『公立高校の授業料無償化を巡り、留年生徒や卒業後に再入学した生徒について、全国の都道府県の約4割に当たる19都県が原則として授業料を徴収する方針を決めたことが、毎日新聞の調査で分かった。このほか4県は再入学生のみ徴収する方針で、授業料を支払うことになる留年生・再入学生は少なくとも計948人(6月28日現在)になる見通し。24道府県は原則不徴収の方針で、対応が全国でほぼ二分された。 4月に施行された高校無償化法は、国が公立高校生(専攻科は除く)の授業料相当額を都道府県に交付するよう定めた。ただし対象は標準修業期間(全日制3年、定時・通信制4年)内の生徒。この期間を超えた生徒で「不徴収が生徒間の負担の公平を損なう特別の事由」がある場合は学校設置者(都道府県や政令市など)が授業料を徴収できるとした。 毎日新聞が各都道府県の教育委員会に対し標準修業期間を超えた生徒への対応を調べたところ「原則徴収」の自治体は、36カ月以上在学すると無償にならない私立と公平にするため(岩手県)などの理由を挙げた。千葉県は再入学生について「学習意欲がある」と徴収対象から除外。また、各自治体とも留学や病気などの場合は徴収しないとしている。 一方、全国の自治体で最も早い3月中旬に「原則不徴収」を決めた京都府は「徴収すれば(経済的負担の軽減と機会均等を目指すとした)法の趣旨に合わず、勉学の機会提供に公平さが必要」とコメントした。香川など4県は再入学生からは徴収する方針で、このうち兵庫県は「(再入学は)生涯学習の意味合いがあり、高校無償化の趣旨と違う」とコメントした。
法政大の尾木直樹教授(臨床教育学)は「高校授業料無償は国際常識で、学力を養うことは国家の問題。すべて無償にすべきだ」と話す。』7月3日2時36分配信 毎日新聞
法政大の尾木直樹教授(臨床教育学)は「高校授業料無償は国際常識で、学力を養うことは国家の問題。すべて無償にすべきだ」と話す。』7月3日2時36分配信 毎日新聞
全国の高校で2008年度に留年になった生徒数は、約1万3400人にも上っています。 公・私立高等学校における平成11年度の中途退学者数は合計106,578人にも上っています。 高校の実質無償化なった以上高校留年者から、授業料を徴収するのは問題です。留年した正当な理由としては、交通事故や大怪我、病気、精神疾患、いじめや引きこもり不登校、両親の介護、家庭の経済的な問題で働かざるを得なくなった事情も有ると思います。未曾有の世界恐慌で保護者の倒産や廃業、リストラ等で高校中退者もかなり全国的に出ていると思います。中退者の復学も認めるべきだと思います。 原則論としては標準修業期間、全日制3年、定時・通信制4年内の生徒。この期間を超えた生徒で「不徴収が生徒間の負担の公平を損なう特別の事由」がある場合は学校設置者、都道府県や政令指定都市などが授業料を徴収出来るというのは公立高校実質無償化が実現する前の事です。公立高校の実質無償化している今日、高校も義務教育化したと言って過言では有りません。高校中退者や正当な理由の有る高校留年者を救済して行くべきでは無いでしょうか。兵庫県は「(再入学は)生涯学習の意味合いがあり、高校無償化の趣旨」と違うと言うコメントですが。高校を卒業すると言うことは、憲法第26条1項の教育を受ける権利、教育権は、高校生に取って生存的基本権に関わる問題です。高校卒業資格がなければ取得出来ない資格、仕事にも就けない現実が有ります。教育基本法「教育の機会均等」第4条1には、『すべての国民は。能力に応じて教育受ける機会を与えられなければならず、人種、信条、性別、社会的身分、経済的地位、門地によって教育上差別されない。 』のの「教育の機会均等」の精神から考えて正当な理由の有る高校中退者や高校留年者や再入学者から授業料を徴収することは教育基本法の「教育の機会均等」の規程に反するのではないでしょうか。教育こそ社会的弱者を切り捨てず、少子高齢化社会で何らかの実の有る政策が積極的に打ち出されない今の日本では、将来を支える若き労働力や人材を養成することは急務です。生涯教育では無く、労働人口の減少で技術立国、生産立国に日本は危機的状況に陥ることは明白で高校中退者や高校留年者を減らしていくことが急務です。そうしないと少子高齢化により、労働力不足により外国人労働者や海外からの移民を受け入れないと日本の産業界は立ち行かなくなることが、身近に迫っていると思います。政府の長年より無為無策が、財政破綻の解決ばかり目を取られ、日本の産業社会を支える労働力不足問題を今の内に見据えないと日本は斜陽化する日が必ず来るのでは有りませんか。イギリスやドイツ、フランスのように外国人労働者と移民が、日本でも問題化するのでは有りませんか。
ロボットやコンピューター制御の優秀な機械が生まれても人間の力には及ばないと言うことを忘れているのでは有りませんか。優れた機械で有っても人間が作ったもので、人間が機械に使われるようでは困ります。高度な機械も人間が使うものでなければなりません。