<和気神社 わけじんじゃ>
先日ご紹介した和気氏の氏神・和気神社は、
もともと「猿目(さるめ)神社」と呼ばれていて、
天鈿女命だけでなく猿田彦命もお祀りしていたと聞きます。
現在の和気神社のご祭神である鐸石別命
(ぬでしわけのみこと)しかり、
天鈿女命や猿田彦もまた「銅鐸」
との関連を伺わせることから、
古代の人々にとって猿田彦という神が、
「鉱物の神」として認識されていた
と考えても不自然ではないのでしょう。
一説によりますと、猿田彦の一族は
紀元1世紀ごろ但馬国に移住したのち、
土蜘蛛の王となったという話があり、
但馬国がアメノヒボコの支配下になる前は、
猿田彦の一族がこの地を管理していた可能性も大です。
また、和気神社の近辺はもちろん、
「別部の犬」が砂鉄を発見したとされる
佐用町の近辺からも、銅鐸が出土しているそうですし、
岡山東部から兵庫県一帯にかけて、
猿田彦に関わる一族がこの地の「鉱物資源」を取りまとめ、
一大銅鐸文化圏を形成していた時期があったのかもしれません。