読売新聞2011年6月30日(木)07:15『一晩に3軒も訪れたのは昨年12月以来で、閣僚人事や民主党両院議員総会といった難しい局面を乗り切った安堵 y>感を漂わせた。 午後7時過ぎに官邸を後にした首相は、まず赤坂のすし店で寺田学民主党衆院議員らと食事した後、六本木の焼き肉店で開かれた阿久津幸彦内閣府政務官の会合に出席。 最後に六本木のイタリア料理店に立ち寄り、伸子夫人と一緒に南相馬市の桜井勝延市長らと1時間余り過ごした。 帰りがけに、記者団から質問された首相は「昔からの知り合いだ」と上機嫌で語った。』
東日本大震災の百日を経過しても進まぬ東北三県の被災地の復旧、菅首相は29日夜、3軒の飲食店をはしごしたのなら避難所で困っている人達への救援策を本格的な夏が到来するまで実行すべきでは有りませんか。、讀賣新聞が、2010年3月25日付け朝刊「解説面」(9面)で、「克服へ 東日本巨大地震」との見出しをつけて、「識者インタビュー」を行っている。読み方によれば、菅直人首相の不手際に対する痛烈な批判となっていて、「やっぱり菅直人首相ではダメなんくだ」という思いが倍加させられて、実に興味深い。
このインタビュー記事では、阪神淡路大震災発生後の震災対策に尽力した小里貞利元防災担当相(村山富市政権)、石原信雄元官房副長官、それに武藤敏郎元財務官の3人が登場している。今回の東日本大震災の対策に当たって、極めて示唆に富む発言をしているので、要点のみを紹介しておこう。
まず、小里貞利元防災担当相の発言である。
「菅首相は最高司令官として、閣僚や担当者から上がってくる情報を把握し、総合的な調整を行い、高度な政治判断を伴う問題については、自ら機敏に方針を指示する役割を担っているが、どうもすべてを自分の職務としている感じがする」「ただちに震災担当相を置くべきだとは言わない。閣僚でなくてもいいから、支援物資、病院・医療・農産物など、各分野に司令塔となる責任者を決め、政府のチャンネルを通して、迅速かつ効率的な対応 を可能とする枠組みをつくるべきだ」
次は、石原信雄元官房副長官である。1987年、竹下登内閣の内閣官房副長官(事務方)に就任し、以後、村山富市内閣まで7つの内閣で官房副長官を務めている。
「震災の3日後には自民党の小里貞利氏に震災担当相になってもらい、その下に各省の
官房長クラスを配し、被災状況に応じて対策を即決できる態勢にした。私は小里氏に「村山首相は「結果の責任は自分が負う」とおっしゃっているから存分にやってください。各省の役人が反対するなら、私が抑え込みます」と申し上げた。各省を督励し、震災から1か月後には法案16本を国会に提出した。復興対策では各省が実動部隊になる。首相官邸の組織は簡潔にし、各省に指示がストレートに伝わる仕組みを作ることが大事だ。しかし、菅内閣はやたらに官邸に人を集め、混乱している印象がある。民主党は「政治主導」を唱え、政権交代後、事務担当の滝野欣弥官房副長官を内閣機能の中枢から外してしまった。今は「平時」ではなく、被災者救済や復興は実行の問題だ。各省の政務三役で方針を議論している時間はない」
武藤敏郎元財務官は、こう語っている。
「緊急対策には赤字国債を含む国債発行で対応するしかない。財源をほかに探す時間的ゆとりはない」「復興財源としては、「復興基金」を創設して政府保証を付けた復興基金債を発行し、個人や機関投資家に買ってもらうことも考えられる」板垣 英憲(いたがき えいけん)「マスコミに出ない政治経済の裏話」~ニュースにブログ~阪神淡路大震災対策を指揮した小里貞利元防災担当相、石原信雄元官房副長官が、菅直人首相を痛烈批判』とブログに書かれている通り、先輩の村山富市首相を見習い「結果の責任は、自分が負う」と言い東日本大震災に全力で今すぐ取組むべきだと思います。
今後も自民党の衆議院議員や参議院議員をカツオの一本釣りならぬ大臣や政務官の椅子を餌に引き抜き、延命と政権維持だけを目指す菅政権は、今後どこまでも続くよ、どこまでもよと言う状況になって行くのではないでしょうか。国民は、誰と何を信じて良いのか分からない様相になり日本の政治は一寸先闇とも言えます。
板垣 英憲(いたがき えいけん)「マスコミに出ない政治経済の裏話」
~ニュースにブログ~
だが、菅直人首相と清水正孝社長は、「姿も見えず、声もしない」、だれかが、「屁のようだ」と形容したけれど、まだ臭いのある「屁」の方が、存在感がある。菅直人首相と清水正孝社長は、「屁」にも及ばない。
とくに何かにつけてグズな菅直人首相は、東日本大震災から2週間を経過して、ようやく、25日午後8時半になって、内閣記者会相手に「国民へのメッセージ」を述べた。だが、マスメディアの馴れ合い会見のせいか、記者団からは、切り込んだ質問出なかった。
菅直人首相は、未だに明確な「震災・復興対策」を打ち出せず、危機能力どころか、政権担当能力の無さを世界に曝け出している。誠に恥ずかしい限りである。このまま放置していると、被害者がどんどん増えていくのがだれの目にも明らかなのに、マスメディアや国民の大半が菅直人政権の存続を放任している。無能政権が撒き散らす災害の被害を被るのが大多数の国民である。
ロシアの文豪・トルストイがリーダーの羊が、断崖絶壁から落ちたにもかかわらず、後続の羊たちが、どんどん落ちて行った譬え話で警告したように、いまのマスメディアや国民は、まるで「羊」のように無批判で従順すぎて絶望的なほど、どうしようもなく救い難い。これが世界各国から「冷静で威厳のある国民」として絶賛されているのであるから、余計におかしい。
◆そんな状況のなかで、読売新聞が3月25日付け朝刊「解説面」(9面)で、「克服へ 東日本巨大地震」との見出しをつけて、「識者インタビュー」を行っている。読み方によれば、菅直人首相の不手際に対する痛烈な批判となっていて、「やっぱり菅直人首相ではダメなんくだ」という思いが倍加させられて、実に興味深い。
このインタビュー記事では、阪神淡路大震災発生後の震災対策に尽力した小里貞利元防災担当相(村山富市政権)、石原信雄元官房副長官、それに武藤敏郎元財務官の3人が登場している。今回の東日本大震災の対策に当たって、極めて示唆に富む発言をしているので、要点のみを紹介しておこう。
まず、小里貞利元防災担当相の発言である。
「菅首相は最高司令官として、閣僚や担当者から上がってくる情報を把握し、総合的な調整を行い、高度な政治判断を伴う問題については、自ら機敏に方針を指示する役割を担っているが、どうもすべてを自分の職務としている感じがする」「ただちに震災担当相を置くべきだとは言わない。閣僚でなくてもいいから、支援物資、病院・医療・農産物など、各分野に司令塔となる責任者を決め、政府のチャンネルを通して、迅速かつ効率的な対応 を可能とする枠組みをつくるべきだ」
次は、石原信雄元官房副長官である。1987年、竹下登内閣の内閣官房副長官(事務方)に就任し、以後、村山富市内閣まで7つの内閣で官房副長官を務めている。
「震災の3日後には自民党の小里貞利氏に震災担当相になってもらい、その下に各省の
官房長クラスを配し、被災状況に応じて対策を即決できる態勢にした。私は小里氏に「村山首相は「結果の責任は自分が負う」とおっしゃっているから存分にやってください。各省の役人が反対するなら、私が抑え込みます」と申し上げた。各省を督励し、震災から1か月後には法案16本を国会に提出した。復興対策では各省が実動部隊になる。首相官邸の組織は簡潔にし、各省に指示がストレートに伝わる仕組みを作ることが大事だ。しかし、菅内閣はやたらに官邸に人を集め、混乱している印象がある。民主党は「政治主導」を唱え、政権交代後、事務担当の滝野欣弥官房副長官を内閣機能の中枢から外してしまった。今は「平時」ではなく、被災者救済や復興は実行の問題だ。各省の政務三役で方針を議論している時間はない」
武藤敏郎元財務官は、こう語っている。
「緊急対策には赤字国債を含む国債発行で対応するしかない。財源をほかに探す時間的ゆとりはない」「復興財源としては、「復興基金」を創設して政府保証を付けた復興基金債を発行し、個人や機関投資家に買ってもらうことも考えられる」
◆私は、1995年10月25日、「内務省が復活する日」(サンドケー出版局刊)という本を上梓した。このなかに、石原信雄元官房副長官にインタビューした内容を収録している。村山富市政権の中枢にいて阪神淡路震災の被災者救済や復興に携わった体験から滲み出る「危機管理論」をたっぷり聞き、大変感動した記憶がいまでも強烈に残っている。菅直人首相は、石原信雄元官房副長官のような極めて有能な「高級官僚」の使い方を知らず、すべてを自分で抱え込もうとしているが故に、身動きが取れなくなっているのである。早く、総辞職して退陣してもらうのが、日本国民にとって「最大幸福」となる。
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