はあどぼいるど・えっぐ

世の事どもをはあどぼいるどに綴る日記

エディット・ピアフ~愛の讃歌~

2007-10-24 00:27:51 | 映画
 Q:死を恐れますか?
 A:孤独よりマシね
 Q:歌えなくなったら?
 A:生きてないわ
 Q:正直に生きられますか?
 A:そう生きてきたわ
 Q:女性へのアドバイスをいただけますか?
 A:愛しなさい
 Q:若い娘には?
 A:愛しなさい
 Q:子供には?
 A:愛しなさい

「エディット・ピアフ~愛の讃歌~」監督:オリヴィエ・ダアン

 重く低くたれこめた雲の下、濡汚れた街並みに、これまた薄汚れた少女が空腹を抱えてうずくまっていた。その視線の先にはやつれた母・アネッタ(クロチルド・クロー)が、日銭を稼ぐため路上で歌を歌っていた。
 1915年。第一次世界大戦のさ中、エディット・ジョアンナ・ガション(マノン・シュヴァリエ)はパリのベルヴィル区に誕生した。やがて母は少女を置いて去り、軍人だった父・ルイ(ジャン・ポール・ルーブ)に連れられ祖母・ルイーズ(カトリーヌ・アレグレ)の経営する娼館に預けられた。
 娼館の女たちはエディットを歓迎した。満足に我が子を産んで育てることもできない彼女たちにとって、エディットは我が子のような存在であった。中でもティティーヌ(エマニュエル・セニエ)はとくにエディットに目をかけ、可愛がった。エディットが角膜炎により失明しかけたとき、聖テレーズにお祈りを捧げに行くとき、日常の面倒、嫌な顔一つせずに世話を焼いた。娼婦であることをやめ、母になりたいと思い込むほどに……。
 だが蜜月のときは長くは続かない。猥雑で薄暗く悲哀と絶望に満ち、でもたしかにエディットに愛を与えてくれた娼館をあとにすると、彼女は大道芸人となった父とともに放浪の日々を送ることになる。
 サーカスの一座にいた時はまだよかった。見たこともない動物や火吹き男との出会い、何よりも飢えに悩まされずに済んだ。だが父が座長と喧嘩別れしてサーカスを飛び出してからは状況が変わった。なんの後ろ盾もない日々に父は苛立ち、不安だけが募っていった。
 かつての母のように路上で芸を披露し、日銭を稼ぐ父。その傍らにたたずんでいるだけの彼女(ポリーヌ・ビュルレ)に、観衆から声がかかった。父はなんでもいいからやってみせろと芸を要求し、切羽詰った彼女はしょうがなく歌を歌う。「ラ・マルセイエーズ」。天使の歌うフランス国歌に、人垣が出来た。
 20歳になったエディット(マリオン・コティヤール)は、親友モモーヌ(シルヴィ・テステュー)と共に街を走り回っていた。酒瓶を片手に歌を歌い、日銭を稼いだ。母との違いはその圧倒的な歌唱力で、細い体から迸る声の迫力で、母の何倍も稼いだ。
 やがてその才能を見抜いたルイ・ルプレ(ジェラール・ドバルデュー)の庇護下に、キャバレー・ジェルニーズでデビューすることとなったエディットは、ピアフ(雀)という名前を与えられる。肩をいからせて軽く握った拳を腰に当て、上目遣いの大きな目をキョロキョロと周囲に走らせる彼女の歌い様は、なるほど小雀を連想させた。
 たちまち人気者になったエディット。多くの人間が彼女の周囲に集まり、祝福と賛辞の言葉を投げかけた。しかしルイ・ルプレが凶弾に倒れて殺人の嫌疑をかけられ、あげく親友モモーヌが更生施設に連れて行かれると、エディットの周りには誰もいなくなった。
 安酒場を転々とし、それでも歌をやめない彼女。ステージに立つ彼女に、容赦ない「人殺し」の罵声が浴びせられた。
 不遇の彼女を救ったのは、作詞・作曲家のレイモン・アッソ(マルク・バルベ)。それまで完全に我流で歌っていたエディットの歌に初めて文句をつけ、そして徹底的に鍛え上げた。「はっきりと発音しろ」、「心をこめて」、「全身で歌え」。情け容赦のないスパルタ教育が彼女の才能を引き出す。復帰コンサートは大成功に終わり、そして彼女は一躍スターダムにのし上がった。
 取り巻きに囲まれ姉御肌に振る舞い、自分勝手好き放題に暮らす彼女はアメリカに渡ってもうまいことやっていた。最初はフランス人歌手を認めようとしなかったアメリカの聴衆も、批評家も、やがて彼女の歌に魅了され、ファンの一人となっていった。
 そしてここで、最大の出会いが待っていた。妻も子もある後のボクシング世界チャンピオン・マルセル・セルダン(ジャン・ピエール・マルタンス)。試合会場で「ぶっ殺せ」とわめきたて、ホテルの廊下一面にバラの花を撒き、マルセルの腕にすがる彼女の表情には、まぎれもない幸せがあった。
 道ならぬ恋の結末はマルセルの飛行機事故だった。愛する人と死別した彼女は、長い苦悩の時期を乗り越え、パリで復帰した。「愛の讃歌」の熱唱に、会場の誰もが酔いしれた……。
  
 伝説のシャンソン歌手。世界の歌姫エディット・ピアフの一生を描いている。
 傲慢で不遜で独りよがりで、繊細で卑屈で何よりも孤独を恐れるエディット。何度もある成功と挫折の振幅を、その死の瞬間まであますところなくとらえている。あれほどのスターが病に冒され、マイクを前に崩れ落ちる姿。それでも観客に応えて立ち上がり、卒倒する姿。暗闇の中で一人泣き、孤独に耐えながら死を待つ姿。残酷で悲惨な描写。そこにあるのはまぎれもないエディットへの敬意だ。オリヴィエ・ダアンの視線には愛がある。
 背景や衣装がよい。適度な汚れ、ほころび、色褪せ、最近の日本の映画では足元にも及ばない徹底した「時代らしさ」の表現があり、安心して世界に入り込める。
 しかし何よりこの映画の素晴らしさは主演のマリオン・コティヤール。彼女の全身全霊の演技に尽きる。リュック・ベッソンの「Taxi」シリーズでおなじみの美人女優が20~47歳のエディットを一人で演じるのだが、これがものすごく似ている。メイク技術が……というだけではない。話し方、立ち居振る舞い、歌こそほとんどエディットの肉声を流用しているものの、憑依したかのように「あの時の」エディットを降臨させている。それでいてただの物まねではない。エディットを知らない人でも「ああ、こんなすごい歌手がいたんだな」と思えるような、圧倒的な存在感がある。彼女を今年のアカデミー主演女優賞に推す声が多いのも、無理からぬ話だ。

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