治しやすいところから治す--発達障害への提言

花風社・浅見淳子のブログ
発達障害の人たちが
少しでもラクになる方法を考える場です。

死んだら神様

2011-04-21 08:12:10 | 日記

先日小暮画伯にNYタイムズの原発労働に関する記事を送ってもらって読んだ。

http://www.nytimes.com/2011/04/10/world/asia/10workers.html?_r=1&ref=asia

私が上の記事を読んで知ったのは
「ああ、原発おじいさんは人間であって神様じゃないんだ」ってこと。

たしかにエリートだったんですよ。若き日のミスター福島第一原発は。
バリバリ働くエリートビジネスマン。
あるいは
エースで四番
みたいな。
地元の福島には雇用とお金をもたらし
首都圏には電気を送り続け、世界でも稀なその繁栄を支えた。
何より火力発電よりコスパが(その時点では)よくて
環境にも優しくて。

ところが、人間であり神様じゃない原発おじいさんは
寄る年波には勝てなかった。
反原発運動ってやつが起きて、後輩が育つ場所が確保できず
かといって今更電力需要はなくならず
老体に鞭打って仕事をしていたわけだ。

日本海側にも友だちがたくさんいる原発おじいさん。
みんな、80年代は青春を謳歌していた。
ちょうどあの頃の私みたいに
きつい労働に耐えられた。元気で元気で、夜中まで働いて飲みに行って午前二時にラーメン屋行っても平気。
家帰ってちょっとだけ寝てまた十時に出社するような精力的な生活がこなせた若い日々。

ところが原発は神様じゃなくて私たちと同様の人間だから
老いていくんです。
老いていくっていうことはどういうことかというと、人手がかかるようになるんですね。
だんだんちびちびと垂れ流す量が増えるもんだから
同じ作業量を確保するために、ひばく量を考慮するとより多くの労働者が必要になり
だんだん非熟練・非正規雇用の立場の弱い人を雇わざるを得なかった。
そこには怖い人狩りのスジモンが絡んでいたこともあったとかなかったとか。

ということをこれまであまりこの問題に関心がなかった私は今回初めて知りました。

いや、それまでも消息筋からうっすら聞いていたんですよ。

原発は老いるんだ、って。
永遠には続かないんだ、って。
これ私たち、もっと認識しておくきだったね。
なんとなく原発は無機質で、だからこそ老いと無縁のような
そんな印象ありませんでしたか?

でも原発はお兄さんからおじいさんになった。
私たちより早く老いる。
そしてそれが、過酷な労働条件の労働者の確保の必要性につながり
人狩り、そして結果としての安全性の揺らぎに結びつくんだと
そこの想像のリンクが、上の記事でようやく私の中でつながった。

だからね、今福島でやっていることは
壮大な老人介護。

なんとか安らかに眠りについてもらおうと喪の作業中。
本当に今までありがとう、と心を込めながら私はそれを見守る。

だからだと思う。
「原発悪!」「即刻停止せよ!」みたいなヒステリックな叫び声には
今の私はちょっとついていけないんだ。相手は老人なんだからさ。しかもさんざん恩になってきた老人。

そして私たちがわかっておかなくてはいけないのは
わが国の沿岸にずらっと並ぶ原発たちも高齢化時代を迎えるだろうということ。

後継者が育たなければどこぞの都知事みたいに
老体に鞭打って現役を続けてもらわないといけないかもしれない。

まああんまりいいことじゃないよね。
かと言って、この状況で後輩が育つ地になりたいと立候補するのを待っても望みが薄そうだ。

だからエネルギー源の後継者を探し育てつつ
なんとかご老体たちのご機嫌を損ねないように働いてもらって
やがて順々に安らかに永遠の眠りについたら

そうしたら神様にしてお祭りすればいい。
繁栄をもたらしてくれた感謝をこめて
もうたたりがないように。

この国では死んだら神様。

そうやってお子さんが生きていく未来にも
電気の乏しい国にならないようにお祈りしましょう。

ところで、死と言えば、定期的に死にたがっているベムは
富士山噴火が怖いそうだ。

わけわかんない。
死にたいなら富士山噴火なんて全然怖くないだろうに。

非合理だ。摩訶不思議な考え方。トンデモ。

でも別にいいけど。
人間はそういう非合理を抱えた存在だからね。

だからね、あまり合理性を他人に押し付けないことだね。
合理性を押し付けて他人の領域に口を突っ込まないことだね。

他の誰も覚えていないかもしれないけど私は忘れない。

もうすぐ一周年ですよ。

なんの一周年?

大大大博士祭りの一周年ですよ。

いやあ、読まずに大騒ぎしてくれたもんだ。
読まずに大騒ぎ。これもトンデモ。

でもあの後、本が出て
ベムや藤居が「トンデモ」とけなした神田橋先生の本で
多くの人が成果を得た。

オムツが取れた。言葉が出た。パニックが止まった。
二次障害が治ったなんていう話はざらにある。

なんちゃってEBMの諸君はどう? なんかいいことあった?

オムツとか取れた? 言葉出た? パニック止まった?
二次障害治った?

そういうことあったらいいね。

でもね、何かの療育方法を強烈に推薦したり
あるいは他人がやっている方法をけなせばけなすほど
人はきわめて合理的な判断基準として、そう主張する人たちが「成果」を上げているかどうか見るよ。

その覚悟はしておくんだね。

それは差別でもなんでもない。

なんちゃってEBM派が大好きな「仮説」と「検証」だからね。
強烈な主張をして他人のやり方をけなしている姿を見れば
「じゃああそこのうちはどうなんだろう?」って判断する権利は他人に認めるんだね。

重度の子でも伸びる。
そうやって一生懸命子どものいいところ探しをしている人たちもいる。

「名誉健常者」という言い方を
「おぞましい」と不快に思っている人たちもいる。

それを「差別」に摩り替えないようにね。

写真は我が家から見える富士山です。
横浜と富士山は近いですよ。

ベムは液状化の浦安を捨てて、横浜の実家に引っ越してくることを考えているらしい。
それにはちょびっと富士山噴火が怖いみたいだけど。

ベムの実家はわりとうちから近いので
「療育に熱心でどこにでも顔を出す」と評判の奥さんは
きっと私と同じ会合に出たりするんだろうな。

楽しみ。

でも、横浜のお母さんたち、私の知っている限りきちんとした方が多いので
人前で性器出すのはNGだと思うよ。

「歩行できる子は例え重度であれ就学前に排泄の自立ができて当たり前」
先日地域でこんな話聞いたよ。
先進地域っていうのは、こういうノウハウの積み重ねがあるのかもね。
たんに手帳の基準とか、そういうことじゃなくてさ。

もちろん360万人の都市。
色々な人がいて、中には「ご挨拶しろなんて差別」と言って
地域支援につながらずネットばっかりやっている人もいるでしょうけどね。

それにしても、熱心に会合に顔を出し、性器露出とかしたら
たぶん親仲間に高くは評価されないと思います。
そのあたりきっちりしつけている方が多いからね。
たとえ重度でも。

それは「差別」じゃないよ。
ただの皮膚感覚でもない。

アセスメントです。極めて合理的な。


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