<南三陸町・志津川地区>
南三陸町の防災庁舎から、
ほど近い場所にある高野会館では、
震災当日、地元の老人クラブが主催する、
歌や踊りの発表会が開かれていたそうです。
大きな揺れが収まった後、
津波の襲来を予感した職員の方々が、
必死でお年寄りたちを説得して、
会館内にとどまらせたと聞きます。
一方、多くのお年寄りが命を救われた建物の
すぐ隣にある町立志津川病院では、
多数の患者さんやスタッフが亡くなりました。
ベッドごと波にさらわれる入院中の知人が、
助けを求めるように手を振っていた姿を、
目撃してしまった人もいたようです。
つい先ほどまで、当たり前のように言葉を交わし、
生の温もりをしっかりと感じていた相手が、
大きな波に飲まれ海に流されていく姿を、
どんな思いで見つめていたのでしょうか。
生き残った人たちの心を占めていたのは、
助かった安堵感よりも「助けられなかった後悔」
のほうが大きかったと聞きます。