ここのところ、娘のお産の関係で自宅待機?の毎日である。
12月初めの予定日が近づいてきているので、お酒も控えていつでも盛岡にはせ参じる準備をしている。
そのお蔭か仕事も前々と進んでいるし、私自身の健康にもとっても寄与している、生まれてくる前から孝行な孫である。
いずれにしても、母子ともに健康であってくれればと祈る毎日である。
ここのところ、娘のお産の関係で自宅待機?の毎日である。
12月初めの予定日が近づいてきているので、お酒も控えていつでも盛岡にはせ参じる準備をしている。
そのお蔭か仕事も前々と進んでいるし、私自身の健康にもとっても寄与している、生まれてくる前から孝行な孫である。
いずれにしても、母子ともに健康であってくれればと祈る毎日である。
29・30日はh27年3月に行われる第67回東京卓球選手権大会の県予選会が、花巻市民体育館で両日開催される。
1日目はジュニアとカデットがあり、2日目はダブルスと一般の各年代別シングルスが行われる。
カデットやジュニアは岩手国体該当年代に入ったし、一般も国体選手などは関東での予選に参加するため男女とも高校3年生が中心になるものと思われる。
本大会は、翌27年3月11日から15日までの5日間東京体育館で開催され、全日本選手権とは違って外国籍選手も出場し、毎年レベルの高い戦いが繰り広げられている。
60歳代になって一番感じることは、疲れやすくなったということである。
「深酒も一晩眠れば治る」時代は去り、1週間・2週間も調子が悪くなる時もある。
自分では、少しずつではあるがコンスタントに卓球練習には顔を出しているので、適度な運動がされているように感じているのだが、実態はそうでないらしい。
さて、姿勢に目を移してみると思いがけない自分に気が付くことがある。下の写真に思い当たる人もいるかもしれない。一度チェックが必要である。
いずれにしても、中高年世代にとっては、スポーツをいつまでも楽しく行えるように、体の再確認することが最も大切らしい。「目指すべきは量より質」の体づくりである。
h26年もあと1か月余りとなった。
先日衆議院が解散し、にわかに選挙ムードになってきた。
わが大船渡では、先日現職が当選し2期目に突入した。今回の選挙戦は、大きな争点も見当たらなかったためか投票率が史上最低であったのが拍子抜けというか、無関心にならざるを得なかったのか?いずれにしても盛り上がらなかったことは事実である。
ところで、国の方の選挙はどうなるのであろうか?アベノミクスと呼ばれるものも、被災地にあっては何も変わらずなかなか先が見えてこなく、ますます不安だけが募るばかりである。
このままでは中央との格差は広がるばかりであり、東京オリンピックが近づくにしたがい被災地はますます忘れ去られようとしている様に感じるのは、私だけであろうか?
さて、県内の卓球界に目を向けると今週末には東京選手権大会県予選会が開催され、師走に入ると7日に全農のホープス大会があり、翌13・14日は東北高校選抜大会の県予選が開かれ、そのあと年末には中学と高校のそれぞれ東北合宿があり、引き続き岩手県の少年男子は中国に遠征をし、女子は恒例の東京武蔵野高校の越年合宿に向かうことになる。
統導する先生たちにとっては、本当にお正月もないのであり、その努力には敬意を表するしかないのである。
いずれ、2順目岩手国体はすぐそこまで迫っているのであり、待ったの掛けられない状況になってきているのである。
卓球界挙げて、がんばろう岩手!である。
男子1部は、みどりが丘クラブが神山章弘のシングルス全勝と獅子奮迅の活躍と松坂監督の采配が的中し、チーム参戦から初めての嬉しい優勝を成し遂げた。当初からチームの主力で戦った田中の力も見逃せない。
2位には、MJC・3位矢巾卓球・4位奥州クラブ・5位大船渡クラブ・6位 I・T・Cとなり残念ながらわが大船渡クラブと I・T・Cは、2部降格となってしまった。
最優秀選手賞は5勝の神山章弘(みどりが丘クラブ)が、敢闘賞は3勝の藤井啓明(MJC)と5戦全勝の佐々木伸人(奥州クラブ)が受賞した。
また、女子1部は大船渡クラブと一関クラブAが1敗で並び、最終戦の当該試合を3-1で制した大船渡クラブが久しぶりの優勝となった。
今回の大船渡クラブは、菅生(母)と増田のダブルスがコンビネーションよく、ほとんどの試合を接戦の末制し全勝、かつての国体選手同士の実力を見せたし、増田はシングルスでも3勝1敗とチームを牽引した。
主将の村上千賀子は、最終戦の一関A戦で貴重な1点を挙げいぶし銀の活躍を見せ、寺嶋唯乃・菅生美桜は若さ溢れるプレーでチームを盛り上げ、10代・20代・30代・40代・50代の5人の年代の異なる選手それぞれが持ち味を出した優勝であり、チームにとって非常に意味ある大会となったし、様々なカテゴリーを超えて戦う県リーグの趣旨という観点から見てもとても意義深いものであった。
男子2部は、高田クラブが全勝で1位・2位には一関クラブAが入り1部昇格を果たし、3位一関クラブB・4位盛岡市役所、5位は盛岡市立高校となりチャレンジ降格となり、最優秀選手賞は4勝の村上奨記(高田クラブ)が、敢闘賞には後藤勝(一関A)と高橋裕地(一関B)が受賞した。
女子2部は、一関Cが3-1で一関Dを下し1位、3位には悠悠クラブが入り、1・2位が1部に昇格を果たした。最優秀選手賞は鈴木明歩(一関C)が、敢闘賞には石川凜(一関C)と佐藤怜華(一関D)が受賞した。
男子チャレンジは、一関Cと宮古クラブが来期は2部昇格となった。
h26年度岩手県卓球リーグ後期が奥州市総合体育館に男女合わせて36チームが参加し熱戦が繰り広げられた。
このうち、男子1部ではみどりが丘クラブ(盛岡)が念願の初優勝を飾った。
女子1部では、大船渡クラブが 十何期振りかのこれまた嬉しい優勝を成し遂げた。
*前列左から単複にフル出場の増田邦子(最優秀選手賞)・2戦2勝の主将村上千賀子・後列左から若手のホープ寺嶋唯乃・菅生美桜(盛岡誠桜)・単複に大活躍の母、菅生美加子
今日は、地元の神社社殿で新嘗祭(勤労感謝祭)の神事とその後社務所に場所を変え直会・懇親会を行った。
新嘗祭とは、その年に収穫された新しい穀物のことを言い、天王が国民を代表して農作物の収穫と恵みに感謝する式典が新嘗祭であり、今から1,372年前にこれを執り行ったとある。
昭和23年に「勤労を尊び、生産を祝い、国民がたがいに感謝し合う」という趣旨で、「勤労感謝の日」が制定された。
この日の大船渡地方は、明け方には早く雨が少し降っていたが9時ぐらいには日差しが降り注ぎ、コートなどは必要がなかった。
また今日は大船渡市長選挙投開票の日でもあり、お天気にも恵まれ徒歩で投票所に行く姿も見かけられた。
震災以降初めての市長選挙であり、今後の復興や街づくりを託す一票を投じてきた。
被災地では、まだまだ仮設住宅に多くの人が暮らしていし、被災された方々は、時が経てば経つほどますます先行きの不安が募るばかりなのである。
今日の結果で市民の付託を背負うことになる市長さんには、是非ともそのかじ取りが間違った方向にならないよう期待せずにはいられない。
今日は11月22日ということで、いい夫婦の日であり、暦の上では小雪でもある。
今朝の大船渡は、寒さの中にも日差しが暖かで穏やかな日中を迎えていて、まるでこの日を醸し出しているかのようである。
共に還暦を無事終え、子供もそれなりに成長して上2人はそれぞれが家庭を持ち、まもなく落ち着く予定の3番目もいる。
孫も2人おり、まもなく3人目が誕生する予定である。
それにしてもあっという間の時間だったような気がする。
一日一日の生活をフル稼働し、毎日毎日を懸命に駆け抜けて気がする。
震災の中にも、共に大きな病気もせずに過ごせてきたのが、一番だったのかもしれない。
「健康が一番だ」と、いい夫婦の日に合わせてありがたく感じている。
*下の写真は市内立根町
今日は、国体ミーティングのためまもなく盛岡に出かける。
このところの冷え込みは厳しく初雪の便りも聞こえてきた。
一昨日、必要に迫られタイヤ交換を余儀なくされた。
気仙地方の冬は、年内はほとんど積雪がなく内陸に行くときの峠越えさえなければタイヤ交換は年明けでもいっこうに困らないのであるが、私のように頻繁に出掛ける者にとっては仕方のないことでもある。
たった今、水沢から来た問屋さんに聞いたところ、1台の車が事故を起こしていたとのこと。積雪はまだないが路面が水で濡れていたところが凍っていたようであり、
いずれにしても、備えあれば憂いなしである。乾いた路面から急に状況が変わることも頭に入れながら運転しなければならない。
野球で調子のよいとき打席に立つと、ピッチャーの投げたボールが止まって見えたり、ボールの縫い目さえ見えることもあるという。
トップアスリートと呼ばれる人たちは、常人では感じることのできない不思議な瞬間(ZONE)をプレーの中で味わっているという。
大切な試合や練習中に高い集中状態に入り、最高のパフォーマンス発揮につながるような心理状態を、メンタルトレーニングではZONE(ゾーン)に入ると表現するそうである。「Suports Japanvol16」より
私は常人であるがゆえに、この様な瞬間をなかなか味わったことがない様な気がする。
それでも、40年近く子供たちの指導に携わってくると、その子供たちのおかげで何度かこのZONEを経験させてもらった。
私が母校の中学の指導に入って2年目のまだ21点先取時代、全国中学県予選男子決勝(当時は各県から1チームの代表)でのこと、我がチームのY選手はセットオールの13-20と大きくリードされマッチポイントを握られ万事休すであった。
2台進行であったため、私はもう一つの試合に集中した。こちらはセットオールの3-11と同じくリードをされてはいたが、少しは点数的に逆転の望みを持っていたからである。
それぞれの試合が進んでいたが、もう1点失点すれば負けるはずの選手がなかなかベンチに戻ってこないのである。そのうちチームの声援が大声援に変わり、そちらを見るとなんと17-20まで追い上げてきて、それもペンの表ソフトであったがスマッシュなどが、何でも連続入り全くミスしないのである。
私は、それでもまだまだ無理だろうと高をくくっていたが、やがて20-20まで追いつきその後一進一退のジュースアゲインが続いたのち、最後は31-29で我がチームのY選手が勝利してしまったのである。
この勢いが波及したのか、前半のもう一人も3-11から見事に逆転勝利したのである。
結果、ダブルスと4番は落としたもののラストはセットールの21-19で勝ち、チームは念願の奇跡の勝利の連続で全国切符を手中に収めたのである。
まさに、ZONEが一人の選手からチームみんなに大きなZONEとなった瞬間であった。