<気多本宮 けたほんぐう>
羽咋の気多大社を出発点とする平国祭の道順を眺めていますと、
「羽咋⇒七尾」にかけての往路にばかり目が行きます。
ただし古代は、七尾の気多本宮を出発地とする
「七尾⇒羽咋」という復路のほうが、
重要視されていたのではないかと感じるのも事実です。
近隣のいくつかの神社の由緒にも、
「大国主神は越の北島(富山県側)から七尾に上陸した」
という内容が見られますし、気多大社の冬の祭典である鵜祭では、
七尾で生け捕りにされた鵜を気多大社まで運び神前に放つのだとか。
羽咋の気多大社の祭典である平国祭は、
もともとは七尾の気多本宮との関連が深く、
「七尾の神様を羽咋へと招くためのもの」だったとも聞きます。
また、他の文献にも、大国主神は「七尾で大鷲を退治した」
「越中北島で鳥に化けた魔王を倒してから羽咋に来た」
などの話が残っていることから、当時出雲の神(大国主神)は、
七尾から羽咋へとやってきたという認識が強かったのでしょう。
いずれにせよ、大国主神が出雲から能登に入るルートが、
意外にも「イズモ」の謎を解くための、
隠れた伏線となっているようです。