悪党を眠らせない!<本澤二郎の「日本の風景」(3516)

<ありとあらゆる手段・方法で犯罪・違法首相を降参させよ!>

 もう北京に舞い戻って10日経つ。昨日は3年ぶりに、仏(ほとけ)のチョウさんの家に、30分ほど歩いて押しかけた。珍客に彼は、福建省・武夷山の銘茶・大紅袍を出してくれた。初めての高級茶だ。生姜と人参のお酢でつけた漬物などを口に入れながら、19729月、日中国交回復した後にたらふく飲んだ茅台酒で酔った角さんと大平さんの気分になった。

 

 思うに、仏教は殺傷を禁じている。悪人も仏になれるというが、その前に徹底した反省と謝罪が不可欠だ。仏罰として、あらゆる手段で、政治資金規正法・公選法違反の犯罪首相を眠らせない!これしかない。

 

<日刊ゲンダイのマドンナ記者から電話取材>

 夜中の8時過ぎというと、日本時間の9時すぎである。

 運よく固定電話が鳴った。東京からである。筆者のよく知る日刊ゲンダイのマドンナ記者のM子さんだ。NHKの悪女記者とは、月とスッポンだ。

 うれしいことに、お願いしていた来年の手帳を国会で買ってくれたという。ありがたい。感謝感謝である。彼女は日本国憲法をよく読んでいる。大変な平和主義者だ。

 恩師・宇都宮徳馬の生まれ変わりのような、本物のジャーナリストだ。日刊ゲンダイを大きく育てた原動力は、ロッキード事件の児玉・中曽根ルートの疑獄である。

 

 再び安倍の桜疑獄が、日刊ゲンダイに好機をもたらしてくれている。

<大平さん、田中六助さん、共同三喜田さん、ロスのジェームソン特派員>

 誰がシャッターを切ってくれたものか、目の前に昔の小さな記念写真がある。13人写っているが、場所が特定できない。

 真ん中に、筆者が腕組みしながら満足そうな顔をしている。不思議な写真だ。大平おとうちゃんは、端の方に遠慮がちに立っている。塩崎代議士も。六さんは、真ん中に近い。当時の大平さんの番記者である。70年代だ。

 後方に、背の高いロサンゼルスタイムズのジェームソン特派員も、白い歯を見せている。信頼する共同通信の三喜田さんとは、今も手紙でやり取りしている仲だ。

 

<ロ事件は児玉・中曽根事件だった!>

 「ロ事件は中曽根事件だ」という角さんの遺言のような真相発言を証言してくれた六さんは、日経OBである。ロンドン特派員時代に朝からビフテキを食べる癖が、命を縮めてしまった。

 中曽根を救った稲葉修法務大臣(当時)は、後継人事で中曽根と関係を絶った。元中央大学法学部教授の稲葉さんとは、9条改憲論で、先輩後輩の間柄で激論を交わしたことが何度もあった。

 彼の奥さんがまた立派で、国会に毎日弁当を作って夫を支えていた。昼時に行って、よくご馳走になったものだ。まじめな家族だから、父親を後継した息子は、長く政界にとどまろうとしなかった。安倍晋三とは違った。離婚した娘は、兄の現役時代、事務所の面倒で忙しかった。

 

 稲葉家は御殿医の家系だから、彼女は「医者は病気を治す力などない」と教え込まれて育ったと教えてくれた。秘書の田中君は、いま愛媛県にいるはずだ。そういえば岳父・廣岡慎次の家系も加賀100万石の御殿医だった。

 ついでに、漢方について言及すると、皇帝の健康管理に失敗すると、皇帝医も殺される。そうした中で、生死をかけた数千年の歴史を刻んできた漢方医ゆえに、西洋医学に勝るとも劣らない。

 

<今は小異を残して大道につく時期>

 三喜田さんに話を戻すと、彼は「改憲の場面では、街頭デモに参加する」と叫んでいる京大OBである。不思議な古い写真をよく見ると、大平さんは首をやや左に傾けている。我は反対に少し右に。ナベツネが児玉や中曽根と共に悪戦苦闘しているころのはずだから、当時の読売もまともな時期だった。

 護憲リベラルの良き時代だった。いずれも写真の表情は生き生きとしている。国家主義や国粋主義など蹴散らしていたころだ。

 

 アベ自公・日本会議のカルト政権を蹴散らして、生き生きとした日本にする現在である。護憲リベラルが最高の航路である。

 そうするためにも、いま悪党を眠らせるような手抜きは許されない。小異を残して大同につく局面である。

2019126日記(東京タイムズ元政治部長・政治評論家・日本記者クラブ会員)