たびたび神社

ライターあかりの神社ブログ

東から来た犬

2019-05-30 09:57:54 | 鉄の神々1

<和気神社 わけじんじゃ>

 

昨日、津山市・中山神社の末社

「猿神社」に伝わる「生け贄」の伝承から、

この地の鉄を巡る歴史について考えてみました。

そこで気になるのが、生け贄を要求する中山神に対し、

東方からやってきた猟師が放ったという

「たくさんの犬」という文言です。

 

恐らくこれまでの流れを考えれば、

この「犬」というのは単なる猟犬ではなく、

「タタラ族の配下にいた者」という意味なのでしょう。

もしかするとそれらの人々は、

東の播磨国にいた「別部の犬」ともつながる集団であり、

この地の鉄事情を詳しく知る

「山師」だったのかもしれません。

 

ちなみに、以前のブログで

「播磨国の鉄を管理していた別部の犬たちは、

出雲の砂鉄に目を付けた和気氏の配下となり、

(金屋子神とともに)奥出雲の里へと派遣された……」

と推測しましたが、仮に播磨から来たとされる金屋子神が、

「生け贄」の習俗を要するタタラ民だったとすれば、

中山神社の猿神を退治した「犬(生け贄部族の敵)」と、

出雲に派遣された「犬(生け贄部族の配下)」を、

「別部の犬」として一括することがためらわれます。

となると、東から来た「犬」たちとは、

いったいどんな出自の人々だったのでしょうか……。

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