ふっ と想うこと

山・雪・風・人、徒然なるままに--

コロナと日本

2022-06-13 12:02:57 | 社会・経済

日曜日に映画とコンサート。
映画内容は別に。
ここで扱われている社会情勢が今後の日本のあり方に色々と考えさせられました。
中国に端を発したといわれるコロナ、そしてパンデミック。日本もその例外ではなく、経済活動の停滞、縮小を。都会も厳しいですが、元々、経済の縮小が始まっていた地方にとっては、場合によってはトドメとなったいるかもしれません。この映画でも、地方経済の衰退により管弦楽団を篤志家の人達の援助だけでは維持できず、かといって地元の地方自治体の援助も受けられず廃止となる事を面白おかしく描いています。
“文化活動”なるものは、毎日生きるための”食うもの“があって初めてなり立つもの。日々の生活に四苦八苦している中で、“腹を満たせない”音楽に金を使うくらいならば、自分達の生活に金を使って欲しい、と思うのは当たり前。
かなり前の事ですが、とある地方自治体の長が、いつかは自分達の市に管弦楽団を作れるくらいに発展させたい、といっていたことも。バブル前の事ですが。
人間以外の動物に”文化が無い“というと批判浴びるかもしれませんが、朝から晩まで、餌を集めることに費やしている中では、文化は出てこないと。現代のコロナ時代の日本にも当てはまるかもしれません。
同じことは、自然保護の世界も。いくら、“自然は大切だ”と言ったところで日々の暮らしが厳しければ、その自然を護ることよりも腹を膨らませることの方が大事とするのは”生物である“人間にとっては当たり前。
自然保護を叫んでも、飯の種にならないものは不要と。環境省も“国立公園を含んだ自然の有効活用”と言ったその言葉には”経済的価値“を追求し始めること、そして、自然を護ることよりも経済的価値を重視すること、これが今、日本の各地でおこなわれていると。山小屋そのものが環境破壊の原因のひとつとされても、そこへ来る登山客のお金のほうが大事と。
それだけ日本に余裕が無くなってきていると。
そこへ、外国人の移民増やしたり、産めよ、育てよと若い人達に子供を産ませて人口を増やそうとする施策は、何か高度経済成長の思考のまま、日本の経済力は大きく変わっているのに。
映画を見終わって、午後は名古屋の管弦楽団の演奏会。美しい音楽はもちろん良かったですが、それ以外のこと、色々と。

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