<洲本市・由良>
日本書紀の「応神紀」の中には、
「応神天皇が淡路島で遊猟をしている最中、
数十頭の鹿が海を泳いでいるのを見て怪しみ、
使者を派遣して調べさせところ、
角をつけ鹿の皮を被った人間だった」
という逸話が載っています。
また、歴代の天皇が淡路島で狩りをした際、
「ここには鹿が多い」などと言った伝承が
あることから考えても、古くから淡路島には、
「鹿」を扱う人々が住んでいたことは確かでしょう。
ちなみに、縄文時代の遺跡に描かれているのは、
「猪」の絵がほとんどで、銅鐸の図柄などに
鹿の絵が登場するのは、弥生時代に入ってからだそうです。
一方、鳥に関する信仰は、すでに弥生時代には伝来しており、
鳥葬など鳥に基づく喪葬儀礼が広く行われていたと聞きます。
もちろん、これだけでは正確な判断はできませんが、
日本に「鹿」の部族が渡来してきたときにはすでに、
「鳥」の部族が先住していた可能性もあるのかもしれません。