村民からは取壊しを惜しむ声が、そして歴史的見地から保存を望む声が寄せられていました。

     ▼旧北校舎を背景に立つ二宮金次郎(尊徳)像


 このようなことから、計画が策定された経緯等を調べさせて頂き、建造物を歴史的見地からも調査する必要があると判断し、昨年その分野の権威者である工学博士吉澤政巳氏(信濃建築史研究室)へ調査を依頼しました。

 今年2月に入り吉澤先生から届いた調査報告書で、新たな事実を知ることになりました。
○昭和11年、昭和大恐慌による深刻な財政難の中、村民の教育に対する熱意によりこの北校舎が建造されたこと。
○昭和42年に麻績村と日向村の統合小学校を新築するにあたり、補助制度上古い校舎は取壊すことが条件になっていたが、県に対しこの北校舎を中央公民館として使用したい旨の交渉陳情を幾度と重ね、ついに存置を認めさせ昭和45年麻績統合小学校完成の後に待望の中央公民館が開館したこと。
○この時、取壊された校舎の玄関部分が聖高原に移築され、村立聖博物館の航空資料館となり今日も美しい姿を留めていること。
○1棟まるごと木骨スレート張りの外壁や廊下や教室の舟底天井、階段の親柱など学校建築の時代的変遷を知る上で県内に残る貴重な建物であること。
 そして報告書は、『このように、北校舎は、設立の熱意の強さ、取壊しを免れさせた情熱、現存するスレート張り校舎としての貴重性、いずれに於いて県下では例のない、あるいは群を抜いた生命力のある建築である。単に残っているのではなく、子どもたちの教育に不自由はさせないという戦前の村民の熱意、その熱意を後世に伝えたいという戦後の村民の情熱によって今日まで伝わってきたという点が貴重である。村民の心根の結晶がここまで凝縮された建築は他に例がない。世代を超えた交流の拠点などとして利活用の方法を模索していただきたい。』と結ばれています。

     ▼当時のままの二階廊下 アーチ状の舟底天井が特徴


     ▼階段の親柱 表現主義の意匠


     ▼2階の教室 天井は舟底天井


     ▼壁に残る当時の校内放送スピーカー


 このように歴史的にも貴重な建造物と判明したことから、先の3月定例議会一般質問で考えを述べさせて頂きましたが、旧中央公民館は取壊す計画を見直し、存置する方向で検討をして参ります。
 村民皆様から色々なご意見が寄せられる中で、『存置して悔むか。取壊して悔むか・・・。』、“存置して悔む”ことを選ばせて頂きました。

 現在、民間からこの旧中央公民館を現状のままで使用したいとの申し出もきています。
 当面は、土台など腐蝕した箇所の修理を行い、地域活性化に向けた利活用を探ることと致します。
 東日本を襲った大津波でも歴史的に貴重な建造物がたくさん失われています。地域に残る貴重な遺構を後世に伝え残すことは、今に生きる我々の責務とも考えます。
 この度の計画変更については、今後皆様にご説明を申し上げて参ります。
 何卒ご理解を賜りますようお願い申し上げます。

     ▼校庭を見守るように建っている 右は現在の麻績小学校校舎

コメント (3)
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