<中山神社 なかやまじんじゃ>
津山市・中山神社に関する文献には、
「猿神(猿神社)の磐座そのものが、もとの中山神社だ」
という記述があるのだそうです。
恐らくここ中山神社でも、赤磐市の石上布都魂神社と同様、
古代は猿神社の付近で磐座祭祀が行われていたのでしょう。
その磐座がなぜ「猿神」と呼ばれるようになったのか、
その謎を解くカギが『今昔物語』や
『宇治拾遺物語』の中に残されていました。
簡単に内容をご説明しますと、
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昔、美作国に中山神(一の宮・中山神社)と
高野神(二の宮・高野神社)がいました。
中山神は猿、高野神は蛇をご神体としていましたが、
中山の猿神は毎年娘を生け贄に差し出すよう
村人に要求していたそうです。困った村人たちは、
東方からやって来た「猟師」にたくさんの
「犬」をけしかけてくれるよう頼み、
この猿神を退治したと言われています。
* 殺されそうになった猿神が宮司に神がかり、
「今後、人間の生贄を止める」と誓い、それ以降は
「猪や鹿」を贄に用いるようになったという説もあり
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「生け贄を要求した猿神が退治される」というこの一節。
「どこかで聞いたような……」と記憶をたどって行くと、
猿田彦族のならず者が猿鬼となって村人を苦しめた
(と推測する)「能登の猿鬼」の話に行き着きました。