J's日誌

中小企業診断士、経営管理修士(MBA)、事業再生士補、AFP。某NPO法人フットサル連盟副理事長。

私の履歴書(20)サッカー観戦のこと

2007-06-20 05:19:53 | Autobiography
トライアスロンは会社に入って数年でやめた。

やはり、レース前後で休暇を取れるのかとか、
きちんとしたトレーニング、コンディショニング
など出来そうになくなっていたのがその理由だ。

そして、自分でするスポーツはジムでの
マシントレーニング程度になっていった。。。



自分でスポーツをやらなくなると、テレビで
行われているスポーツにも興味が湧いてくる。

ドーハの悲劇などもテレビで見てはいたが、
心揺さぶられたのはアトランタ五輪の最終予選、
クアラルンプールでのサウジアラビア戦あたりか。

#忘れていたが、1996年3月24日のことらしい

テレビで見ながら自分もポロポロ泣いていて、
家族は不思議に思ったらしい。それくらい
久しぶりに、サッカーに気持ちが入っていった。

そして、やはり現場に行かなければいけない、と
思うようになったのはアトランタ、マイアミの奇跡。
会社の人が何人かで休暇を取って現地に行っていたのだ。



その後、2002年のW杯くらいまで、国内の代表戦は
ほとんど全て、現地で観戦した。(W杯本大会含む)

ソウルもジョホールバルもフランスW杯も3試合行ったし
2002年日韓は決勝まで、日本戦4試合を含む7試合生観戦。


1999年からは、生まれ育った東京にもJクラブが誕生し、
J2行脚、そしてJ1昇格という喜びを、ビッグスワンが
出来る前の新潟市営陸上競技場で味わうことが出来た。



2003年、King of TOKYOと呼ばれ、長きに渡ってチームを
牽引したアマラオが東京を退団、移籍することになった。

最後の試合になった、香川県丸亀での天皇杯の帰り便、
偶然同じ飛行機になって羽田でアマラオと写真を撮り、
長い間お疲れさまでした、と言おうとしたそのとき。

「オツカレサマデシタ」とアマラオが言うではないか。

それはこっちの台詞だよ、と言いそうになって
そのまま言葉が出ず、またちょっと涙が溢れてきた。


そのときの写真(羽田空港ロビーにて)

と同時に、これでサッカー観戦についての一つの時代が
終わった、北海道に行って東京の試合が見れなくなっても
もうあまり悔いは残らないかも知れない、と思った。(続く)
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