J's日誌

中小企業診断士、経営管理修士(MBA)、事業再生士補、AFP。某NPO法人フットサル連盟副理事長。

私の履歴書(27)転職して北海道へ

2007-06-27 05:18:07 | Autobiography
こうして、前年にトルコ-セネガルを見ていた
同じ時期、前年に受けるはずだった試験を受けた。

採用枠は1人、応募者は5人で自分以外はUターン
就職ぽい人ばかりだったが、自分としても試験前
には土日と大学の図書館で勉強したり、それなりに
準備をして臨んだので、正直言って自信はあった。

まあ、自分の命がかかっているので必死だった。



筆記試験で5人から3人に絞り込まれた。ここでも
自分以外の2人はUターン組という感じがありあり。

最終面接で、「他社にいるあなたの目から見て、
当社に何が足りないと思いますか」
という質問が
あり、事前に準備していた決め台詞をガツンと発した。

「危機感が足りないと思います」

この答えが効いたのかどうかは分からないが、
結局Uターン組2人は落ち、自分が採用された。



10月に無事採用が決まって、今度は退職手続き。

会社を辞めます、と上司に言ったときは
全てがクリアになったような清々しさを感じた。

それなりには慰留されたが、もうこの会社で第一線で
活躍し続けられるとも思えなかったし、何よりも
ここ数年の社内の雰囲気には耐えられなかったのだ。



その年末に退職して、翌年4月1日に配属される
までのちょうど3ヶ月間、プー生活を送っていた。

何故年末なの?とは言われたが、年度末の忙しさは
嫌というほど知っていたので、収入がなくなっても
その繁忙期に入る前に逃げ出したかったのだ。

実際には年が明けてから「バイトしないか」とか
つまらないオファーがあったが、これまたバイトが
ボロ雑巾のように使われている実態を見ていたので
絶対に目先の小銭には釣られまい、と断り続けた。

#大体、辞める人間には辞めるだけの理由があるのに、
 その気持ちも推し量れずに目先のノルマとか作業しか
 見ることが出来ないから、そんな無神経かつ非常識な
 オファーを出してくるのだ、と同僚を哀れにすら思った。



不思議と、北海道へ行くことの不安とか
そういうものは全く感じなかったし、
そもそも北海道が遠いという感覚もなかった。

だって、飛行機に乗れば1時間半で着く。
新幹線でいえば名古屋だ。大阪より近い。

そういう、時間距離で物事を考える習慣が
ついたのも、出張で全国を飛び回った経験
からなのかな、と思う。(続く)
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