***** 神社と災害 No.74 *****
日前宮の境内には、名草彦・名草姫を
ご祭神とする摂社「中言社」があります。
さらに古くは、同じく名草彦・名草姫を祀る
「草宮」というお宮が二社存在していたそうです。
何でも、毎年藁を使って社殿を造り替えることから、
「草宮」の名がついたとのことですが、
毎年九月十五日に執り行われていた草宮祭では、
祖先神を「草宮」に祀る(神幸させる)ために、
静火神社(現在は竈山神社の摂社)と
丹生都比売神社の神様が、
それぞれ渡御されたのだとか……。
つまり、静火神社と丹生都比売神社の
祖先神(神社を創建した人たちの祖先)とは、
名草彦・名草姫だったわけですね。
いずれにせよ、三つの紀伊国一の宮は、
すべてが中央構造線の周辺に鎮座しているだけでなく、
「名草」が深く関わっていたことは確かなのでしょう。
だとすれば、中央構造線の秘密を握っていたのは、
名草の人々など「nagid」から派生した一族、
つまり「海人族」と考えるのが妥当でしょうが、
少々心に引っ掛かる部分があるのも事実なのでした。