ふっ と想うこと

山・雪・風・人、徒然なるままに--

10月に観た映画

2024-10-31 15:05:09 | 映画

20世紀後半のフランスでの実話。アルジェリア移民家族の双子のザイア姉妹。1人は女性指揮者、もうひとりはチェリストとして。姉は移民を昔から受け入れながらも階級社会のフランス。その中で、現代世界でも6%、フランスで4%しかいない女性指揮者。移民としての差別、偏見を受けながらも音楽の楽しさを体で感じながら。そして世界的指揮者セルゲイ・チェリビダッケに見出され、指揮者としての頭角を現していきます。階級社会のフランスの中で、最初は彼女達を見下していた元からのフランス人を巻き込んで、移民たちと自らのオーケストラを作っていく、しかも20代そこそこで。でも皆が楽しそうに演奏。今年のパリ五輪閉会式でフランス国歌を演奏したのは彼女の指揮の下の彼女の楽団。
映画の原題は“ディベルティメント”つまり、”軽快に、楽しく“、という音楽用語。
子供の時にピアノを11年、吹奏楽で4年。演奏していた時は、皆で一つにまとまり、演奏する事がとても楽しかったな、と。
子供の時の音楽の楽しさ、それを思い出させてくれた素敵な映画。
昼は敬老パスとシニア割で。
夜は水曜日割引で。
メル・ギブソンも製作総指揮している”小児性愛“(ペド)で誘拐された中米で誘拐されてアメリカへ送られた子供達を救出したアメリカ連邦捜査官の実話。世界最大の小児誘拐の拠点、供給国アメリカ。その中で司法当局の救出の場面ではハラハラと。世界で今は児童誘拐が急増していますが、小児性愛だけではなく、現代は臓器売買も大きな理由。アジアではどちらかと言うと臓器売買。その中心は今や世界第二の経済大国といわれる大陸の国。日本も無関係ではないです。年間1000人以上の児童が行方不明。それには、アジア系外国人が関わっているものも増えています。結局は、小児性愛にしても臓器売買にしても“金”の世の中になってしまった現代。
複雑な気持ちに。
それでも、なんだかんだ言われても、それに立ち向かっていくアメリカの良心を感じます。それに比べて日本は。

台湾、台中を舞台にしたかつて日本にもあった風景を映画に。住んているところどこにでもあった“町の床屋さん”。その歴史は、そこへ来るお客さんの”後頭部“の歴史でも。淡々と、でも、その普段と変わらない営みの中に歴史が。東京の実家近くにも数軒の町の床屋さんありましたが今は皆無。名古屋では近所に80歳ぐらいの御夫婦の床屋さんにもう20年以上。座ると“いつもの通りで良いですね”。
こんな会話ができるのもあと何年かな?
心がホッコリとする映画

踊る大捜査線のようなリズミカルなものを期待すると裏切られます。しかし、柳葉敏郎さんの渋い元管理官の今。その中で過去の事件に巻き込まれていきます。この映画はそのプロローグ。動きは少ないものの静かな中に強い意志を感じる映画。来月公開の後編への期待が高まります。因みに室井管理官と同じ大学、同じ学部を卒業。入庁年は自分の入社年より2年あと。つまり後輩となります。そんな事もあって観に行った映画



北海道、鹿追町を舞台にした映画。町おこし、地域おこしかもしれませんが、そうそうたる出演者達。そしてその中で若い人達。自然の美しさ、鹿追町の人達の温かさを感じられるホッコリする映画。大人の童話。素敵な映画でした

元JWALKの中村耕一さんがかつての人気歌手から事件により身をやつし、そして見つけた若手の遥海さんを歌手として育てていく、音楽劇。中村耕一さん自身と重なる部分も。とはいえ、一人の若い女性の成長物語と中村耕一さんの復活の物語。そして名古屋の街を舞台に。名古屋のテレビ塔がとても美しく、そして遥海さんの美しい歌声。でも久しぶりに大好きだった中村耕一さんの歌を聴くことができました。素敵な名古屋の映画。
昨日に続いてこの地方を舞台にした映画。世界三大毛織物産地、イタリアのビエラ、イギリスのハダースフィールド、そして日本の尾州。
愛知県一宮を中心とした尾州の映画。障害を持ちながら毛織物への特別な才能を持つ女子高生とそれを取り囲む毛織物に関係する人たち。何と言っても、主人公の服部樹咲さんの透明感、それを暖かく見守る姉の岡崎紗絵さん、叔母の清水美砂さん、そして障害を持つ娘のことを思う父親の吉田栄作さん。桜の名所でもあり、織物との縁も強い五条川を中心とした美しい街並み
とても素敵な映画
午後はもう一本映画。名古屋では水曜日に割引の映画館多いので。東日本大震災1年で作られた1時間ほどの映画。仙台市を舞台に。最後のお客さんを乗せて津波で被災したタクシー運転手の父、その最後のお客さんとなった親子。その前日に東京へ受験の為に出かけて助かった娘。父への思いを伝えることのできなかった娘。でも、10年後に“会うことのできた”幻。海外での映画祭でも高く評価された、今なお東日本大震災の爪痕を、心情の機微を不器用ながらあらわした素敵な映画。
名古屋は”名古屋まつり“なので中心部と大須は混雑するのでそこを避けて今池のミニシアターで映画。第二次世界大戦でドイツ軍はもちろん連合軍の兵士たちを虜にした“リリー・マルレーン”。それを歌ったララ・アンデルセンをモデルにした映画。戦争に行く恋人達の別れを歌ったこの曲、ナチスのゲッペルスは取り締まるべきとしたものの兵士たちに広がり、アンデルセンがユダヤ人の恋人がいることになって初めて禁止。英国軍も厭世的となるので禁止。しかし止められずに敵味方なく歌われた曲。ハンナ・シグラの必ずしも上手いというわけではない厭世的な歌い方を見事に。映画では戦争に左右される歌い手を描いていますが現実とは大きく異なっています。アメリカではマリリンモンローが歌ってアメリカでも流行した曲。40年前の学生時代に観た映画の4kデジタルリマスター版

毎週水曜日は名古屋近辺の映画館は特別価格で。
フジコ・ヘミングさんの伝記映画。色々と波乱万丈な生き方、その中で生み出される“音”は心を揺さぶられます。リストの”ラ・カンパネラ“は機械的な超絶技巧の演奏あれば真逆のロマンティックな演奏も。そのロマンティックな演奏も大きく外から叙情的に演奏されるものもありますが、フジコ・ヘミングさんのロマンティシズムな演奏は90歳を超えてもなお、内側から湧き出るような演奏。映画ですらそのように感じるのですからライブであれば、演奏の“音圧”を体全体で感じる事ができたと。残念ながら今年の4月に亡くなってしまいました。
昔、10年近くピアノを習っていたので余計に。
素敵な映画
アルゼンチンの若手指揮者、グスターボ・ドゥダメルのこれまでの活動を追ったドキュメンタリー映画。アルゼンチンには”エル・システマ“という50年近く続く若手育成プログラム。貧しい子供たちも音楽でまとまって、貧困から救おうとする活動。音楽という文化を通じて子どもたちの未来、可能性を伸ばそうという活動。世界的な楽団とのコンサートを行いながらその活動の創始者を引き継ぎ若手の育成を行うドゥダメル。しかし政情不安で強権政権となり批判したことによりベネズエラでの活動禁止。しかし、周囲の国々での協力で若者たちの活動を。
それにしても、映画でみても演奏の素晴らしさを感じます。本当に凄い演奏は人知れず、身体が動きリズムを。ドイツ、オーストリアでの演奏会でも上品そうな観客たちも人知れずリズムを。
それにしても、どんな苦境にあっても子どもたち、若者たちの未来のために活動するドゥダメルの情熱には頭が下がります。







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秋の北海道へ。

2024-10-29 23:12:34 | 旅行記
9月末に定年退職
現役時代にやりたかったこと!
それは土日以外に旅行をすること。
今回は金曜日のフェリーで阿寒湖を目的に。往復の移動は土日のETC割引で

名古屋から新潟港へ。
妙高あたりでは天気悪く、妙高山は雲の中

日本海へ出ると天気は良くなってきました。米山SAでは鯖を使った“サバサンド”



気持ち良い風が。

振り返ると米山





今回は”あざれあ“




佐渡汽船の船が入港

今回も銅鑼なく、静かに出港



新潟港近くの市場で地元の魚を使った寿司

ワインはいつもの蘭越の松原農園さんのワイン
秋の終わりなのに暖かい気候。風も心地よく。
夜は、新日本海フェリーの素敵なグリルで。

ここでサプライズを!
席につくと、“これは退職祝いのほんの気持ちです”
と新日本海フェリーさんの特別なワイングラスを。
新日本海フェリーの知っている方がいらっしゃってメールのやりとりしている中で今回、退職後の旅行とは伝えてありましたが

素敵なワイングラス。
鉛を使っていない、強化ガラスの凝ったワイングラス。
驚きました。
知っているスタッフの方がいらっしゃるので、中部圏では今が旬?の”栗きんとん“を。“数は足りないかもしれませんがスタッフの皆さんで”と。

小樽港へは予定通り




暖かい小樽港

小樽港からは東へ。足寄インターへ。

ちょうど紅葉の終わりごろ

トマムも紅葉





足寄の町は紅葉が綺麗でした




これから登る山

雌阿寒岳









遠くには雲の中に薄っすらと大雪山系の山々

神秘的なオンネトーも暖かい日差しに

火口淵にたどり着くと、轟音の水蒸気噴煙

雄阿寒岳と阿寒湖。足元には夜泊まる阿寒湖温泉のホテル
地元の登山者の人たちと色々とお話を。
”これだけ晴れて風の無い雌阿寒岳は滅多に無い“
“下は晴れていても山頂近くは雲が多くて景色が悪いことが多いのに、今日はとても素晴らしい”
”初めて雌阿寒岳を登ってこんな日に出会うなんて、運が良いですね“
往復5時間で下山。阿寒湖脇のホテルへ。ネットのタイムサービスでお手頃な価格で。目の前に阿寒湖、雄阿寒岳も目の前の部屋
そして今回の目的。
“カムイ・イルミナ”
カナダの世界的なイルミネーション運営組織が日本では2カ所。しかも国立公園はここ阿寒湖でのイルミネーションだけ。



参加者は各自スティックを。
このスティックが先端技術。歩いているとこのスティック上部から説明、ストーリーが語られます。そしてそれぞれの場所へ行くと様々な色で光りだします






1周約50分。
素晴らしい演出でした。
アイヌの伝統と先端技術の見事な調和。
実は翌日にアイヌコタンのお土産屋さんでうかがうと、このカムイ・イルミナは2019年から始まってとりあえず5年間の契約。その後は予算が付けば継続、とのこと。
ひょっとすると今回が最後になるかも。でも素敵なイルミネーションでした。

夜はアイヌ料理を
アイヌコタンの”ポロンノ“さんへ。



お店の中はアイヌ関係のものが



隣の鶴居村のビール

あとはアイヌ料理。
まずは嫁さんは鮭、旦那はエゾシカの“オハウ”。アイヌの汁物

メフンとエゾシカのルイベ

ひと冬越してモチモチ感の芋料理

その芋を生地にしたピザ
あとはハスカップのデザート
夜9時からはアイヌ演舞場”イコロ“へ

北海道から絶滅をしたオオカミをモチーフにした“ロストカムイ”


現代舞踊とアイヌの伝統舞踊、そしてレーザーイルミネーションとの調和。
圧巻でした。
そして最後には見物していた観客も参加してアイヌ舞踊を。
外国の観光客も交わって楽しく。
最後はとても盛り上がりました。
素敵な夜でした。嫁さんもとても喜んで。

翌日は朝、アイヌコタンへ



我が家は魔除けの小物を



阿寒湖からニセコへ。
途中、千歳は紅葉が見事

紅葉の中を車で

赤色の世界

運転していても楽しく。
夜は、ニセコの知人の家で鍋。
そして特別なワイン

洞爺湖サミットでも使われたワイン。12年前のワイン。香りも素敵なワイン
能登半島の有名な杜氏さんの日本酒も。
夜遅くまで楽しく色々な話で盛り上がりました。素敵な夜でした。
翌朝は羊蹄山は雲の中の夜明け

雨がパラパラ。
食事をしていると虹

虹がだんだんと近づいてきました
もん何年も利用させていただいているホテル。馴染みのスタッフさんと。ニセコというと外国人相手の高級ホテル、高額ホテルで全国的に有名ですが、ここは昔からのホテルで日本人が普通に宿泊できる”日本人の最後の砦“。

新潟港近くで給油して700km。
このままでは小樽港まではたどり着けなくなる可能性があるので倶知安の町で小樽港へたどり着けるだけの給油を。



倶知安町のゆるキャラ”じゃがた君“のモデルとなった伊藤町長の碑
ニセコも紅葉。



レルヒ公園のレルヒ“中佐”像
日本に来て上越高田の金谷山でスキーの軍事教練を最初におこなったときには”レルヒ少佐“。昇進しています
羊蹄山は厚い雲の中

知人の素敵なお宅で。
昨晩お世話になりましたが朝、お茶に呼ばれました。
楽しくお話をしてまた、来年に。
“少し早いですが、良いお年を!”と
おいとまして、蘭越へ



紅葉が見事





蘭越の松原農園さんへ

ゼロから作り上げたブドウ畑
素敵なワインでいつも我が家は飲んでいます。
お父さんは愛車(スバル)の点検で不在、お母さんと色々とお話を。そしてナイアガラワインを購入


飲みやすい、葡萄の香りと味を楽しむことのできる素敵なワイン。


松原農園さんから小樽港へ行く途中、蘭越の道の駅で、蘭越米の新米を。
名古屋でも新潟県のお米よりも北海道のお米が高く、人気があります。北海道のお米の中でも、この蘭越米はとても人気があって北海道でも売るとあっという間に売れてしまう、人気のお米。まさか、あるとは思わなかったので躊躇なく買いました!

小樽港へ。
舞鶴からの友船”はまゆう“が“あざれあ”の後ろに。二船が並んで。


夏とは違って出港の17時にはすっかりと暗くなっています


小樽港は風も強く、停船の時にも揺れるほど並みも高かったです。ですから出港は自力ではなくてタグボートの手助けを受けて。
夜は、グリルへ

すると、今度は好きな岩の原のワインが。”退職祝いのワインです。あざれあのスタッフからの贈り物です“と。
往路にお渡しした“栗きんとん”のお返しかな。”北海道にいるとあの栗きんとんは食べたことがなかったです。スタッフ皆が美味しいと“
喜んでもらえて嬉しかったです。
美味しい和食のコース。
もう何年もお世話になっているスタッフの方と。
心地よく酔って。

翌朝、目覚めると目の前に鳥海山




鳥海山の隣からの日の出

昔、新潟県妙高市の山小屋、高谷池ヒュッテのスタッフ、常連客と皆で遊んだ粟島
海にカヤックで1周、泳いだり、そして夜は呑んだりして。
子供連れの家族も一緒に。
高谷池ヒュッテという山小屋を中心にして楽しんだ、昔の山小屋の素晴らしさを。もうこんな関係のできる山小屋ではなくなってしまったのが残念です。



穏やかな新潟港へ






新潟港近くのガソリンスタンドで給油。北海道での走行距離は850km。

燕市のご当地グルメ“背脂ラーメン”を。この店は、昨年、若くして病で亡くなってしまった知人の紹介。このお店に来るたびに亡くなってしまった知人を思い出します

美味しい背脂ラーメンと餃子
燕からは上越柿崎へ

米山



代々菊酒造さんへ
吟田川(ちびたがわ)の名前で





NHKの低山の番組、吉田類さんが出演している番組。この番組は吉田類さんとその場所に縁のある有名人と低山に登り、下山をしてその地のお酒を紹介。先日、米山を登った吉田類さん、下山して呑んだお酒がこの吟田川。

二年ものの特別なお酒。我が家のために一本取っておいてくれたそうです。
今週から新酒の作業か始まったようです。お忙しそうなので早めにお暇を。来年のカレンダーをいただいて。



黒姫山、妙高市、火打山、焼山も
晩秋の様相
信濃町から高速道路で名古屋へ

名古屋へ戻ってきて、今回の旅行は1800km。






































































































































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雨の中を”ガッタンゴー“そして高山へ。飛騨牛の味は変わった?

2024-10-20 19:36:15 | 旅行記
国鉄神岡線、後の神岡鉄道の廃線跡を電動自転車で。地元の地域おこしとして始まった“ガッタンゴー”
NHKのテレビドラマにもなりました。街なかのコースと山奥の渓谷コース。
我が家は最初は”街なかコース“ここ数年は“渓谷コース”を春と秋に。
土曜日は天気は下り坂予報、朝一番の9時発ならばなんとかなるかなと。


今年はカメムシが大量発生。車を停めるとすぐに窓ガラスにへばりついています。カメムシ多いと大雪予報と言われていますが今年は大雪かな?


出発地点のホー厶跡には大きな栗の木。イガに入った栗が落ちています。スタッフの方と栗拾い。スタッフの方が採った栗も”あげるよ!“と。沢山の栗、栗ご飯かな。








我が家先導のスタッフのあとの先頭車。

我が家の自転車は地元の方の寄付の車両

天気持ちそうだったのですが、出発の9時に突然雨。急遽、山登りの雨具を。





雨の中、軽やかに、レールの継ぎ目を“ガッタンゴー”と。


今年は紅葉は夏の暑さのため、”葉焼け“。紅葉する前に枯れてしまったり、落葉したりしています。でも山の中はときおり紅葉も。

折り返し地点には様々な木のオブジェ。






クワガタのメス。飛騨市役所にペアであったものの、オスは誰かに持ち去られたそうです。



トンネルの中は、よりいっそう“ガッタンゴー”の音が響き渡ります







雨の中、普段とは異なり幻想的な風景



雨にうたれて木々も美しく。

ガッタンゴーには飛騨市で使えるクーポンが付いています。我が家はいつも”きのえ“さんでホルモン。
神岡城下

神岡は元々鉱山があり多くの炭鉱労働の方達が多く、そのエネルギー源としてホルモンは重宝されたそうです。
飛騨市、神岡から高山へ。
昔から通っているステーキ屋さんのマスターだった方が独立して洋食店。“トワ・メゾン
お昼のランチのコースを



地元、飛騨の野菜。飛騨地方は野菜の生産も盛んで美味しい野菜も多いです

嫁さんは飛騨牛を使ったハンバーグ。中はフワフワでとても美味しいハンバーグ。

旦那は飛騨の豚肉のソテー。
飛騨は飛騨牛で有名ですが、実は養豚も盛んで、ブランド豚も作られていてとても美味しいです。
実は、もう40年近く高山には登山の帰りとかで寄って飛騨牛のステーキをいただいています。でも、最近はどうも飛騨牛の味がかなり脂が多くなっていて食べにくくなっている気がします。歳とったので自分だけかと思いましたが、この話は高山のあちらこちらで聞いてのでやはりかなり味が変わってきているようてす。確かに長年通っているお店でも“A5よりもA4”と。
そんな中でこれからは、飛騨の豚肉ももっと有名になるかもしれません

リンゴとアイスクリームのデザート。
同じ年のマスターと。
手に職がある事は素敵だな、と羨ましく思います。

高山をブラブラと。
外国人、とりわけ非アジア系が多く、ゆったりとしています。
嫁さんの漆塗りのカップが水漏れ起こしたので漆を塗り直してもらおうと購入したお店“こくわ”さんへ。すると水漏れしているのが年輪が割れていてそこからなので直せないとのこと。結婚した時に買ったので20年以上使っていました。”20年も!“と驚かれていました。玄関に置いて鍵入れにでも。
やはり木目も密なほうが良いそうです。お得用品もあり普段使いできるような漆塗り。楽しくお話を。ここでも欧米系の観光客の方達が頻繁に漆塗り、そして春慶塗。確かに“漆”は英語で”JAPAN”

高山に来ると必ず寄らせてもらっている”梗絲(きょうし)“さんへ。飛騨牛の握り寿司と鱒寿司を。

名古屋に戻る途中、いつも寄らせていただいている久々野の”坂本酒店“さんへ。
いつもお手頃な価格のシャンパン

今回は店主のお勧めのちょっと高いものととてもお手頃なシャンパン。二つ合わせて半分にすると1000円台。
このお店はワインの隠れた名店。全国からお客さんが。
楽しくお話をさせていただきました。
お店の前の地元公共施設の前にラリーカー。
そういえば、週末は近くのスキー場跡でラリーのデモンストレーション。トヨタ自動車の豊田会長他が中心にしてラリーが盛んに行われています。11月には愛知県、岐阜県で世界ラリー。中々チケットとれません。
復路は国道で名古屋には夕方に

日曜日にはお茶会に行く嫁さんを送ってから豊田市小原地区、旧小原村へ。この小原は和紙と四季桜が有名。四季桜は春と秋から冬の2回開花します。この辺りには1万本以上あるそうです

ボツボツと咲き始めています



紅葉もはじまったところ。
あとひと月もすると、桜と紅葉のコントラストを観に全国から観光客が押し寄せます





泥ぶち観音

泥を投げつけて願いをかけるそうです

前日の雨が上がって気持ち良い秋の晴れ間に。








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東北を。中尊寺、毛越寺そして“3.11”へ

2024-10-16 20:47:04 | 旅行記
同窓会の翌日は嫁さんと近場を旅行に

平泉、中尊寺へ



紅葉はまだ早く、緑が鮮やか

弁慶堂



金色堂を観てからお昼

ジンジャーエールならぬ”神社エール“






紅葉もようやく始まった中尊寺






中尊寺から歩いて毛越寺へ

途中、弁慶の墓





昔の疎水跡。
藤原秀衡公が作らせた800年以上前の疎水
他にも昔の遺構が

毛越寺もようやく紅葉が始まりました


















人も少なく、静かに散策できました。

毛越寺を出ると尺八吹きながら虚無僧の集団が。
能登半島地震追悼の為出そうです

南三陸市のホテル観洋へ
このホテル観洋には震災後、会社の会議と慰安旅行でこのホテルに。宿泊した時は、このホテルの露天風呂が復活した1週間後。
このホテルも津波で被災、露天風呂も津波で泥だらけ。
宿泊した時には、ロビーにはボランティアの方達が雑魚寝していました、100人以上。このホテルは震災復興の為に色々と活動。
そのために、退職後、ぜひ、もう一度訪れてみたかったホテル


部屋の窓からは目の前に海

夜は地元の海鮮づくし


















追加で、サメの心臓

地元のタコも追加
さらにホヤの天ぷら






このホテルは未だに各地の災害被害地域と交流





東日本大震災の時の写真も記録として展示しています




朝はウミネコの鳴き声で目が覚めます



海を見ながら地元の食材の朝食






陸前高田

朝食の後にはこのホテルのツアー“震災語り部ツアー”

高くなった堤防

津波で更地になった被災地。ここには多くの人達の家があったようです。

高台の中学校。津波は山の間を駆け上がって高台のこの中学校にまで。時計は震災のあった14:47で止まったまま。
この時計の下まで津波が。


次には近くの宴会用の”高野会館“へ

この高野会館では当時老人会の催しがあったそうです。

バスの屋根よりも高いところに津波が

ここまで津波が来ています
老人会の老人たちとスタッフで屋上にまで逃げて何とか助かったそうです。その屋上にまで津波の水が上がってきたそうです

この高野会館はホテル観洋と同じ経営でした。そのためにこの震災遺構はホテル観洋が維持管理をしているそうです


そして、最後まで、職員の女性の方が避難を呼びかけていて、その結果被災して亡くなった防災センター。

この建物を見ると手を合わせたくなります。安らかに眠ってほしいと思います



鉄骨がむき出しとなって、錆びてボロボロ。



そもそもこの建物は高さが12m。
これは1960年のチリ地震の時の津波が3m。この南三陸町では記録上この津波が一番高かったので、建物は12mもあれば全く問題ないと思われていたそうです。でも東日本大震災では15mだったそうで、そのためにこのビルは被災したそうです。



この防災センターを残すかどうかで賛否両論。今年のはじめに、町長の判断で遺すことが決まりました。しかし、塩水に浸かった鉄骨、このままては、朽ちて行くのも時間の問題。

隣に被災慰霊場所




この防災センター隣には被災した人達で南三陸観光センター。そこでブルーエンゼルスのサイダーとコーラ

この近くにはチリから贈られたモアイ像。チリ地震以後に南三陸町はチリと姉妹提携を。





モアイ像の間から復興のクレーンとその奥には宿泊したホテル観洋


南三陸町から仙台へ
途中、登米市へ。
ここ登米市(とめし)登米町(とよままち)には尋常小学校跡









昔ながらのミシン

























登米市には“はっと”という食べ物。
昔、年貢の取り立てが厳しかったので農民たちは米の代わりに麺を。その麺があまりにも美味しかったので領主に食べることを”御法度“にされた、そこから“はっと”。

登米市にはもう一つ、石ノ森町に石ノ森章太郎さんが生まれた生家。その近くに石ノ森章太郎記念館。この日は月曜日で休館日で建物の中には入ることはできませんが庭には入ることができて写真を
























仙台のフェリー乗り場へ下見

翌日に乗船するフェリーも停泊中に被災したようでその事が展示されていました




夜はネットで、やり取りしていた山登り、テレマークスキーをされる方、なんと愛知県の方で仙台に単身赴任の方と。





10月に転勤で、まて中部圏へ

楽しく、スキー、山の話を肴に美味しいお酒。




























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穏やかな三連休

2024-10-14 17:03:26 | 身の回り
久しぶりに3日間天気が良い連休。
1日目は名古屋東京日帰り

朝4時に名古屋を出発、豊田インターチェンジ経由で。月に数回名古屋東京日帰りしますが、この日はいつもとは異なり上りが朝から車が多いです。
普段から運転に慣れていない運転手も多く、突然の車線変更、追い越し車線での低速走行、など。
危険予知運転で

富士山も朝の光で紅く

富士山の近くの愛鷹山の脇を日が昇ってきています。この愛鷹山、元々は富士山と同じ山容、崩れて今のような形。富士山の将来の姿と言われています。

実家近くの東京、神明社。
子供の時には”天祖神社“。当時はもっと鬱蒼とした神社でした。学校帰りによく友達と隠れんぼ、缶蹴りなどをして遊びました。

神社の一角では地元の老舗の和菓子屋さんの出店。どら焼きを買いました。

卒業した小学校では隣の幼稚園の運動会を。

校庭からは子供達の元気な声が聞こえてきます。

近くの昔からある喫茶店で。
現在東京で営業している喫茶店の中でも最も古いお店の一つと言われています。

名古屋とは違うナポリタン。



所要を済ませて、神奈川県登戸の父の墓参りを。

ところで今、東名高速道路では下り線で御殿場まで大規模な集中工事。天気の良い三連休、そして集中工事での車線規制で、往路は3時間半でしたが復路は7時間。予想通りだったのでゆっくりと。
名古屋を朝4時に出発して夜7時過ぎに戻ってきました。

連休半ばの翌日は近所の神社の秋祭りへ
八事の五社宮



ここは日本でも数少ない五つの神様を奉る神社
・天照大御神
(あまてらすおおみかみ)
・月夜見尊
(つきよみのみこと)
・五百箇磐石尊
(いおついわむらのみこと)
・豊受大神
(とようけのおおかみ)
・ 須佐之男命
(すさのおのみこと)



様々な神事が行われます。子供の時にも近くの神社、天祖神社で同じく秋祭りを。その時と同じく、子供達の歓声の中で神事が行われました。街なかの神社らしい、地元に溶け込んだ神社

とても小さな神社ですが、由緒ある神社。

ここ八事には8つの坂が一つに集まっています

八事にあるカニ専門店でお弁当を“名古屋市のクーポン”で。
お弁当を買って八事興正寺へ

徳川家の菩提寺

奥にある普門園近くの東屋(四阿 あずまや)へ。外でお茶ができるようになっています。風が通って涼しいです。ときおり流れる寺の鐘の音。昼には近くの教会の鐘も鳴ります。日本的な鐘と西洋の鐘、その両方の音を楽しめます。



近くの和菓子屋さん”菓宗庵”さんで買った栗きんとん。この時期、名古屋の和菓子屋さんではどこでも栗きんとんが作られて売られています。
心地よい風を感じながら秋の味覚

つい最近まで暑かったですが木々も赤くなり始めています。




この日は普門園の”菊花の室礼“

菊に因んだ品々



















岐阜県で採掘されていた“菊花石”

お茶室から外を見ると

蹲(つくばい)に菊の花が

秋の涼しい風を感じながら寺の鐘の音を聞いていると、穏やかな気持ちになります
菊をと中庭を観ていると、”菊花茶をどうぞ“と。菊の花で抽出されたお茶。食用菊を使っているそうです。苦味が心地よく、美味しくいただきました。






四季桜、別名冬桜も一輪、二輪と。冬に咲く桜
これからは桜の淡いピンク色と紅葉の赤色、黄色のコントラストが素敵な季節に。

普門園の“菊の室礼”へ行くとサロンでの抹茶セットが安くいただけます。

家に戻る途中に先ほどいただいた栗きんとんを買った”菓宗庵“さんで
名古屋コーチンを使った和菓子を

お店の中には香ばしい卵の香りが漂っています。



























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