社長の卓球日記

卓球の遠征記、その他日々感じたことを

有名選手続々来大!

2011-06-09 09:03:58 | Weblog






















 震災復興の一助になりたい!と被災地支援のために卓球のアスリート達がぞくぞくと来大し、卓球を通じて被災者の方々や子ども達、そして多くの卓球人に力と勇気を与えていただいた。

 当たり前のことだが、どの選手もさすがトップアスリートと思わせる言動で、みなさんしっかりと目的意識を持ち、被災地支援に当たって頂いた。

 来大していただいた選手の皆さんに感謝感激である。

 まず初めに、松下浩二氏が震災間もない4月3日(日)に大阪から秋田経由で飛行機とレンタカーを乗り継いで来大した。

 5月29日(日)には、吉田海偉・小西杏ご夫妻が帰国している10日間ぐらいのところをやりくりして駆けつけてくれた。

 6月4日(土)は、松下浩二氏と仲村錦治郎氏がオリンピアンの関係で盛岡市体育指導委員協議会の方々と一緒に訪れた。

 そして6月6日(月)は、日卓協のアスリート委員会から岸田聡子委員長と若宮三紗子選手がミニ卓球台贈呈のために大阪からわざわざお出で頂いた。























屋外卓球台!

2011-06-08 09:51:51 | Weblog
 フランスの元世界チャンピオン・ガシアン氏より、日本の人たちのお役に立ちたいという趣旨の基、屋外卓球台を日本の被災地に寄贈したいと言う申し出があり、日本卓球協会はこの申し出を受け、諸経費(送料など)を負担し県協会を通じて後日配布される運びとなっている。

 先日の日曜日には、前原日本卓球協会専務理事や古市智子日本卓球協会復興支援・情報収集チームリーダー、協和発酵の選手などが仙台市のテニスコートにおいてそのデモンストレーションを行った。

 このように震災の支援の輪は、世界に広まっておりスポーツの絆、とりわけ世界の卓球の絆の深さに驚きと感謝をしている。

ミニ卓球台贈呈式・ミニ講習会!

2011-06-07 07:48:46 | Weblog
 昨日は、日本卓球協会アスリート委員会からのミニ卓球台が大船渡市内の11小学校に贈られ、その贈呈式にアスリート委員長の岸田聡子さん(NTコーチ・日本生命)と若宮三紗子選手(日本代表・同)が大阪からわざわざ来大し、大船渡市教育長に贈呈された。

 つづいて被災地を案内したが、二人は動揺に驚きを隠せない様子でTVとは違う現実に戸惑いを見せていた。

 その後、会場を大船渡高校卓球場に移しミニ講習会を開いていただいた。

 昨日は平日であったので、一般の方が10数名で硬式とラージが半々の参加であったがわかりやすく説明をしていただき、有意義な時間を過ごさせていただいた。

 終わりごろには、大高生も授業が終わってすぐに駆けつけ、サインや握手をしてもらって歓声を上げていた。

 最後には、参加者と高校生も一緒に記念撮影をして終了した。

 日本一流のプレーを随所に見せ、動きの速さや切り替えの速さや正確さに驚かされた。

 ミニゲームでは私も1セットをお手合わせいただいたが、ボール捌きやボンミスの無いプレーは圧巻であった。

 本当に時間が短くあっという間であり、こんな素晴らしい選手たちが来てくれているのに、子ども達にもしっかり講習を受けて欲しかったと残念な思いだった。

 時間の関係でばたばたと二人は帰路に着いたが、最後まで清々しく対応をしていただいた。感謝を申し上げたい。











 

松下浩二・仲村錦治郎氏卓球講習会!

2011-06-06 08:25:34 | Weblog
 6月4日(土)松下浩二・仲村錦治郎両氏が被災地大船渡を訪れ、避難所での激励と午後は卓球講習会を三陸町綾里のB&G体育館に約130名が参加して開催された。

 この企画は、盛岡市体育指導委員協議会と盛岡市教育委員会が主催し、岩手県体育指導委員協議会が共催、岩手県教育委員会・大船渡市教育委員会が後援、大船渡市体育指導委員会と大船渡市卓球協会が主管をし開催した。

 盛岡市体指協の村里洋子副会長が中心となり、オリンピック代表メンバーによるオリンピアンにはたらき掛け、前日の3日には県営体育館で行われている高校総体の会場にも顔を見せていただき激励を頂いた。

 一昨日は、午前11時に大船渡市盛町にあるカメリアホールの避難所に到着被災者の方々とミニ卓球で対戦をし、みんなに笑いと笑顔がみられ和気藹々のうちに終了した。

 ホールの千葉館長さんは、「卓球で有名な方が来られて本当に有難いです」と感謝の気持ちを伝えていた。

 その後、市教育長や盛岡からの帯同者、そして地元の役員20名で歓迎の懇親昼食会が開かれた。

 その後、被災地である赤崎町を通り会場である三陸町綾里に向かった。

 被災地は、瓦礫撤去が進んできてはいるが松下さんや仲村さん一行はその状態がまだまだひどいことを感じていたようである。

 いよいよ講習会であるが、開会行事のあと講師二人の模範試合が行われ、そのあと参加選手の代表とミニマッチが行われ歓声が上がった。

 その代表者の一人で、前日まで高総体を戦った高田高校のヒーロー今野文陽選手は必死に二人に挑んだが世界の壁は厚かったようではあるが、レシーブの仕方などを丁寧に教わっていた。

 そのあと、サイン会を行い最後に参加者全員で記念撮影をして閉会した。

  参加した皆さんは一様にその技術の高さに圧倒されていたが尾張には非常に打ち解けた様子でどれも笑顔で一杯であった。

 松下氏は、震災間もない3月下旬にもお見舞いに来大し、また今回は講習会を開いていただき感謝している。


















高田高校優勝を分析!

2011-06-05 06:15:16 | Weblog
 まずは試合を分析したいと思う。

 決勝対専北戦、1番金野―星戦は順調に星が勝利したが星の強打に対して金野は負けずに打ち返していた。金野は、準決勝水沢戦の2番で大槻をセットオールジュースの大接戦を制し貴重な1点を挙げチームの3-0勝利に貢献、決勝への弾みを造ったことは非常に大きいものだった。

 2番村上―阿部戦は、前半戦の山と思われたが村上の気迫と戦術が勝り、貴重な1点を挙げチーム勝利への可能性を引き出した事は非常に大きく、チームが勝利したその時彼はこらえきれない涙を流していて高田高校の勝利への執念を象徴していたのである。

 3番金野・今野―大野・星戦は、大方の予想では難なく専北勝利かと思われたが、高田ペアの思い切りの良さと粘りが勝利の女神を呼びこみまさかの3-0で勝ち、優勝へのカウントダウンが始まったのである。 

 4番片山―大野戦、まずは順調に大野が勝利した。それでも片山は、準決勝水沢戦の1番で高橋優人を接戦の末下し貴重な1点を挙げチームの3-0勝利に貢献、これまた決勝への弾みを造った貢献度は素晴らしいものだった。

 いよいよ決戦の5番ラストである。
 
 これまで3度戦い一度も勝ったことの無い、今野―北原戦が始まった。
動きの硬い北原に対して、今野はダブルスの勢いそのままに1・2セットを連取
3セット目も10-5とマッチポイントを迎えたが、その前に専北がタイムアウトを取った時から北原のプレーが変わって来ていたので、私はこのままでは終わらないかもしれない、そして生みの苦しみもあるはずだとなぜか感じていた。
 まさに、その通りとなり北原はそこから7本連取してセットを取り返し逆転勝ちさえ見えてきたのである。今野は逆に優勝へのプレッシャーか、硬さが見え始めて来ていたのである。
 いよいよ、運命の4セット目である。
 出だしは、3セット目後半の通り北原が有利に試合を運んでいたが、ある一つのプレーが流れを戻したと私は思っている。
 それは、3セット目後半のラリーを制していたバッククロスを北原がバック前のレシーブのときに今野のフォアにフリックしたのである。
 今野は、バッククロスの打ち合いの為か思いっきりが悪くなっていたが、このボールで息を吹き返したかのように1・2セット同様の動きが戻ったのである。
 まさに命運を分けたプレーであった。

 それでも、北原は責められない。後の事を見越していけばこのプレーは必須だったことは間違いないのであり、ある意味セオリーなのである。
 私が監督でもそう指示したに違いないと思っているからである。

 そして勝負は高田高校の優勝となり専北の連覇は阻まれたのである。

 この優勝の裏には何があるのだろう?
 私なりに分析をしてみた。

 まずは3.11大震災・大津波の影響である。
 そのとき高田は学校での練習の最中に遭遇し、卓球台の下に一旦は身を隠したがすぐ学校の裏山にあるグランドに避難したのである。ラケットも一瞬にして流されてしまったのである。無論大津波は校舎の3階にまで達したのだから当たり前のことであるが使い慣れたラケットを失うことは選手にとって大きなハンディになるのである。
 寒さの中震えながら一夜をそこで過ごし、今野は大船渡の自宅まで25km以上を山道を歩いて戻ったのである。
 さて、その後であるが彼らにはもはや練習場は無い、ラケットも無い、それでもスペアラットを手に集まり、大船渡の山手にある日頃市町のコミュニティーセンターの狭いところで練習を再開したのである。
 その後は内陸地区のいろいろなところから練習場の提供があり、毎日練習に励むことが出来他のである。
 震災後まもなくから、5月連休明けの学校再開まで逆にいつもの年より練習がやりこめたことが一番の勝因であろう。
 この裏には、伊藤先生初め家族の応援やいろいろな方面からの大きな支援を受けたことが、選手達の大きな支えとなりあの感動的な優勝につながったと思っている。

 とにかく、高田高校卓球部と、関係している全ての方々に「おめでとう!」と言いたい。

 また、親を失い転校を余儀なくされた、元高田高校のS選手も盛岡市立の一員としてレギュラーを獲得し活躍していたのも嬉しかった。

 会場で私にあいさつをしてくれ、その時「これからいろいろあって大変だろうが頑張ってくれ!」と激励したが、「はい、頑張ります!」と彼が返してくれた。
 そのとき、私は「本当にあの地震津波が悔しい!」と心の底から感じたのである。
 彼の将来にきっと良いことが訪れるようにエールを送り続けたいと思っている。








高校総体終わる!

2011-06-04 17:42:58 | Weblog
 4日間にわたる長い高校総体が終了した。

 わが大船渡高校は、沿岸地区予選が3.11大震災により実施できなかった為に本大会前日に地区予選が同会場で行なわれたのである。

 会場も、一関総合体育館から県営体育館に変更し日程も6月1・2・3の水木金の3日間とも平日に行われ、応援の家族もさぞ大変だったに違いない。

 その中にあって、専北対高田の戦いは観客の目を一身に集める大熱戦であった。

 それを示すかのように、その戦いに終止符が降りた時観客の拍手が止まないのである。私自身も感動で思わず拍手を送っていた。

 どちらのチームの選手も素晴らしい戦いをしたし、どちらの監督も最後まであきらめずに戦っていた姿は実に感動的であった。

 破れた専北監督の野田先生の態度も立派だった。
 
 最後まで頑張った、北原選手をしっかりと迎え入れしっかり握手を交わしていた姿は感動的だったし、女神が微笑んだ高田の監督伊藤先生も相手を思いやってか、派手に喜びを表に表さなかった姿がそれぞれ印象的であった。

 専北はここで終わるチームではない、いずれ与えられる北東北インターハイの特典である各県2位チームによる東北予選会を勝ち抜き1チームだけに与えられる東北最後のイスを勝ち取って、来るべきインターハイではベスト8を狙って欲しいのである。

 女子団体は大野が優勝、塩倉・滝浦の2枚看板と大淵がいぶし銀の活躍を見せ他の追随を許さなかった。

 一方個人戦男子では、専北勢が圧倒的に勝利した。

 ダブルスとシングルスを制した大野選手は、福島の被災地出身でご両親の勤め先も被災し東京に避難しているとも聞いている。

 その中で本調子には程遠かったように思うが、よく頑張ったと思っている。

 おめでとうと言いたい!

 その他の専北の選手もみんな頑張っていた。

 東北・全国での本領発揮を注目していきたいと思っている。

 女子個人選では、滝浦選手が3冠を達成した。

 大分精神的にも成長した姿が見られ、それにふさわしい戦いをしていた。

 女子であれだけ声を出して、パフォーマンスもガッツ溢れるものであった。

 これからの彼女の闘いにますます目が離せなくなった。

 練習量を心配していた選手も決勝まで進み敗れはしたが存在感を示していた。

 もう一人注目していた、八重樫選手は早々と姿を消してしまったのは残念であった。

 総じて今回の大会は、非常に素晴らしいものが随所にあり内容の濃い大会だったような気がする。

 参加した全ての選手たちが、この大会で得たものをそれぞれ次のところでステップアップしてくれることを、祈らずには入られないのである。

 がんばれ岩手!がんばれ沿岸!がんばろうみんな!

 私地震、この大会ではたくさんの方々からお見舞いの声をかけていただき本当に感謝申し上げているし、多くの皆さんにご心配をお掛けしていたんだなとつくずく思うし、皆さんの温かい思いに感動をしたところである。

 大会では、お見舞いや支援物資など、応援を受けた方々にお会いしてお礼を申し上げることが出来ホッとしたのも事実であるし、会場にわざわざ足を運んでお見舞いを届けてくれた先輩もいる。
 
 本当に身に余る、有難いことで感謝!感謝!しかないのである。


photo:二重の虹