<銅鐸資料>
一説に、石凝姥命という神は、
「鉄」ではなく「青銅器」を司る神であり、
鉄の普及とともに登場した他の鉄の神々よりも、
古い歴史を持つそうです。
またこの神は、天孫族に随伴して
来日した神の一柱であることから、
国津神系の鍛冶神・鉱物神とは役目が異なるため、
単純に「鉄の神グループ」に組み込むのは
難しいポジションでもあります。
恐らく、中山神社のご祭神が
石凝姥命へと差し替えられた経緯には、
いわゆる「国譲り」の儀式とは一線を画す、
別の思惑が含まれていたとも考えられるのですね。
金屋子神、金山彦神、天目一箇神、
さらにはオオナムチ、タケミカヅチに至るまで、
多種多様な「鉄の神」が存在する中で、
石凝姥命(を祖神とする部族)が
中山神社のご祭神として選ばれたのは、
もしかすると彼らが「青銅器」という祭祀具を
作り続けてきた一族だったからかもしれません。
この一帯から大量の銅が産出したことなどを踏まえれば、
美作国周辺が「鉄の武器庫」となる以前は、
祭祀用の銅製品の生産地だった可能性も高いのでしょう。
青銅器から鉄、つまり土着寄りの神道から
渡来寄りの神道へと移行した時代の流れを、
再び古い祭祀形態に戻したいという意図が、
この「天孫系の鉄神」の動きから読み取れるのです。