たびたび神社

ライターあかりの神社ブログ

丹生の一帯

2016-07-01 10:41:11 | 名草戸畔・神武東征

 

<忍阪・玉津島明神 おつさか・たまつしまみょうじん>

 

名草戸畔(なぐさとべ)と同様、

丹敷戸畔(にしきとべ)に関しても、

その出自等は闇に包まれています。

ただ、ある説によれば丹敷戸畔は、

丹生都比売(にうつひめ)であり、

その本拠地は丹生都比売神社のある、

紀の川流域だった可能性が高いのだとか。

 

ゆえに、神武天皇は熊野の険しい山は通らず、

紀の川を遡ってヤマトに入ったという説も、

歴史マニア間では根強く支持されております。

 

熊野灘沿岸や吉野までの道中に、

数多くの神武伝説が残ることから考えると、

どちらの説が正しいのかは断定できませんが、

「丹」の名を持つ丹敷戸畔が、

丹生つまり熊野一帯の

豊富な水銀鉱脈を支配していた

人物だったことは確かなのでしょう。

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