J's日誌

中小企業診断士、経営管理修士(MBA)、事業再生士補、AFP。某NPO法人フットサル連盟副理事長。

私の履歴書(4)部活をやるのは誰のため

2007-06-04 06:33:08 | Autobiography
小2から近所の道場で習い始めていた剣道。

中学の剣道部は区内で負けなし、近隣の区を
加えた学区の大会でも上位常連の強豪だった。

#進学したのはただの公立中学校だったので、
 多分、通学エリアに道場が多かったのだろう

さすがに1年からレギュラーとはいかないが、
1学年上の2年新人戦団体戦には補欠で入った。



2年になると都大会団体戦にも補欠登録された。
当日、大将が風邪で休み、いきなり補欠から大将に。

一学年上の試合、しかも大将戦を任されたのだが、
ここで開き直ったのが良かったのかもしれない。

200校以上が参加する都大会で勝ち上がり、
最終的にはベスト32まで残ることができた。


当然、3年になった時は周囲の期待がかかる。。。



しかし、主将として迎えた3年目のシーズンは
はっきり言って全てを忘れたいくらい最悪だった。

前年度優勝トロフィーを持って行ってはそのまま
返してくるだけで、何も持ち帰れない大会が続く。

当然、負けが込むとOBも現場介入してくる。
何で勝てないんだよ、と毎晩のように自宅に
OBからの電話がかかってくるようになり、
その言い訳を考えるのでうんざりしてくる。

あげくに仲間割れで試合後に3年生が仲間に
手を出してしまい、顧問もキレて一時休部状態に。

顧問は1週間で解除しようと思っていたらしいが、
自分自身のモチベーションが湧かなかったので
解除をさらに先延ばしにしたのを覚えている。



秋の区民体育大会でも優勝できず、遂に無冠で終了。
もう二度と竹刀は握るまい、学校やOBの名誉の
ためにスポーツをやるのはもううんざりだ
、と思った。

#松本大洋の名作『ピンポン』の中で、ライバルである
 卓球名門校、海王学園のドラゴンは試合前必ずトイレに
 籠り、「誰のために卓球をするのか」と自問自答する。
 種目もレベルも違うが、まさに中学時代の自分がそこにいた。



たまたま、高校に合格した後に進学先の高校が
出ている大会を見たのだが、これはこれで弱くて
とても入ろうという気は起きず、高校では部活に
入るまい、帰宅部でいいや、と決めたのだった。

しかし、高校の同級生には有力選手が多く、実は
いいチームが出来たことをしばらくしてから聞く。
後の祭りとはこのことだ。。。 (続く)
Comments (2)
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