はあどぼいるど・えっぐ

世の事どもをはあどぼいるどに綴る日記

ソードフィッシュ

2007-03-19 22:40:06 | 映画
「ソードフィッシュ」監督:ドミニク・セナ

スタンリー・ジョブソン(ヒュー・ジャックマン)は、テキサスの片田舎にある寂れた工事現場で管理人として働いていた。あられもない格好でゴルフの練習をしたり、別れた女房に連れて行かれた娘ホリー(キャムリン・グライムス)のことを恋しがったり、かつての天才ハッカーの面影はどこへやら、の侘しい生活。そんなスタンリーのところへ、ジンジャー(ハル・ベリー)と名乗る女が現れる。知的で、性的魅力に溢れたジンジャーの導きで、スタンリーはガブリエル・シアー(ジョン・トラボルタ)という謎の男にひきあわされる。
ハッカーとしての実力を確かめたいというガブリエルの求めに半ば無理矢理応じさせられたスタンリーは、美女が股間に顔を埋めてくるという極限の状況の中、わずか1分で国防総省のシステムに侵入を果たしてみせる。その能力に満足したガブリエルは、あらためてスタンリーに仕事を依頼する。内容は、かつてソードフィッシュと呼ばれる作戦で、DEA(麻薬取締局)が不正に儲けた莫大な裏金95億ドルの奪取。敵はワールドバンクの512ビットのバーナム暗号。報酬は1000万ドルと、法的にホリーを取り戻すこと……。
「ザ・ハッカー」、「ウォー・ゲーム」、「サイバーネット」など、ハッキングもしくはクラッキング(簡単にいうと侵入して何もしないのがハッキング)をテーマにした作品というのは多くある。しかしいまいち成功例に心当たりがない。それは多分、ハッキングという行為自体がわかりにくいし、映像にすると見栄えがしないからだ。3Dにソースコードを並べてみたり、具象的なプログラム塊をモニタに浮かべてみたり、頑張って視聴者向けの映像を作りはするのだが、無理矢理感が拭えないために大抵不発に終わる。本作は、その中では白眉にあたる。リアルさ(ケビン・ミトニックのようにコンピュータ及びネットに接続できるあらゆる機器に触れることの許されない立場におかれているスタンリーのブランクの表現とか)と、ハッキング以外にも様々な要素を組み合わせた結果、上質なクライムアクションを作り上げることに成功した。
ジョン・トラボルタ演じるところのガブリエル・シアーは、目的のためなら手段を選ばない男だ。彼はいう。1人の罪のない人間のために他の多くの者が生き残れるのなら、何をしても構わない。その1人がたとえ10人でも100人でも1000人だったとしても知ったことではないのだと。内容と裏腹に、口調はあくまで気楽だ。友達同士でバカ話をしているように陽気に語る。反面、狂気を滲み出させ、暴力性をちらつかせ、スタンリーを威圧し服従させようとする狙いがある。部下の心酔は、おそらくそうやって勝ち得たものだろう。テロリストの論理が力を纏った時の怖さにはぞくりとさせられる。
この映画のポイントはそこだ。ガブリエルという男の持つ圧力が視聴者に考えさせるもの。何が正義なのか何が悪なのか。そういった答えの出ない曖昧な倫理の境界線と、現実世界におけるテロ対耐テロのせめぎ合いの構造も含めて初めて、この映画の本当の面白さが堪能できるのだ。

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