<国立民族学博物館>
一見、無関係のようにも思える
「狩猟」「農耕」「製鉄」という文化ですが、
各地に残る祭祀儀礼やお祭りの類などを見ておりますと、
そのどれもが密接に結びつき、
古代の日本を形作っていたことがわかります。
例えば、お祭りの日の朝、まず山に狩猟に出かけて獣を狩り、
途中で藤づるを採取してクワに巻き付け、
里に戻り獲物をさばいて血を田に蒔く……といった具合に、
「狩猟」「農耕」「製鉄」の神々が混然一体となり、
人々の暮らしに根付いていた様子が伺えるのですね。
そして当時、主に豊穣を祈る対象となっていたのが、
米ではなく「粟」などの雑穀類だったことを考えると、
焼き畑農業が盛んだった時代には、
鉄の神々が日本を席巻し始めていたのでしょう。
「粟」や「焼き畑農業」という言葉を聞くと、
焼き畑農業王国である阿波国と、
粟を日本に持ち込んだとされる忌部氏が思い浮かびます。
インドや東南アジアのあたりでは、
鹿や猪ではなく「鶏(忌部氏のシンボル)」を
神々に献上するケースもあったそうですし、
「狩猟」「農耕」「製鉄」と「鹿」「猪」「鶏」との間には、
いったいどんな「因縁」があったのか興味が尽きないところです。