『神戸大大学院経済学研究科は、通常の倍の期間で学位を取得できる長期履修制度を来年度から導入する。働いていたり、育児や介護などの事情を抱えたりしている社会人が対象で、授業料は変わらない。 同大大学院ではこれまで、国際文化学研究科、人間発達環境学研究科、保健学研究科の3研究科の修士課程で、長期履修制度を設けている。 経済学研究科では社会人コースを1999年度に開設し、土曜日を中心としたカリキュラムを組んでいる。しかし、期間内に学位を取得できる学生は、過去3年間の実績をみると、修士課程で72.41%、博士課程で15%にとどまる。このため同研究科は、修士課程だけでなく博士課程でも長期履修できるようにする。 制度を利用した場合の修業期間は、修士課程が現在の2年から4年に、博士課程も現在の3年から6年に、それぞれ延長される。修業期間を延長しても、授業料(1年分53万5800円)は修士課程が2年分、博士課程が3年分と追加負担は発生しない。 来年度の入学者だけでなく、現在在籍する学生も希望すれば在籍期間を延長できる。問い合わせは同大経済学研究科(078・803・7250)へ。 』アサヒコム
日本の大學では、働くながら学べ、研究出来る条件が本当に整っているでしょうか。有名進学高校から現役で国立大學に合格し、学部卒業後直ぐに大学院に進学し恵まれた家庭環境の大学院生だけが、学問研究出来るのでは大學院での教育を受ける権利や教育機会の精神が損なわれます。大學院教育の学問の自由と平等性です。佐藤一斉『言志四録( 言志晩録) 『言志晩録』第60条 「少にして学べば、則ち壮にして為すことあり 壮にして学べば、則ち老いて衰えず。
老いて学べば、則ち死して朽ちず。」l 少而学、則壮而有為。壮而学、則老而不衰。 老而不衰。老而学、則死而不朽。 少にして学べば、則、すなわち壮にして為す事有り。壮にして学べば、則ち老いて衰えず。老いて学べは、則ち死しても朽ちず。」の教え通り、 社会人の人達の学問と研究意欲の有る人達に年齢を問わずに学問研究の場を神戸大学大學院としてこれから保障して行くべきだと思います。大學院は修士課程と4年博士課程は6年在籍期間として認められる筈です。豊かな社会経験と実務知識は、大学院の研究にも生かされ、学問中心の象牙の塔の大学院に社会人の研究者から社会の現実の風が吹き込まれ認識出来、大学院の活性化に繋がると思います。授業料1年分53万5800円は修士課程が2年分、博士課程が3年分と追加負担は発生しない措置は、中途退学者出ずに今後修了者を増やせるのではないでしょうか。社会人の研究者の通学時間や仕事の勤務状況も考えて、大学院の土曜日を中心としたカリキュラムを組む以外にも夜間カリキュラム講座も大學院として開設しても良いのでは無いでしょうか。
佐藤一斎
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
佐藤 一斎(さとう いっさい、1772年11月14日(安永元年10月20日)- 1859年10月19日(安政6年9月24日))は、美濃国岩村藩出身の著名な儒学者。諱は担。通称は捨蔵。字を大道。号は一斎のほか、愛日楼、老吾軒。
<script type="text/javascript"></script>
経歴
1772年11月(安永元年10月)、岩村藩家老佐藤信由の次男として、江戸浜町(中央区日本橋浜町)の藩邸下屋敷内で生まれた。1790年(寛政2年) より岩村藩に仕えた。十二、三歳の頃井上四明の門に入り、長じて大阪に遊学、中井竹山に学んだ、 1793年(寛政5年)に、藩主松平乗薀(のりもり)の三男乗衡(のりひら)が、公儀儒官である林家に養子として迎えられ、当主(大学頭)として林述斎と名乗った。一斎も近侍し門弟として昌平坂学問所に入門する。1805年(文化2年)には塾長に就き、述斎と共に多くの門弟の指導に当たった。
儒学の大成者として公に認められ、1841年(天保12年)に述斎が没したため、公儀の学問所昌平黌(しょうへいこう)の儒官(総長)を命じられ、広く崇められた。当然朱子学が専門だが、その広い見識は陽明学まで及び、学問仲間から尊敬をこめて『陽朱陰王』と呼ばれた。門下生は3000人と言われ、一斎から育った弟子として、山田方谷、佐久間象山、渡辺崋山、横井小楠等、いずれも幕末に活躍した人材たちがいる。同門の友人には松崎慊堂がいる。将軍侍医の杉本宗春院とは極めて親しかった。
また、一斎は常に時計を持ち、時間厳守を第一とする厳格な性格の持ち主であった。だが「蛮社の獄」では、無実の罪で窮地に落ちいった渡辺崋山を、擁護する毅然とした対応を取らなかったので、後々(特に明治以降)「言行不一致」と批判される事となった。
1854年(安政元年)の、日米和親条約の締結交渉では、大学頭林復斎(述斎の六男)を補佐している。
1859年10月(安政6年9月)、88歳で死去した。
著書
- 言志四録:佐藤一斎が後半生の四十余年にわたり記した随想録。指導者のための指針の書とされ、西郷隆盛の終生の愛読書だった、今日まで長く読み継がれている。
- 『言志録』、『言志後録』、『言志晩録』、『言志耋(てつ)録』の4書の総称である。
以下は一斎の言葉として有名な「三学戒」で、『言志晩録』第60条としてある。
- 2001年(平成13年)5月に総理大臣就いて間もない小泉純一郎が、衆議院での「教育関連法案」審議中に、言志四録について述べ知名度があがった。
- 「少にして学べば、則ち壮にして為すことあり
壮にして学べば、則ち老いて衰えず
老いて学べば、則ち死して朽ちず」
関連人物
- 吉田茂
- 一斎の孫娘士子が吉田茂の養母
- 佐藤方政
- 岩村藩の佐藤家は、方政の子孫という
- 田口卯吉
- 一斎の曾孫(長男・慎左衛門の孫)
参考文献
- 『佐藤一斎全集』全14巻が明徳出版社で刊行、1991年-2003年。(10巻目のみ未刊行)
- 『言志四録』から西郷隆盛が101条を選んだ「手抄言志録」を収録。69頁に佐藤一齋略傳を収録。