ふっ と想うこと

山・雪・風・人、徒然なるままに--

赤ん坊の泣き声

2012-11-29 20:16:48 | 社会・経済

赤ん坊の泣き声に抗議してJALの出発を遅らせた漫画家がインターネットの世界のみならずマスコミでも話題に。

併せてイギリスでは、赤ん坊を下さないとバスを発車させない、と言って泣いている赤ん坊を強制的に降ろさせた運転手の画像も。

欧米では、赤ん坊が泣かなくなる歳まで、公共の場に出さないということがマナーとして考えられていました。

ただ、時代も変わって、社会の赤ん坊の泣き声に対する考え方も変化しているので、必ずしも、赤ん坊を抱えた親たちが家に閉じこもるのがよいのか?あるいは、ある程度、赤ん坊の泣き声を社会で受け入れてもよいのでは、と思います。

ただ、最近の親、特に若い母親には、どうかと思う人が増えているのも事実。バス、電車で並んでいる列に乳母車を強引に突っ込んできて”子供優先でしょ!”と言わんばかり。また、年寄りを押し分けて乳母車を押しこんでくる母親たち。

先日もバス停で先に並んでいたお年寄りがゆっくり動いているところに強引に乳母車を入れてきた若い女性がいたので睨み付けたら、申し訳なさそうにするでもなく、プッ、と横を向いていました。

また、レストランで子供が走り回っていたり、大声で泣いていても関心なく、お母さんどうしで話し込んでいる光景。

日本人はもともと、周りの目を気にして申し訳ないと思う人たちに対してそれを許容する寛容さ、というものを”間(ま)”として持ち合わせていたと思います。

それが、いつの間にか、”自分中心に”育った若いひとたちが、”自分中心に”子供たちを引きづり回している光景も、海外から見ると異様な光景かもしれません。深夜に眠そうにしている子供を連れてレストランに入っている風景、よく見ます。

”人に対する寛容さ”はもちろん、大事ですが、”人に寛容を強要すること”は少なくとも問題なのでは?

”人から見られている”がゆえに”自己の道徳的行動を律している””恥の文化”

日本には”美徳としてきた””恥の文化”がなくなってしまった自己中心的な人たちの集まりになってしまったんでしょうか?

コメント
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