「旅の坊主」の道中記:常葉大学社会環境学部・小村隆史の防災・危機管理ブログ

日本唯一の防災学部はなくなっても、DIGと防災・危機管理を伝える旅は今日も続いています。

守谷サービスエリア再訪

2015-03-13 23:30:27 | 首都直下地震対策
明日14日から仙台で開催される国連世界防災会議。
本体会議に出席する立場にはないが、幾つかのパブリックフォーラムには顔を出す予定。
そのうち、16日(月)夜に予定されている、NEXCO東日本のシンポジウムに関連して、
コメンテーターを務めて下さる元FEMAで年長の友人でもあるレオ・ボスナー氏と共に、
常磐道守谷サービスエリアを再訪する。

首都直下の地震があった場合、北からの支援部隊は、東北道か常磐道を通り、
被災している東京都に入ることになる。
その際、常磐道経由で進出してくる部隊にとっての被災地直近の補給所であり
最新の情報を仕入れる場となるのが守谷SA。
上り線のSAは消防や警察、自衛隊や医療などの共同災害対策本部として機能させるべく、
施設の改装に合わせて様々な機能を作り込んだ、というのが昨年春の話。

ライフライン企業としての高速道路会社が、支援部隊に対して、SAという場所のみならず、
電気、水道、情報、夜間照明付きヘリポート、そして何より温かい食事も提供出来るように、
という作り込みをしたことは、まさに英断。

一昨年の秋口、改装前の守谷SAで行われた関係各機関による実動訓練を見学して以来の、
2度目の訪問となった訳だが、
ビデオや資料では何度も見ていたものなのだが、今日、施設を実地に確認して、
多少ともプロジェクトに携わった身として、よくぞここまで作り込んでくれた、との思いに尽きる。

細部については、詰めるべき課題もあるのだろうが、
ボスナーさんも私も、素晴らしい!の一言であった。

この種のものは、横展開をさせてナンボ。
海外までの横展開につながるかどうかはさておき、
少なくても首都圏から放射状に伸びる各高速道の首都直近のSAは、
この種の機能を備えてもらいたい、と心より願う。

という訳で、コーディネーターを仰せつかったパブリックフォーラム
「東日本大震災における高速道路早期復旧と災害対応力の更なる強化」
パネルディスカッションのテーマは「東日本大震災を教訓とした高速道路に望まれる防災的役割」、
これにおいて、しっかりと意見を取りまとめて、次への展開へと結び付けなくては、である。

こういう、楽しく刺激的で世のため人のためになるプロジェクトに携われることを、
本当に嬉しくまたありがたく思う。
その分、どこまで頑張れるかの勝負でもある。日曜夜はしっかり寝ておかないと、である。

大規模災害時における物資支援の受け取り方はどうあるべきか

2015-03-09 23:49:10 | 首都直下地震対策
先日来何回か話題に出している、首都圏内某県の大規模災害時の応援受け入れ計画づくりについて、
図上訓練明けの今日午前中、東京・新宿にある受託業者オフィスで県の担当者も交えて2時間ほどブレスト。

外部からの支援物資をどのように受け入れればよいのかについて、
応援受け入れ計画にどのように記述すべきかに議論は集中。

やはり、大原則は、都道府県と市町村とを問わず、行政は物資管理には携わらないということ、
このことを再確認し、計画に明記しておかなくてはならない、と思う。

発災直後の72時間は自宅の備蓄でしのいでもらうことが原則。
県としては、それだけでは足りないこともあると覚悟しておいた上で、
(市町村備蓄分とは別に)県内各地に備蓄してある「緊急支援物資」を、
個人・家族単位での備蓄のバックアップとして、たとえば1人に小ぶりのダンボール1つ、
という感じでパッケージ化して送れないか、という話もした。

県内全域が同時に震度6強以上の被害を受けるような事態は、幸いにも考えられない。
支援側に回れる地域もある訳で、そこの備蓄をまずはプッシュ型で放出させればよい、
そんな方向で議論している。

つまりは、発災後72時間は、県内にある「ありもの」でしのいでもらうこととして、
4日目からは「善意の主に末端のニーズのある場所まで送り届けてもらう」
(=仕分け等に県や市町村は関わらない)を原則とした物の流れを作るべく、
発災直後から動き出すべき、
そのような計画とすべきではないか、と。

現行計画では、支援物資については、県はニーズとシーズの情報には携わるものの、
実際の物資の輸送や仕分け等については倉庫業界+トラック業界+αに有償で依頼、
ということになっている。
議論の中では「ミニアマゾン」という表現も出てきた。

だが、本家本元のアマゾンに比べて、被災後に立ち上げる物流システムはいかにも泥縄的。
わざわざ被災後に(亜流の)ミニミニアマゾンを立ち上げるよりも、
(被災により)多少配送に時間はかかるだろうが、本家本元のアマゾンに依頼するのが効率的であろう、
そんな話も出てきた。
(注:この場合のアマゾンはあくまで比喩・例えとしてご理解下さい。
楽天市場でもアスクルでも、最近はお弁当宅配の「ゴチクル」なるものまであるそうですが、
要は物の話は物流業界に、「餅は餅屋に」という話。)

「被災72時間で口にしたものが飴玉一つ」などという話は、
いくら何でも21世紀も15年近く経った日本ではみっともなさすぎる。
自宅における備蓄の徹底と、ミニマムをパッケージ化したもの(5種程度?)を
プッシュ型で送り込むことでしのいでもらい、
72時間が過ぎてから、被災者の手元に直接届けるような仕組みを
外部の支援者に考えてもらい段取りが出来たところから中に入れる。

その辺りでどうだろうか、と考えているところ。

うーん……、うまく説明し切れていない。
断片的に解釈されると、ろくなことにならない予感がある。
もう少しうまく説明出来るようにならなくては、と反省。

大規模災害時の救援部隊受け皿計画づくりのためのブレスト

2015-03-03 23:18:40 | 首都直下地震対策
午後イチから少し遅めのランチョンから18時過ぎまで、
某千葉県の大規模災害時の受援計画づくりのため、
受託業者である建設コンサルタントP社の新宿本社にて、極めて密度の濃いブレスト。

途中10分ほどの休憩を挟んだものの、5時間があっという間に過ぎた。
それだけ熱の入った議論が出来たということ、なのだろう。

消防、警察、自衛隊、医療、物資、ボランティア。
大別すればこの6種類の、それぞれ性格が異なる組織・団体・個人の受け皿を作ろうといのだから、
しかも、先行事例がほぼゼロのものを作り出そうというのだから、
受託業者も本気で知恵を絞らなければ、である。

「旅の坊主」は、そのビジョンをオーソライズする側ではあるのだが、
出てきたものに判を押すのが役割、などという無様なことはしたくない。
せめて、原案の知恵出しを手伝い&ブレストの相手はしなくては、である。

「あご(食料・食事)」「あし(移動手段)」「まくら(宿泊手段)」が整ってこその
支援部隊である。

基本的には、支援者たるもの、「被災地・被災者に負担をかけてはならない」訳で、
出来るだけのものは持参すべき、とは思う。

ただ、被災を受けた中間的自治体である県としては、
「宿営地として○○は確保しました。あとはそちらでお願いします。」では、
さすがにみっともない、と思う。

もちろん、自らも被災者である被災自治体にとって、どこまで受け皿を用意できるか、
それは、新たな分野。

先行事例はやはり常磐道守谷SAの防災拠点化構想であろう。

県としては、守谷の事例を参考にしつつ、今後、県有施設等を改修する際、
災害時の活用を考えての諸々の作り込みを出来るよう、予算を確保すべき。
(この話をすると、担当者はいつも困った顔をするのだが、それを言うのが、
外部関係者を招いての委員会の長の仕事と心得ている。)

並行して、制度・仕組みづくりや、利活用のルール作りも求められる。

県としては、被災自治体ではあるが、支援部隊向けの「コンシェルジュ(のようなもの)」は、
果たせるような仕組み作り&人材育成は考えておかなくては、と思う。

被災者ゆえ、限界があることは百も承知。でも、
「場所は確保しましたが、申し訳ないが、あとはそちらでよろしくお願いします。」
では情けないよね、と。

消防、警察、自衛隊(陸・海・空)、医療(DMAT)、物資、ボランティア、
それぞれに、受け皿のつくり方は異なる。

ビジネスにも関わる話ゆえ、ブレストの細部はここでは控えるが、
HPで公開されるようになったら、その裏話を語ってみたいな、とは思っている。

Hさん、Wさん、Mさん、長時間のブレスト、
お疲れさまでした&ありがとうございましたm(_ _)m

高速道路休憩施設の防災拠点化構想をどう広めていくか

2015-02-20 23:14:04 | 首都直下地震対策
高速道路休憩施設の防災拠点化構想に基づき、整備された常磐道守谷サービスエリア。
先日来、NEXCO東日本の方々と、この構想の拡大について議論しているところ。

本日昼前から夕方にかけ、折り良く来日中の元米国連邦緊急事態管理庁のBさんと共に、
新霞ヶ関ビルのNEXCO東日本本社にてブレスト。

取締役兼常務執行役員らとの昼食の後、廣瀬社長も30分の時間を作って下さった。
3月の国連防災世界会議でのパネル・ディスカッションへの力の入れ具合がわかろうというもの。

基本的な流れは確認・共有出来たし、この活動の社会的意義について、
元FEMAの年長の友人も理解してくれていた。

それにしても、「旅の坊主」もかなり深く関わっているこのプロジェクトであるが、
相変わらず理解出来ないことがある。

施設のオーナーであるNEXCOが、消防・警察・自衛隊・医療(DMAT)・メディア・
電気通信会社(キャリア)・航空測量会社・自動車会社等々を巻き込み、
図上訓練(DIG)や実働訓練、定期的な会議のホストなど、頑張っていることと比較して、
(守谷SA等の活用によって)大規模災害への支援の効率化を担うべき中央省庁、
またそれらによって大きな利益を得ることになる、支援を受ける側の東京都なりの自治体の姿が見えてこない。

この種の活動は、まず担当者の思いがあり、その思いを共有できる人のつながりがあり、
良い意味での「領空侵犯」がなければ進んでいかないことは、自らの経験からしても百も承知。

ただ、本来その役割を担うべき立場の者が顔を見せていないことについては、
何とも言い難い違和感がある。

恩着せがましいことを言うつもりはないが、
「誰の役目なんだ?」「役割を果たしていないのは誰だ?」と、
そのくらいのことは言いたくなる。

ただ、それを声高に言っても進まない、というのが、世の中なのかもしれないが……。

今回のパネル・ディスカッションは、2時間という限られた時間ではあるが、
NEXCO側の大変な努力があり、考えられるベストの人材が集まった。
とすれば、コーディネーターを仰せつかった「旅の坊主」の役割は何か。

こういう構想の意義を語り、しっかりと世に知らしめ、
国の施策として取り上げてもらえるよう、そのお膳立てをすることであろうし、
また、そのためにも、広く仲間を集めていくということ、なのだろうと思う。

今日の打ち合わせで、元FEMAの友人にも、このシンポジウム、
またこの高速道路休憩施設の防災拠点化構想の意義については、理解してもらえた。
あとは、このシンポジウムの存在を、しっかりとPRして、多くのキーパーソン、
この場合は英語表現で言うところのResource Personsに知ってもらい来てもらうこと。

本番まで残り3週間余となった2月20日で大筋の確認が出来たからには、
ここ数日から1、2週間のうちに「旅の坊主」がなすべきことは、
そういうことなのだろう、と、改めて考えている。

パブリック・フォーラムのタイトルは
「東日本大震災における高速道路早期復旧と災害対応力の更なる強化」
パネル・ディスカッションのテーマは、
「東日本大震災を教訓とした、高速道路に望まれる防災的役割」
日時は2015年3月16日(月)17時30分会場、17時45分開演、
場所は仙台市情報・産業プラザ、セミナールーム(2)(6階) ※会場番号28
 (「パブリック・フォーラムガイドブック」23~24ページ参照のこと)
多数のご来場をお待ちしています。

常磐道守谷SA災害時拠点化構想の意味を国連世界防災会議で発信しよう!

2015-02-03 23:35:34 | 首都直下地震対策
1月8日付拙ブログ「災害対応を織り込んだ高速道路のサービスエリアの整備」で言及した、
3月の国連世界防災会議のパブリック・フォーラム(関連事業)として行うパネルディスカッションについて、
東京・霞ヶ関のNEXCO東日本本社にてブレスト。
富士発富士着の「とんぼ帰り」だったが、構想が大きく前に進んだ。

参考:http://blog.goo.ne.jp/tabino_bozu/d/20150108

全体タイトルは「東日本大震災における高速道路早期復旧と災害対応力の更なる強化」、
パネルのテーマは「東日本大震災を教訓とした、高速道路に望まれる防災的役割」となった。

東日本大震災において常磐道の早期復旧がなぜ早く実現できたのかを、日本道路建設業協会の方に語ってもらい、
ついで、実働部隊を代表してDMAT事務局長の小井土先生に、災害対応における高速道路、
またその際、PAやSAが果たす役割について語ってもらい、
さらにNEXCO東日本の担当者に、今取り組んでいる高速道路の防災対策について語ってもらい、
それらを踏まえて、パネルディスカッションに入る、という流れとした。

コメンテーターにはFEMAでの30年近い勤務経験を持つレオ・ボスナーさんを招聘出来た。

3者の報告をどう聞いたかを、己の災害対応経験に照らし合わせてコメントしてもらい、
それを出発点に、災害時に高速道路に求められる防災上の役割について、
いろいろと議論しようではないか、という話。

こんな贅沢なパネルのコーディネーターを務めさせてもらえるのだからありがたい話である。

今日の会議の資料に、印象的な写真があった。
東日本大震災への救援活動の一場面なのだが、どこかのSAかPAで夜間、
懐中電灯の明かりを頼りに議論する救援部隊の姿を写したもの。

やはりこれは、改善の余地がある、と言わねばなるまい。

すべてのSAやPAで、消防や警察、自衛隊やDMATなど災害救援に携わる方々に、
暖かい食事や仮眠場所、燃料や最新の情報を提供できるようになる、というのは、
まだまだ先の話だろう、とは思いつつも、それでも、
せめて露天ではなく、雨風をしのげる建物の中で議論をして、
ついでに食事や仮眠もとってもらえるような、そういう施設が欲しい。

ありがたいことに、パネラーとコメンテーター4人のうち3人は旧知の方々。
こちらとしても、先方の「引き出し」を意識しつつ「球を投げられる」。

やれること、やれないことがあるのは百も承知。
やれないことのほうが圧倒的に多いのも二百も合点。
でも、こういう場であればこそ「あるべき姿」を語りたい。

どこまでのものを引き出せるか。
幸いにももう少し準備時間がある。頑張らねば、である。