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J's日誌

中小企業診断士、経営管理修士(MBA)、事業再生士補、AFP。某フットサル連盟理事、某地区サッカー協会理事。

人生の目標のはなし3

2023-12-20 23:59:59 | Autobiography

 

 

もう一つ、「DIE WITH ZERO」で印象に残った話を。

 

人生で一番大事なことは何か?それは「経験、思い出づくり」だと。

自分が死ぬ間際、いくら資産が残っていても幸せには感じないだろうが

心に残る思い出や体験、経験は満足感につながり、もっと重視すべきだと。

 

これは自分も深く同意するもので、今後の人生で時間やお金を

使うとすれば、自ら行う体験や経験、思い出に残るものだろう。

 

そしてそれは自分だけの話ではなくて、妻と一緒に過ごす時間、

ともに行う経験のためにリソースを割くべき、と強く思っている。

 

 

例えとして適切かどうか分からないが、ヴァンフォーレ甲府という

J2クラブながら昨年の天皇杯に優勝し、ACLに出場しただけでなく

グループリーグを首位で突破して、まだ旅を続けているチームがある。

 

もし自分が甲府のサポーターだったとしたら、天皇杯の決勝とか

ACLのアウェイ戦は人生でもなかなか経験出来ないことかも知れない。

 

#別の例としては、推しのアーティストの、ここぞというライブとか

 

その時、仕事があるから行けなかった、お金がなくて行けなかったと

したら、きっと死ぬ間際に激しく後悔するだろうし、何のために仕事を

していたのだろう、と思うのではないか(少なくとも自分は思うだろう)。

 

じゃあどうすれば良いのかといえば、仕事を辞めてでも借金をしてでも

その時にしか経験できない体験を、思い出を得るために向かうことこそが

人生において満足度を高める選択なのではないか、と改めて思うようになった。

 

 

つまり、やりたいこと、人生におけるプライオリティの高い経験は

計画的に準備できるケースもあるし、突然チャンスが来ることもある。

 

その時、時間とお金を気にせず投入できること、それこそが人生における

豊かさであり、満足度を高める要素として準備しておくべきことではないか。

 

実は自分はそのようなシチュエーションを経験しており、フランスW杯の

第3代表決定戦、イラン戦@ジョホールバルへ、試合数日前に決めて行った。

 

#もしももう一度同じ状況だったら、100万円出しても惜しくないと思う

 

ああいう事態が今後の人生で起こるかどうかは分からないが、ここぞという

場面で躊躇せず決断出来るかどうかも、人生の満足度を左右するのではと思う。

 

(この項、終わり)

 

今夜はBee食堂で定食を

 

もちろん妻も一緒に

 

 

で、東京は次いつACLに出られるのか(-_-;

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人生の目標のはなし2

2023-12-19 23:59:59 | Autobiography

 

 

今後、何を目標に自分の人生を進めていくのか。

 

休んでいる間、そんなこともずいぶん考えたし、自分の

周囲でも役職定年であったり、出向等で人生に一区切りを

つける友人が増えてきており、もうそういう年齢なんだなと。

 

幸い、自分自身は望めばもう少しの間、第一線で働くことも

出来る環境にあるが、そのためにどこまで無理をすべきなのか。

 

周囲でストレスを抱えながら無理をしている人はいるが、

自分にそれをする必要性というか、理由はないと思っている。

 

 

DIE WITH ZERO」という書籍から受けた影響も大きい。

 

要は、どんなに資産を築いてもあの世には持って行けない

わけで、死ぬ時にゼロになるよう使い切るのが一番だ、と。

 

自分の寿命が分かっていればそれも出来るだろうが、実際には

それが分からないので、節約して貯め込んでしまうのだろうけど。

 

実は自分も前職時代に、増えていく銀行残高と、反比例して

病んでいく自分自身の精神状態を比べて、棺桶にいくら札束を

入れたところで意味がない、ダウンシフトしようと思ったのだった。

 

 

組織に帰属していることの心地良さは否定しないが、

それはリタイア後の喪失感にも繋がるわけで、諸刃の剣。

 

この組織にいなくても自分の居場所だったりやりたいことを

実現出来るよう、これまでもNPO活動や診断士活動をしてきた。

 

今後の数年間は、それに加えて自分自身が残りの長い人生に渡って

取り組めるような趣味や、時間・金銭の使い方を考えて、準備したい。

 

金銭的には裕福でなくても、時間という資源は圧倒的に増える

リタイア後の人生、リソースの使い方はこれまでと変わってくる

はずで、いざそのときになって慌てないよう、今からよく考えたい。

 

夜は家ごはん、黒ガレイの煮付けが旨し

 

 

やりたいことはいろいろあります(-_-;

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人生の目標のはなし1

2023-12-18 23:59:59 | Autobiography

 

 

今年の3/21のブログで、読者の方から、モチベーション維持や

生きていく上での目標管理みたいなものがあれば参考にしたい、

とのコメントをいただき、年末のこの時期に考えてみたいと思う。

 

今年は仕事を1ヶ月半近く休むことになり、自分の人生や働き方に

ついて、これまでにないほど真剣に考える契機となったのは事実。

 

正直いうと、これまでのようなペースで働くことの意義は

見出しにくくなっているが、そもそも自分にとっての目標とか

働き方を含めた価値観はどうだったのか?という気もしてきている。

 

古くからこのブログを読んでいただいている方であれば

ご存知かと思うが、実は自分の前職での働き方もまた心身に

激しい負担をかけるものであり、あれ以上は続けられなかった。

 

 

その意味では、転職・北海道移住した時点で自分としては

それまでのキャリアのような生き方を一度捨てたわけであり、

こちらに来て働き方をダウンシフトしたつもり、ではあった。

 

それがいつの間にか同じようなストレスを抱える状況になった

のは、周囲の自分に対する期待に応えようとしたためでもあるが、

見方を変えれば、それは成り行き任せのキャリアパスというか、

きちんと自分の生き方を描いてこなかったから、とも言える。

 

気がつけば、という言い方は適切でないかも知れないが、

組織の中にいる以上、キャリアが進むにつれて責任も重くなり

プレッシャーがかかる立場になるもので、それを回避するなら

かなり意図的なダウンシフトをする必要があったのだと思う。

 

 

だが、組織内で意図的にダウンシフトする生き方を選ぶのも

実は簡単ではなくて、高い評価をされていると、ついつい

その流れに乗ってみようか、という誘因があるのもまた事実。

 

それに抗う、とまで言わなくても、自分に何らかの選択肢が

明確にあればまた違った結果になったのかも知れない、とは思う。

 

この後の人生の選択において、どこまで自分の権利を主張出来るか

分からないが、これ以上の無理をするつもりはない、とは思っている。

 

夜は家ごはん、妻作親子丼が旨し

 

 

長くなってきたので、続きは明日に(-_-;

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「私の履歴書」外伝・診断士受験編(8)自分が受け続けた理由

2009-01-13 00:00:01 | Autobiography


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「中小企業診断士って何?」と聞かれたら、「中小企業を対象とする、
経営コンサルタントの日本唯一の国家資格」
と答えるようにしている。

一個人として、その能力があることを公的に認めてもらいたい、
振り返ると、その思いが自分のエネルギーの源泉だったように思う。

最後に、6年間のモチベーションを支えたものについて書いてみたい。
それは意図したものというよりは、後から振り返って分かったことなのだが。



「私の履歴書」本編にも書いたが、自分はシンクタンクというか経営
コンサルティングを行う会社に勤め、そして転職して現在に至っている。

前の会社にいたとき、よく言われたのは「我々は社員ではあるけど、
実際には会社の看板を借りて個々人が営業しているフランチャイジー、
個人事業主のようなものだ。会社の名前がなければ仕事は取れないが、
個々人としても社会から十分認められるような実力を身につけ、さらに
そうした個人が集まることで組織としての力を発揮するべきだ」
ということ。

それはその通りで、クライアントからすれば会社の名前で報告書が
提出されるから安心して各方面に説明が出来るわけだし、同じ内容を
自分個人の名前で提出しても、全く取り合ってもらえなかっただろう。
そこに、シンクタンクやコンサルティングファームの存在価値がある。

一方、社員にとっては社内で周囲から受ける知的刺激に大きなものが
あって、あの時代の経験が今の自分に非常に役立っているのもまた事実。
一人の人間としても、組織の中で力を蓄えることが出来たと思っている。



では、何故、自分は前の会社を辞めたのか。

それは、アルコール依存になりかかるくらい仕事のストレスを抱えて
会社が求めるノルマに限界を感じ始めていたことと、成果主義の報酬
体系が自分自身のワーク・ライフバランスと整合しなくなってきたこと。

そして、今思うとこれが最も大きいのだが、長期休暇制度の変更。
毎年、有休の他にいつでも(仕事の調整さえすれば)2週間連続で
休めた制度が、1週間はお盆に強制的な全社休業になってしまった。

多分、自分の本能的なコンサル魂が、この「センスのない」制度改正に
対して拒否反応を示したからなのではないか、と最近思うようになった。



自分は、顧客が休んでいる時にコンサルが働いてこそ効率的に物事は進み、
資料も顧客が次に出てきたときには出来上がっている、そういう仕事の
進め方をするのが、コンサルタントとして本来あるべき姿だと思ってきた。

だから、土日もお盆も年末年始も普通に出社して資料を作っていたし、
大晦日の晩に一人、徹夜で資料作成をしたこともある。そうしなければ
年明けからのスケジュールが非常に苦しくなるのが分かっていたからだ。

ワーカホリックと言われるかもしれないが、そうやってずっとやってきた。
その代わり、仕事が一段落したら2週間、土日を前後に足して16日間の
休暇を取り、海外へ行く。リフレッシュして戻ってきてまた1年間頑張る。

そんなメリハリがあったから、何年も毎月残業100時間以上の生活を続けられた。
サバティカルではないが、毎年有休以外で2週間休めたのは非常に大きかった。



ところが、ある年に就任したシャチョーは、まるで工場のラインを止めるかの
ように全社一斉休業の制度を導入した。これによって、2週間休暇のうち1週間
はお盆休みの一斉休業に振り替えられ、どんなクライアントがいるのか、どんな
事情があるのかも関係なく、全社休業だからその間は対応できません、と言う。
(最近はお盆以外にも、GWや年末年始には9日間の一斉休業としているようだ)

そんなコンサル側の理屈を、クライアントに押しつける制度改正をしたわけだ。
ふざけるな。誰からコンサルタントフィーをもらい、誰のために働いているのか。

この、センスのない、コンサルティングファームとして先進的だと思っていた
制度設計を逆行させるかのような全社一斉休業制に本能的に失望したのが、
多分自分が転職した本質的な理由だったんじゃないか、と今では思っている。



さて、平成16年に転職して、前の会社の看板はもう使えなくなった。

でも、自分の仕事の進め方における基本は、他人にとって有用な情報を収集し、
自分の考えや分析を加えて提供し、相手の進むべき方向についてアドバイスを
行う、いわばコンサル魂にあると思っている。

それは今の会社に移ってからも、どんな職場でも通じるものだと思っているし
残業手当がつこうがつくまいが、必要とあらば休日だって普通に出社している。
就業規則とか労働契約とか、決まりごとを超えたところで仕事しているのだから。

そういう自分が、一人の人間として、一人のコンサルタントとして、何か公式に
認められたい。また活躍の場があるなら、自分に対してフィーを払ってくれる人、
組織なのかクライアントなのか分からないが、そのために自分の力を注ぎたい。

多分、そんな思いが、6年間の長い試験勉強を支えていたのではないかと思う。



最後に、試験を終えて思ったことを書いて終わりとしたい。


受かるまで諦めなければ、いつか必ず受かる。


自分は諦めの悪い人間だし、やるときは徹底的にやる人間だ。
自分が自分を信じて努力しているのであれば、それが実を結ぶまでは
絶対に、絶対に諦めてはいけない。そのことは、6年間思い続けてきた。

でも、6年で終わって良かった。今はただ、ただほっとしている。
そして、試験合格はゴールではなく、診断士としてのスタートラインに
立ったに過ぎない。実務補習も含め、これからがスタートだ。(この項終わり)




なかのひと


明日からまた通常の日誌に戻ります。
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「私の履歴書」外伝・診断士受験編(7)難しさの本質

2009-01-12 00:00:01 | Autobiography


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診断士試験は、(資格の知名度に比べると)非常に難しい。

毎年の合格率を紹介したので、多少は分かるかもしれないが、
何度も受けては落ち続け、その難しさの本質を理解した気がする。

合格することが出来た今、その話をちょっとしておきたい。



最初に思ったのは、「試験の範囲が何て広いんだ!」ということ。

#もしこの資格に関心のある人がいれば見ていただきたいが、
 ここの12~19ページに1次試験の出題範囲が載っている。

1次試験は、8月上旬の土日、2日間かけて行われ、初日が
経済学・経済政策(60分)、財務・会計(60分)、企業経営
理論(90分)、運営管理(オペレーション・マネジメント)(90分)


2日目が経営法務(60分)、経営情報システム(60分)、
中小企業経営・中小企業政策(90分)
の7科目である。

2日間で8時間半。マークシート方式とはいえ、問題によっては
微妙な選択肢も多く、各科目合格ラインである6割を取るためには、
しっかりとした準備(一説には1,500時間程度)をしておく必要がある。

300ページあるテキストを10冊読んでも、そこに書いていないことが
毎年たくさん出題され、ビジネスの動きに合わせて内容も年々進化する。
仕事の片手間勉強程度では、1次試験を一発でクリアするのも難しい。



しかし、個人的には1次試験の難しさは診断士試験の本質ではないと思う。

確かに1次は幅広い範囲から出題され、ゼネラリスト的能力も求められるが、
診断士試験が難しいのは、自分が何度も何度も落ち続けた2次試験にある。

経営コンサルティングに関して、全般的な基礎知識を保有しているということで
1次試験を合格した、その受かった人間のさらに2割しか2次試験に通らない。
そして、その難しさは、ある意味でコンサルティングの宿命なのかもしれない。

もし関心のある人がいれば、過去問は受験機関のサイトに載っているので
一度見ていただきたいが、その難しさを簡単に表すと、例えばこんな感じだ。



「例題:診断士試験合格のために最も大切なことを、50字以内で述べよ。」

最も大切なことって何だろう?事前の受験勉強の進め方のことなのか、
試験当日までの体調管理のことなのか、それとも試験中のことなのか。
設問文の意図はどこにあるのか、これだけでは抽象的でよく分からない。

こういう、設問の意図が抽象的で判断しにくい問題が多いのである。
実際の試験ではストーリー、与件文の文脈を理解し、事例に登場する
企業の進むべき方向性を考え、設問文の意図を解釈する能力が問われる。

もちろん試験だから、正解というか採点基準があるはずで、何を書いても
いいというわけではないが、正解例も採点基準も一切公開されないのだ。
「出題の趣旨」というものは試験後に公表されるが、あまり具体的ではない。



これは結局、コンサルティングに絶対的な正解はなく、コンサルタントが
自ら情報収集を行い、整理して戦略を考え、クライアントの置かれた状況に
応じて最も適切な助言を行うことが求められる、そういうコンサルティングの
現場を仮想的にペーパー試験に具現化したもの、それが中小企業診断士
2次試験の事例問題であり、だからこそ難しいといえるのではないだろうか。

だから、2次事例問題の答案は一種のコンサルティングレポートだ、という
受験機関もあるくらいで、例えば、第1問で指摘した課題を結果的に第4問
の助言で解決する、といった、答案全体を通じた一貫性も求められるようだ。

このことを意識した上で、どうしても設問要求が抽象的で解釈が難しい
場合にはローリスク対応、すなわち複数の要素をうまくまぶして答案に
落とし込むことで、試験対策的には毎回の得点を安定させることができた。
(最終的には、各受験機関の模擬試験でも上位10%に安定して入っていた)



こうしたツボが分かって、安定的に答案に反映出来るまで、約3年を要した。
あとは、財務・ファイナンスの能力を上げて、計算問題に対して苦手意識を
持たないだけでなく、得点源になるところまで毎日毎日問題を解き続けた。

今なら、1年でストレート合格というのは結構厳しいが、2年計画くらい
であれば(勉強時間さえしっかり確保できれば)何とか合格水準にまで
達するだろう、というくらいの試験対策ノウハウは身につけたつもりだ。

もし、今後診断士試験を目指す方がいれば、自分の経験から多少の
アドバイスは出来るかな、と思っているので、協力したい。(続く)




なかのひと


模試で全国1位を取っても、落ちた年もある。(実話)
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「私の履歴書」外伝・診断士受験編(6)絶対にあきらめない(H20)

2009-01-11 00:00:01 | Autobiography


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ついに通算して6年目となる、平成20年度の本試験に向けて再始動。
痛い目にあった財務・会計については、簿記の基礎からやり直すことにした。

簿記3級のテキストから復習し、本来はそこまでやらなくても、と言われる
簿記2級(商業・工業)までを、問題集も使って冬の間にしっかりと復習した。

これは、通常試験で出る範囲より更に広い知識を身につけておけば、
多少の難問が出ても何とかなるのではないか、ということと、いい加減
それくらいやっておかないと自分として「やりきった」という気持ちになって
落ち着いて試験に臨むことが出来ないのではないか、と思っていたからである。

この成果は大きく、財務・会計のみを受験した1次試験はあっさりとクリア。
自分は科目合格制の恩恵に預かったので関係ないが、今年の1次試験は
13,564人が受験して3,173人が合格、合格率は23.4%だった。



平行して進めていた2次対策だが、前年度使っていたDVD通信講座に加え、
夏休みの帰京時に某診断士が主宰する3日間の勉強会に参加することにした。

いくつかの新たな解法手順を身につけたこと、また多くの真剣な受験生との
メーリングリストなどによる情報交換が日々行われる中で、2次試験までの
モチベーションもしっかり保つことができ、こんなド田舎でもたった1人で
黙々と毎日事例問題に向き合い、歯を食いしばり続けることが出来たのだと思う。

今回、7年分の過去問×4事例を3回ほど解き直し、ひたすら過去問分析。
こうして受験6年目、2次試験に関していえば通算5回目の挑戦の日を迎える。



事例Ⅰ~Ⅲまではフラフラになりながらも大崩れしないような対応を心がけ、
勉強会で身につけたこと、TACで身につけたことを何とか発揮できたような。

過去問はやはり過去問に過ぎず、新しい見たこともないような問題が毎年
出るからこそ、2次試験の事例問題は難しい。それでも、何とか対応はした。

しかし、最後の財務・ファイナンス事例で、お手上げ級に難しい問題が出た。
計算問題で、答案用紙に計算結果しか書く欄がないものが35~40点分。
そしてその全てが、極めて煩雑で題意もはっきり把握できないようなものなのだ。

#後で勉強会仲間から聞いた話だが、簿記1級レベルの問題だったらしい



試験会場でパニックになりかけた時、頭の中でもう一人の自分が言った。
「多分、これは皆できない。これはできなくても、残りの問題で取れればいい。」

そう開き直り、それ以外の設問でいかに点数を確保するかに時間をかけ、
最後の瞬間まで必死で食らいついた。その判断が良かったのかは分からないが。。。

1994年のアメリカワールドカップ、準々決勝のスペイン戦の試合後に、イタリアの
エース、ロベルト・バッジョは「90分間、上り坂をずっと全力ダッシュしているような
苦しい試合だった」
とコメントしていたが、この日の自分も、まさにそんな320分間だった。



そして2次試験(筆記)の合格発表日、12月5日を迎える。

事前にLECで自分の答案を再現したもので採点してもらった結果では、
4事例ともA評価だったのだが、どうしても楽観的にはなれなかった。
18年度だってかなり手ごたえはあったのだが、それでもダメだったのだ。

10時過ぎ、診断協会のサイトに2次試験合格者の受験番号がupされる。

。。。 あった! (σ`□´)σ ゲッツ

ようやくこの瞬間、6年間越えられなかった壁を乗り越えることが出来た。
ただ、1週間後に口述試験が行われるため、まだまだ気は抜けなかった。



口述試験はほとんど落ちない試験だが、1週間かけて準備を進め、各事例
70問、4事例で280問近い想定問答集を確認しつつ、各事例の本文と各社の
模範解答を比較し、自分にとってのベスト答案を研究していたこともあって、
当日は割と落ち着いて試験官とやり取りすることができたと思う。

#実は、試験官3名のうち1名は仕事上で面識のある方だった

12/24、そう、クリスマスイブに最終の合格発表があった。
877人が受けた口述試験、合格者875人の中に入ることが出来た。
(ちなみに今年の2次合格率は19.8%、1次との通算では4.6%である)

診断士試験に向けた6年間の勉強が、やっと終わった瞬間だった。



ただ、試験に合格すれば即診断士になれるわけではない。

合格後3年以内に、15日間の実務補習を受ける必要があり、
地区の診断協会の指導を受けながら、数名ずつのグループで
5日間ずつ、3つの企業に対しての診断実務を行うことになる。

これを終えれば、正式に経済産業大臣への登録を行うことが出来る。
早速、1月下旬から3月上旬にかけて、15日間の実務補習を申し込んだ。

いずれにしても、中小企業診断士を名乗れるのはそれが終わってからだ。(続く)




なかのひと


最後の瞬間、不思議と、涙は出なかった。

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「私の履歴書」外伝・診断士受験編(5)足元をすくわれる(H19)

2009-01-10 00:00:01 | Autobiography


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試験制度改正2年目。
そしてこの年、4月に札幌から留萌へ転勤となった。

言い訳にはしたくないが、毎週末のように札幌を往復したり
フットサルでもいろいろと時間が取られるようになったりして、
正直、勉強時間は札幌の時のようには十分取れなくなっていた。

田舎に行くことでヒマが出来るのは事実なのだが、札幌や東京を
往復するための時間が、生活に占めるウェイトとして大きくなった。

それでも、その時間を有効活用しようと、ポータブルDVDプレーヤー
を購入してDVD通信講義を高速バス車中で視聴したり、工夫はした。



この年の狙いとしては、残っている1次試験4科目、すなわち
経済学・経済政策財務・会計経営法務中小企業経営・
政策
の科目合格をした上で、2次試験を一気にクリアすることである。

経営法務中小企業経営・政策はある意味で暗記科目であり、
選択肢もかなり判別の難しいものが出る。そのため準備にも
時間をかけていた。(TACの1次用テキストだけ購入して使用)

中小企業白書施策総覧も、しっかり覚えておく必要がある。

経済学・経済政策は、まあ経済学部出身なので正直そんなに
やらなくても出来るだろうとタカをくくっていたが、科目合格制が
導入されてから明らかに問題が難しくなっているし、それは財務・
会計
も同じこと。

実際、前年度も6割の合格ラインを取れずに落ちたし、しっかりと
した準備をしなければどの科目も合格することは難しくなっていた。

そして、再び8月上旬の1次試験を迎える。



実は、どの科目も余裕を持って合格できたという確証はなかった。
それくらい、試験問題自体が年々難しくなっているという面もある。

1次試験はマークシート式なので、正解が発表されると自己採点で
すぐに合否が分かる。経済学・経済政策:OK、経営法務:OK、
中小企業経営・政策もOK、さて財務・会計は。。。

あっ 足りないじゃん 号(┰◇┰)泣



結局、昨年度の3科目合格に今年の3科目合格で、6科目は合格。
しかし、2次試験受験のためには、あと1科目が足りなかった。

ちなみに、この年の財務・会計の受験者は12,455人、科目合格者
(ここには試験全体の合格者は含まない)は、たったの829人だった。

こうして、受験5年目にして、初めて2次試験に進むことが出来なかった。
自分が受けなかったこの年の2次試験は3,947人が受験し合格は799人、
合格率は20.2%だった。1次とかけ合わせると合格率は3.8%である。

そして受験5年目にしてようやく、財務・会計は本当の基礎の基礎、
イチからやらなければダメだ、と目が覚めたのである。(遅いって!)(続く)




なかのひと


この年、じっくりと考え直したのが良かったのかな。
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「私の履歴書」外伝・診断士受験編(4)試験制度改正(H18)

2009-01-09 00:00:01 | Autobiography


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平成13年度から新制度になった診断士試験も5年が経過し、
平成18年度実施分の試験から、若干の制度改正が行われた。

具体的には、8科目の1次試験科目のうち、「新規事業開発」
なくなって7科目になったのと、試験時間・配点が若干変わった。

そして税理士試験などと同様に1次試験に科目合格制が導入され、
3年間で7科目に合格すれば1次合格の権利が得られることになった。
(それまでは、1次試験は毎年全科目を受けなければいけなかった)



昨年度に1次試験に合格しているので、今年は1次試験を受けなくても
2次試験受験の権利はある。ただ、自分でもこれだけ毎年落ちるとちょっと
長期戦になりそうな予感もしていたので、準備は全くしていなかったが
科目合格制導入のメリットを少しでも活かそうと、とりあえず地頭だけで
1次試験も受けておくことにした。

結果、7科目全てに合格とはいかなかったが、企業経営理論運営管理
(オペレーション・マネジメント)
経営情報システムの3科目に科目合格。
もし来年度1次試験を受ける場合、残りの4科目に受かればいいわけだ。

#昨年受かった1次試験も、準備しなければこの程度の結果、とも言える

ちなみにこの年の1次試験、12,542人が受験し合格は2,791人。合格率は
22.3%だった(この中には科目合格者は含まれず、全7科目の合格者のみ) 。



また、2次試験についても、この年から若干の制度改正があった。

受験生の間では、2次試験の採点基準が分からない、どれくらい自分の
点数が取れているのか全く分からないことへの不安が大きく、そうした
声を受けて診断協会から不合格者に対して科目ごとの得点ゾーンが
通知されることになった。

A:60点以上、B:50点以上60点未満、C:40点以上50点未満、D:40点未満。

ちなみに2次試験は4つの事例を解いて、合格基準は「トータルの得点が
6割以上、かつ、4割未満の科目が1つもないこと」
とされている。(変更なし)



そして、この年からTACに宗旨替えし、DVD講義を受けていたのだが、
このTACのメソドロジーが自分にとっては非常に合っていたように思う。

要は、設問要求がAという回答を求めているのか、Bという回答を
求めているのか分かりにくい、抽象度が高いのが2次事例問題の難しさ。

それなら他の受験校が解釈を決めつけているのとは異なり、判断に迷ったら
×にならないよう「AもBも」
というローリスクの回答にすれば大崩れは防げる。

このローリスク対応は自分でも手応えがあり、今年はいけるかな、と思った。
事例Ⅳでキャッシュフロー計算書を間違えたのだけが心残りだったが。。。



結果はまたしても、またしても不合格。さすがにこの時は落ち込んだ。

この年の2次試験は4,014人が受験して合格805人、合格率は
20.1%だった。 1次とかけ合わせると最終合格率は4.5%である。

そして、合格発表から数日後、自分の得点ゾーンを記した
ハガキが診断協会から送られてきて、愕然としたのだった。

事例Ⅰ:A、事例Ⅱ:B、事例Ⅲ:A、事例Ⅳ:B

ということは、どんなに低く見積もっても220点以上は取れている。
合格ラインである240点までどんなに多くても20点、ひょっとすると
あと数点だったのかも。
もし、キャッシュフロー計算書が出来ていれば。

しかし試験は結果が全て。どんなに惜しくても不合格は不合格だ。
ただ、勉強を始めてから一番診断士に近づいた瞬間だったかも知れない。(続く)




なかのひと


この時は、立ち直るまで本当に時間がかかった。
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「私の履歴書」外伝・診断士受験編(3)やっと本腰になる(H17)

2009-01-08 00:00:01 | Autobiography


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1次試験からの再出発となった平成17年度。

試験内容には時事的なものもあるし、法律・制度改正なども
ある。さらに、毎年出題分野の広がりもあるので、15年度の
試験用に使っていたテキストは古くて使い物にならなかった。

特にこの時期、企業会計制度の変更や、会社法の改正など、
財務・会計、経営法務、中小企業経営・政策などに影響を与える
大きな変化が起こっており、各科目の出題分野の広がりも予想された。

そこで、LECの1次試験・通学講座に毎週土曜日通うことに。
札幌では珍しく、現役の診断士が教室で直接講義をしてくれた。
(地方は受講者が少ないため、ビデオ・DVD講義のケースが多い)



実際の診断業務の話なども合間に聞けて良かったのだが、
8科目の1次試験を改めて基礎からやり直すのは結構大変。

それでも、2度目の1次試験ということもあり、合格ラインである
6割は楽にクリアして合格、みたび2次試験に臨むことになった。

#この年の1次試験は11,000人受験して合格2,445人、
 合格率は22.2%だった



17年度、もちろん過去2年よりは出来たつもりなのだが、
やはりこの年、1次試験対策に時間を費やしたせいか2次
試験の準備は手薄で、手応えは十分とは言えない感じだった。

また、実はこの頃から、単純に与件文を色分けすれば何とか
なる、という当時のLECの解法についても限界を感じ始めていた。

そして、この年も結果は不合格。3度目の正直もならなかった。
この年の2次試験は3,589人受験で合格702人、合格率は19.6%だった。

1次試験とかけ合わせると合格率は4.4%、なかなか合格側に入れない。(続く)




なかのひと


どうやったら受かるのか?が見えない時期だったと思う。
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「私の履歴書」外伝・診断士受験編(2)札幌での初受験(H16)

2009-01-07 00:00:01 | Autobiography


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平成16年4月、東京から札幌に転勤というか移住した。

同時に、LECの札幌校で2次対策講座を受講することに。
ビデオ講座で演習問題をこなすうちに、何となく2次試験の
事例問題の解き方というか、分析の仕方が分かってきた。

通称SWOT分析というのだが、事例の与件文を読みながら
S:Strength(強み)、W:Weakness(弱み)、O:Opportunity
(機会)、T:Threat(脅威)
に当たる部分を読み分け、例えば
強みと機会を青色で、弱みと脅威を赤色でマーキングしていく。

これによって、設問の要求に応じて当該企業の強み・弱みは何か、
どのような機会や脅威に対応してどんな戦略を講じるべきか、と
いった内容を、与件文からキーワードを抜き出したり加工・編集
して答案を作成していけば良いのだろう、と理解して解いていた。

最初はどこが強みでどこが弱みなのかよく分からなかったが、
解説を聞いてきちんと塗り分けられた問題文を見て満足していた。

そう、問題用紙に色を塗って、それだけで満足していたのである。



こうして2回目の2次試験を迎える。

事例Ⅰ(組織・人事)、事例Ⅱ(マーケティング)、事例Ⅲ
(生産)までは色を塗り塗り、それなりの手応えがあった。

しかし、事例Ⅳ(財務・ファイナンス)は違う。

事例の与件文とは無関係に、解き方を分かっていないと
出来ない計算問題が多い。テキストを読んで理解するのと、
自力で計算問題が解けるようになるというのは明らかに違う。

日常的に財務諸表を目にする機会もなく、ファイナンスの
理論を学んだ経験もないので、理解が浅いといえばそれまで。
まだこの頃は、解法がなかなか思い浮かばない問題も多かった。



出来たような出来なかったような感触だったが、また不合格。
この年の2次試験は3,189人受験して合格646人、合格率は20.3%。

これによって、2次試験2年分の受験資格という昨年の1次合格の
アドバンテージも消え、翌年はまた1次試験からやり直しとなった。

というか、今思うとここまではほとんど何も頭に入っていない状態で
試験当日臨んでいたような気もするし、17年度からが自分にとって
本当の試験勉強のスタートだったのかな、という気もしてくる。(続く)




なかのひと


LECの自習室もよく利用したなぁ。
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「私の履歴書」外伝・診断士受験編(1)きっかけは給付金(H15)

2009-01-06 00:00:01 | Autobiography


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自分が診断士試験を初めて受けたのは、平成15年度である。
実際には、試験準備ということで考えれば平成14年度からになる。

この頃、自分はまだ東京に在住、前の会社に勤務していた。

そして、自分の能力開発計画として「専門に近いもので、何か
資格でも取ってみるか」くらいのつもりで、教育訓練給付金の
対象となる通信研修講座として、診断士の1次・2次対策講座を
申し込んだのだった。(確か、TBC受験研究会の教材だった)



まあ割と似たような業界にいるわけで、ちょっと勉強すれば
あっさり受かるだろう、という甘い気持ちもあったのだと思う。

同時に、当時、会社の名前で仕事をしている、会社という
看板があるからこそ仕事が取れている、という認識はあったが
会社の看板を外した、個人でもコンサルタントとしての能力が
あることを公的に証明したい、という考えもあったのだろう。

そして、ここから診断士試験との長い戦いが始まるのである。



通信講座のテキストは段ボールに1箱、いっぺんに届いた。

当時は1次試験が8科目あったこと、主要科目はテキストが
2冊に分かれるくらいボリュームがあったことから、1冊あたり
300ページを超えるテキストが10冊以上、問題集とか用語集も。

「ぬわんじゃこりゃぁぁぁ(松田優作風)」

思わず開けた段ボールをそのまま閉じようとしたが、手が伸びたのは
一番上にあったテキストがたまたま「経済学・経済政策」だったこと。

「これは。。。何とかなるのか?」と思い、再び段ボールを開けた。



それから月に2冊、2週間に1冊のペースで300ページのテキストを
読み込むことに決め、ノルマを設定して何とかこなす毎日が始まった。

平行してやっていた転職の試験勉強と合わせ、この頃は土日に
大学の図書館で勉強する時間が長くなっていたような気がする。

フットサルも、当時は週末になると品川周りで京急の金沢文庫
まで通っていたのだが、その往復車中でもひたすら勉強していた。



今思うとまぐれのようなものだが、1次試験にはいきなり合格した。

ちなみにこの年の1次試験は12,449人が受験して合格2,021人、
合格率は16.2%だった。(あくまでも、1次試験だけの合格率)

しかし、一発で受かるとは全く思っていなかったので、2次試験対策は
ほとんどゼロの状態。1次合格後、1ヶ月程度あたふたと取り組んで
みたものの、まだ試験が新制度になってから2年しか経っておらず、
どんな問題が出るのかもよく分からない状態で当日を迎えてしまった。



地頭だけの状態で臨んだような2次試験、当然のように不合格。

2次試験受験者は4,186人で合格707人、合格率16.9%だった。
1次・2次のストレート合格率でいうと、実に2.7%という難関である。

ただ、1次試験に合格すると翌年までは2次試験受験の権利が得られる
ので、まあ転職してから来年2次に受かればいいか、と気楽に考えていた。

そう、この時点では診断士試験の難しさに全く気づいていなかったのだ。(続く)




なかのひと


よくあの年の1次受かったよなぁ。
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「私の履歴書」外伝・教育編(8)向上心に年齢は関係ない

2008-01-20 00:00:01 | Autobiography


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この外伝を書いていて、当たり前だが両親には
改めて感謝しなければいけない、と思った。

彼らのことについても、いい機会なので少し触れたい。



父は職業軍人家系の3代目であり、非常に厳しい人間だ。

大病を患ってからは多少丸くなったところもあるが、
基本的には厳しく、そして負けず嫌いのところがある。

その負けず嫌いの性格は、いくつになっても変わらない。
ちょっと前の話だが、典型的なエピソードを紹介しよう。



父は定年退職した後、時間に余裕が出来て散歩などの
運動をしながら、趣味である麻雀を楽しみたいと思い、
金を賭けずに高齢者が楽しめる麻雀サークルを探していた。

すると、地域の愛好家の集まりがひとつ、そして定年間際に
在籍した会社の健保組合が主催している、退職者の集まりで
やっているサークルがひとつあることが分かり、週に1回は
そうした場所での対戦を楽しみに出かけるようになったのだ。

もともと父は麻雀の腕には自信があったのだが、そのような
集まりに来るメンバーの中にはやはり強豪もいて、行く前に
思っていたほどにはなかなか勝てなかったらしい。

そしてそれは、父にとって結構不本意な体験だったようだ。



そこで、父は60歳を過ぎて真剣に考えた。

家で麻雀の勘を取り戻すためのトレーニングをしよう。
あまりお金のかからない方法で、好きなときに出来るものは何か。


何と父は、たった一人で家電量販店に行き、プレイステーション
麻雀ソフトの『一番難しいやつ』をくれ」
と買ってきたのだった!

それからは、明けても暮れても麻雀研究に没頭。
家ではプレステを相手に、週1でサークルに行って実戦経験を積む。
いつしかサークルの中でも上位に入れるようになったらしい。。。

これを聞いたとき、感心するというより半ば呆れたのを覚えている。
#エンジョイ系のサークルだったら入れたくないタイプでしょ(-_-;)



最後に、母の話についても少しだけ触れておこう。

母は昔から三味線が好きで、ある先生について習っていた。
子育てが一段落してから、また習いに行くようにしたところ、
あるときそこの先生からこんな言葉を言われたらしい。

「私、スカパー!の伝統芸能チャンネルにたまに出てるのよ」

すると母も60歳を過ぎて、いきなりスカパー!に電話して
チューナーを購入、それだけのためにアンテナを設置して、
伝統芸能チャンネル(現・歌舞伎ch)の視聴申込みをしたのだ。

#自分が出演したいと思っているのかどうかは不明

ということで、実家には年寄り2人だけしかいないのに、
何故かプレステとスカパー!のチューナーがあるという。。。
現在は2人とも70歳を過ぎたが、2人にとっては必需品らしい。

もし自分に他人より向上心があるとすれば、それは
彼らの血を受け継いでいるからなのかも知れない。(この項おわり)



明日からまた通常の日記に戻ります、ポチッ。
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「私の履歴書」外伝・教育編(7)自分の能力をどこで活かすか

2008-01-19 00:00:01 | Autobiography


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教育はメリット財であり、社会的に投資する意義のある
財だから本人の意向に関わらず供給が優先されるものである。

その投資のリターンは、どのように戻されるべきなのだろうか?



自分が就職する時期になって、父に兄弟2人が呼ばれた。

「君達にはしっかりと教育をしたつもりだ。どこに出しても
 恥ずかしくない、一人前の人間に育ったと思っている。」

「ついては、2人それぞれの能力が、最も発揮されると思う
 ポジションで仕事をして、君達が身につけた能力を社会に
 対してきちんと還元してほしい。それが親としての望みだ。」


こう言われて選んだのが、自分は最初の会社であり、弟は
研究開発系の職場として今もいる会社を選んだのだった。



教育はいろいろな人にお世話になって身につくものである。

そのリターンの考え方は人によっていろいろあるだろうが、
自分は社会全体にお返しするのが筋だろう、と思っている。

両親、幼稚園、地元の図書館、小中学校に高校の先生。
大学のゼミの教授や仲間にも、大変にお世話になった。
そういう人間関係の循環は、また誰かのところに巡っていく。

だから、その連鎖を切ることのないよう、自分もずっと
頑張らなければいけないし、後進を育てなければいけない。

そのために自分の経験が活かせれば、こんなに嬉しいことはない。
そういう意識を持って、自分は今の職場で働いているつもりだ。



明日は両親のネタをお送りします!




<追記>

実は、この外伝を執筆中、中学から高校2年までの間
数学を教えてもらっていた、近所の東工大卒の主婦の方
(自分は「おばば」と呼んでいた)が平成17年5月11日に
C型肝炎で亡くなっていたことを、自分が出した年賀状
への旦那さんからの返信メールで、初めて知った。
職場で受け取って、トイレに行っておいおい泣いた。

K大学合格時、英語を習っていたもう一人の主婦の方と
一緒にロングマンの現代英英辞典をプレゼントされたのを
懐かしく覚えているし、今でもその英英辞典は使っている。

おばばに教えてもらって、今こうやってまともに
社会人として働いている、その姿を一度見せたかった。

ただ、会えないまま永遠の別れになってしまったことで、
自分の脳裏には元気なおばばの姿がそのまま生きている。

おばばには、本当にありがとうございました、と言いたかった。
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「私の履歴書」外伝・教育編(6)教育にかかるコストを意識する

2008-01-18 00:00:01 | Autobiography


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いろいろ書いてきて、「そんなこと言っても、習い事や
塾にはカネがかかるし、誰でも出来る話ではないだろう」

と言われるかも知れない。

確かにそうだ。教育にはカネがかかる。

経済学者ゲーリー・ベッカーの人的資本理論によれば、
教育へのカネのかけ方については、投資として将来に
もたらす追加的便益(リターン)の価値がそれに必要な
費用(コスト)の価値を上回る限りにおいて行われる、
といわれている。要はその人間に対する投資なのだから。

ただ、費用負担を抑える方法もないわけではない。

投資ではあるが、一方で義務教育は中学校までである。
そこから先は、受益者である本人が払えば良いのである。

かつての育英会、今でいう日本学生支援機構の奨学金を
使って本人が返すというのが最も一般的な手法だろう。
自分の周囲にも、これを使っている人は結構多かった。



弟が大学院を出て就職する3月のことだったと思う。
父が数字だらけの一覧表を自分と弟の前に持ってきた。

それは、小学校入学から、自分の場合は大学卒業まで、
弟の場合は大学院修士修了までにかかった教育費を
年度ごとに集計した、2人へのトータルの教育費である。

自分の場合は小学校から大学までの16年間で約700万円。
弟の場合は、小学校から大学院までの18年間で約1,000万円。


高いか安いかの議論はいろいろあるだろうが、2人が一人前に
なるためにこれだけかかったのだ。この投資に見合うだけの
活躍をしてくれ、そういう意図で父は見せたのだと思う。



ただ、自分は全然違うことを考えていた。

中学までは義務教育だ。しかしその先は自分が行きたくて
行かせてもらった道なのだ。その費用は当然自分自身が、
親への借金として返していかなければいけないだろう。


そう思って、高校以降にかかった費用は、自分が就職
してから親に(何度かに分けて)全額を返済したはずだ。

特に親から返してくれと言われたわけではないのだが、
自分の気持ちとして返さなければいけない気がしたのだ。



アメリカなどでは、高校以降の学費は学生本人が
支払を負担するのが一般的だと聞いたことがある。

日本もそうなれば、親の収入如何で進学をあきらめたりする
ケースも減るだろうし学生も真面目に勉強するかもしれない。

ただ、そのためには奨学金制度の充実が不可欠だろう。
自分のときも、実は所得制限に引っ掛かって受けられなかった。

高等教育にかかる費用は誰が負担すべきなのか。
こういうテーマも、もっと議論されて良いと思う。



何にせよ、自分を育てた費用総額を知ることは重要。
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「私の履歴書」外伝・教育編(5)精神的タフさを身につける

2008-01-17 00:00:01 | Autobiography


1位に返り咲き!!ありがとうございます。
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頑張れば、努力すれば何とかなる、というのは自分の信条だ。

ただ、実際には頑張るのが難しい。人は生まれながらにして
怠けるように、楽な方に進むように出来ていると思うからだ。

逆境にあるとき、怠惰に流れそうなとき、どうすれば良いのだろう?



これは、自分の場合は剣道を習っていた影響が大きい。
稽古の前には黙想をする。これによって精神集中を図る。

加えて、仏教系の幼稚園に通っていたからかもしれないが、
いつしか必要と感じたときには座禅を組む癖がついていた。

精神を一点集中させると、周囲の喧騒は消えていく。
自分が今なさねばならないこと、やるべきことの道が
それこそ頭の中に光が差し込むように見える気がするのだ。

まあそれは大げさとしても、ある種のトレーニングによって
自分の雑念を消すこと、減らすことは出来る、と思う。

#たとえば、耳栓をするのも集中力を高める方法のひとつ



精神的タフさを養う上で自分に影響を与えた人物がいる。
高校の修学旅行で訪れた大仙院大徳寺の和尚、尾関宋園氏である。

1972年に書かれたという著書、「不動心」にサインを頂き、
何かあるたびに読み返して自分の心の糧としてきた。

その著書の中にある言葉で大切にしているのが、
「いま、ここで頑張らずにいつ頑張る。」である。

#そういえば最近こんな本を出されたようだ

新・いま頑張らずにいつ頑張る!―尾関宗園の生き方語録
尾関 宗園
日新報道

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ここに修学旅行で連れて行ってくれた高校には、感謝したい。
あまりにありがたいお話だったので、その後も自費で
京都まで和尚の話を聞きに行ったこともあるくらいだ。



誰でも、スポーツでも何でも打ち込んだものがあれば、
そのために努力した自分を思って困難を乗り越えられるだろう。

下世話な話だが、だから就活で体育会出身者が重宝されるのだ。

それくらい、今は何かに死ぬ気で打ち込んだ経験というのが
貴重なのかも知れないが。。。そういう経験はどこかで必要だ。



困難に打ち勝て!ポチッ。
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