ふっ と想うこと

山・雪・風・人、徒然なるままに--

色々と想うこと

2021-07-12 09:32:08 | 身の回り
母親がショートステイをしている施設へ色々と手続きを。
とりあえずショートステイをしていますがそのまま特養へ入所方向へ。
できてまだ数年、そしてスタッフも若く、雰囲気も良い感じ。実家から近く、一時期住んでいた場所にも近く、静かな場所。
ケアマネジャーさんと色々とお話しをさせていただいて運良く入所。
母親も楽ちん、と喜んでいますし。
ところで、実家のある某区では新たな特養がどんどん作られています。しかし、今回の施設の方々とお話しをさせていただいていて、深刻な状況が。新しい施設が作られても収容人数よりも大幅に少ない人数しか収容できていないとのこと。理由はスタッフ不足。建物はできても半分近くしか使用していない場所も多いと。また、あと数年後に団塊世代が施設に入り始めるので更に入所するのが至難の業となる、とのこと。
母も父が亡くなってからすぐに近所の人達とデイサービスへ通い始めて愉しんでいましたし、昔、中国にいたこともあり、中国人スタッフと片言の中国語を話すのが楽しいと。デイサービスに通うまでに2年近くかかることもありデイサービスすら大変な人達がいますよ、とケアマネジャーさん。
新しい施設では、部屋で晩酌もできるとのことで、ワインの好きな母にも良いかな。
昼過ぎに実家へ
二週間後には東京でオリンピック
でも、街中は全く盛り上がっていません。
商店街も沢山の人達。ただ違うのは皆さんマスクをしていて余計に目がギラギラと。やっぱり異様な光景です。
人混みを避けてお昼
半世紀近く前に通っていた小学校の近く。その当時は今の蕎麦屋ではなく違うお店でした。どんなお店だったかな?
強烈な暑さの中での冷たいお蕎麦は美味しかったです。
食後は人混みを避けてブラブラと。

小学校へ。昔の場所と同じ場所にある音楽室。
小学校時代には吹奏楽部。ここでは毎日、そして日曜日も練習していました。ちょうど小学校時代に日本初の歩行者天国が銀座で始まりました。そのために当時はほぼ毎週日曜日にマーチングをしていました。今から考えれば結構ハード、日曜日に遊ぶ時間は少なかったと(塾にも通っていたので)。
そんな時に毎日、学校帰りに小学校の前にある神社で友達同士遊んでいました。



昔は鬱蒼とした森の中でしたが、綺麗に整理されて明るいお社に。伊勢神宮の東京唯一の分社として多くの人たちが訪れるように。子供の時は人も少なく、また、そんなに由緒ある神社とは思わず、お社の中でかくれんぼや缶蹴りをしていました。
実家へ戻って色々としてから夕方に名古屋へ

夕方に暑さもマックス。











名古屋へ深夜24時過ぎに

本日の走行距離は700Km強。
本当ならば実家に一泊するのですが、東京の緊急事態宣言のために高速道路の休日割り引きなし、そのために、名古屋を朝4:00前に出て24:00過ぎに名古屋へ、深夜割引を。
それにしても、日本はもう滅茶苦茶ですね。
オリンピックの無観客、世界の何処を見ても日本の感染者数は極端に少ないですね。しかも、死者、重傷者も格段に少ないです。高齢者のワクチン接種も進み死者が減っいて、一方、若者たちが感染しても重症化しない、とのこと。何故、経済を止める馬鹿な判断を日本政府、官僚組織はおこなうのか?
更に、経済、ということを考えるならば高速道路の休日割り引きもこれだけシステム化されているならば停止という暴挙に出ることは無いと。休日の午前中の下り線、午後の上り線について規制をかければ良いのであって東京近辺と関係無い地方は規制する必要なしと。ひとえに、休日の収入減のために休日割り引きをやめたがっている各高速道路会社の思惑通り。
イギリス、その他の国では”with コロナ“と、つまりこのウィルスは完全に撲滅できないならば、ウイルスがあることを前提にした社会生活を目指すべき。今の日本は第二次大戦前夜と同じく、ウイルスゼロまで突っ込んでいく“一億玉砕”状態。東京への緊急事態宣言などはもってのほか。
本当に日本は劣化していると。ここまで統治能力、組織力が落ちたのか?と。
武漢肺炎という、ある意味戦争状態の非常時に今まで、なんとか取り繕っていた戦後日本社会の綻びが露呈した感じ。
















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