<名草山 なぐさやま>
***** 名草戸畔 *****
神武天皇が大和を目指して進軍する際、
大阪湾から紀伊半島にかけて、
いくつかの大きな戦いがあったといわれています。
そのひとつが、神武天皇即位の数年前に発生した、
現在の和歌山市名草山周辺での先住民との軋轢。
ナガスネヒコにより生駒山越えを阻止された一行は、
紀の川からヤマトへの侵入を試みたものの、
名草山の人々の激しい抵抗に遭いました。
その際、名草戸畔(なぐさとべ)と呼ばれる
女首長を殺したと日本書記は記しています。
女首長という興味深い肩書きや、
「6月23日、軍、名草邑(むら)に至る。
則ち名草戸畔という者を誅す」 という
簡潔な一文のみに登場する謎めいた経歴などから、
歴史マニアや古代史ファンの間で、
様々な議論が交わされる名草戸畔という存在。
残された伝承が少ない分、 私たちの想像意欲を刺激し、
無意識の共鳴を誘うのでしょう。