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「中小企業診断士って何?」と聞かれたら、
「中小企業を対象とする、
経営コンサルタントの日本唯一の国家資格」と答えるようにしている。
一個人として、その能力があることを公的に認めてもらいたい、
振り返ると、その思いが自分のエネルギーの源泉だったように思う。
最後に、6年間のモチベーションを支えたものについて書いてみたい。
それは意図したものというよりは、後から振り返って分かったことなのだが。
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「私の履歴書」本編にも書いたが、自分はシンクタンクというか経営
コンサルティングを行う会社に勤め、そして転職して現在に至っている。
前の会社にいたとき、よく言われたのは
「我々は社員ではあるけど、
実際には会社の看板を借りて個々人が営業しているフランチャイジー、
個人事業主のようなものだ。会社の名前がなければ仕事は取れないが、
個々人としても社会から十分認められるような実力を身につけ、さらに
そうした個人が集まることで組織としての力を発揮するべきだ」ということ。
それはその通りで、クライアントからすれば会社の名前で報告書が
提出されるから安心して各方面に説明が出来るわけだし、同じ内容を
自分個人の名前で提出しても、全く取り合ってもらえなかっただろう。
そこに、シンクタンクやコンサルティングファームの存在価値がある。
一方、社員にとっては社内で周囲から受ける知的刺激に大きなものが
あって、あの時代の経験が今の自分に非常に役立っているのもまた事実。
一人の人間としても、組織の中で力を蓄えることが出来たと思っている。
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では、何故、自分は前の会社を辞めたのか。
それは、アルコール依存になりかかるくらい仕事のストレスを抱えて
会社が求めるノルマに限界を感じ始めていたことと、成果主義の報酬
体系が自分自身のワーク・ライフバランスと整合しなくなってきたこと。
そして、今思うとこれが最も大きいのだが、長期休暇制度の変更。
毎年、有休の他にいつでも(仕事の調整さえすれば)2週間連続で
休めた制度が、1週間はお盆に強制的な全社休業になってしまった。
多分、自分の本能的なコンサル魂が、この
「センスのない」制度改正に
対して拒否反応を示したからなのではないか、と最近思うようになった。
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自分は、顧客が休んでいる時にコンサルが働いてこそ効率的に物事は進み、
資料も顧客が次に出てきたときには出来上がっている、そういう仕事の
進め方をするのが、コンサルタントとして本来あるべき姿だと思ってきた。
だから、土日もお盆も年末年始も普通に出社して資料を作っていたし、
大晦日の晩に一人、徹夜で資料作成をしたこともある。そうしなければ
年明けからのスケジュールが非常に苦しくなるのが分かっていたからだ。
ワーカホリックと言われるかもしれないが、そうやってずっとやってきた。
その代わり、仕事が一段落したら2週間、土日を前後に足して16日間の
休暇を取り、海外へ行く。リフレッシュして戻ってきてまた1年間頑張る。
そんなメリハリがあったから、何年も毎月残業100時間以上の生活を続けられた。
サバティカルではないが、毎年有休以外で2週間休めたのは非常に大きかった。
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ところが、ある年に就任したシャチョーは、まるで工場のラインを止めるかの
ように全社一斉休業の制度を導入した。これによって、2週間休暇のうち1週間
はお盆休みの一斉休業に振り替えられ、どんなクライアントがいるのか、どんな
事情があるのかも関係なく、全社休業だからその間は対応できません、と言う。
(最近はお盆以外にも、GWや年末年始には9日間の一斉休業としているようだ)
そんなコンサル側の理屈を、クライアントに押しつける制度改正をしたわけだ。
ふざけるな。誰からコンサルタントフィーをもらい、誰のために働いているのか。
この、センスのない、コンサルティングファームとして先進的だと思っていた
制度設計を逆行させるかのような全社一斉休業制に本能的に失望したのが、
多分自分が転職した本質的な理由だったんじゃないか、と今では思っている。
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さて、平成16年に転職して、前の会社の看板はもう使えなくなった。
でも、自分の仕事の進め方における基本は、他人にとって有用な情報を収集し、
自分の考えや分析を加えて提供し、相手の進むべき方向についてアドバイスを
行う、いわば
コンサル魂にあると思っている。
それは今の会社に移ってからも、どんな職場でも通じるものだと思っているし
残業手当がつこうがつくまいが、必要とあらば休日だって普通に出社している。
就業規則とか労働契約とか、決まりごとを超えたところで仕事しているのだから。
そういう自分が、一人の人間として、一人のコンサルタントとして、何か公式に
認められたい。また活躍の場があるなら、自分に対してフィーを払ってくれる人、
組織なのかクライアントなのか分からないが、そのために自分の力を注ぎたい。
多分、そんな思いが、6年間の長い試験勉強を支えていたのではないかと思う。
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最後に、試験を終えて思ったことを書いて終わりとしたい。
受かるまで諦めなければ、いつか必ず受かる。
自分は諦めの悪い人間だし、やるときは徹底的にやる人間だ。
自分が自分を信じて努力しているのであれば、それが実を結ぶまでは
絶対に、絶対に諦めてはいけない。そのことは、6年間思い続けてきた。
でも、6年で終わって良かった。今はただ、ただほっとしている。
そして、試験合格はゴールではなく、診断士としてのスタートラインに
立ったに過ぎない。実務補習も含め、これからがスタートだ。(この項終わり)
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明日からまた通常の日誌に戻ります。

