goo blog サービス終了のお知らせ 

教育カウンセラーの独り言

今起こっている日本の教育の諸問題と受験競争の低年齢化している実態を見据えます。

木内みどりさんが死去 69歳 急性心臓死で 「熱中時代」「元気が出るテレビ」

2019年11月21日 17時17分55秒 | 芸能ネタ

木内みどりさんが死去 69歳 急性心臓死で 「熱中時代」「元気が出るテレビ」

木内みどりさん2枚

 『女優の木内みどりさん(本名・水野みどり)が18日に急性心臓死で亡くなったことが21日、分かった。69歳。映画配給会社などが発表した。本人の遺志により、通夜、告別式は行わず「家族のみでお別れをいたしましたことをご報告いたします」としている。

 ツイッターには「これまで応援してくださいました皆様、またお世話になりました皆様へ謹んで御礼を申し上げます」とつぶやかれ、続く投稿では「後日『木内みどりの小さなラジオ』HPに皆様からのお別れのお言葉を残していただける場所を設置する予定です」としている。同ラジオの公式サイトでも、ツイッターと同文が掲載されている。

 木内さんは、劇団四季を経て68年の「日本の幸福」でドラマデビュー。その後もTBS系「コメットさん」「野々村病院物語」、日本テレビ系「熱中時代 刑事編」、NHK大河ドラマ「西郷どん」など人気テレビドラマに出演。バラエティでも日本テレビ系「天才 たけしの元気が出るテレビ!!」で「秘書」として出演していた。

 最近では、11月8日に公開されたばかりの映画「夕陽の後」に出演していた。』

人の命は、分かりませんなあ。

亡くなった俳優の成田三樹男さんが、松田優作さんの葬儀の時に生前言われた言葉です。

御冥福をお祈り申し上げます。

神様しか、人間の寿命はお知りにならないと言うことです。

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

八千草薫さん、すい臓がんのため死去 88歳 “日本の理想の女性”

2019年10月28日 17時10分35秒 | 芸能ネタ

八千草薫さん、すい臓がんのため死去 88歳 “日本の理想の女性”

八千草薫さん、すい臓がんのため死去 88歳 “日本の理想の女性”

八千草薫さん

(サンケイスポーツ)

 “日本の理想の女性”と呼ばれた女優、八千草薫さんがすい臓がんのため死去していたことが28日、分かった。88歳だった。関係者によると24日午前7時45分、東京都内の病院で息を引き取りこの日、荼毘に付された。2017年末にすい臓がんが判明し、18年1月に手術を受けたが、今年に入って転移した肝臓がんが見つかった。治療専念のため入院し復帰を誓っていたが、帰らぬ人となった。

 戦後の昭和から平成を駆け抜けた大女優が天国へと旅だった。八千草さんは女優人生のなかで大病をしたことはなかったが、17年末に人間ドックですい臓がんがみつかり、翌年1月にすい臓を全摘出する手術を受けた。その後、2カ月間療養し同3月からドラマの撮影で仕事復帰。抗がん剤治療を受けながら、8、9月には主演舞台「黄昏」も成功させるなど精力的に活動してきた。

 プール女学院在学中の1946年に宝塚歌劇団に入団し可憐な娘役として活躍。51年東宝映画「宝塚夫人」でスクリーンデビューして以来、「蝶々夫人」「宮本武蔵」「残菊物語」「雪国」などに次々と出演しスターの座を確立した。

 一方、活躍の場をテレビにも広げ、山田太一脚本のTBS系「岸辺のアルバム」では清楚で清潔感のあるイメージから一転、不倫妻を熱演して注目を集めた。また、NHK連続テレビ小説では「風見鶏」(77年)、「ロマンス」(84年)、「君の名は」(91年)でナレーターを務めた。

 私生活では57年に17歳年上の映画監督、谷口千吉氏と結婚。おしどり夫婦ぶりで知られ夫婦ともども山歩きが趣味であることから環境庁自然環境保全審議会委員を務めたこともある。』

 

八千草薫さんの御冥福をお祈り申し上げます。

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

50歳を超えていてびっくりした女性有名人ランキング

2019年09月11日 06時19分56秒 | 芸能ネタ

50歳を超えていてびっくりした女性有名人ランキング

 
芸能界には、実年齢よりも若く見える女性有名人が多く存在します。若々しく見えるのに、実は50歳を超えているという人も。そこで今回は、50歳を超えていると聞いて驚く女性有名人について探ってみました。

1位 森高千里
 
 
森高千里さん写真を見るといつもお顔を上に向けています。
進歩向上心の強い女性と思います。
肥後のもつこすです。低い鼻筋の多い女性が多い昨今、プライドが、高く強い意志を示す山根の高い鼻筋です。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

渡哲也 現場復帰 1年ぶりカメラの前で「大きな喜びに」吉永小百合と息ピッタリ

2019年09月09日 11時13分45秒 | 芸能ネタ
 

 

渡哲也 現場復帰 1年ぶりカメラの前で「大きな喜びに」吉永小百合と息ピッタリ

 「松竹梅」CMで10回目の共演となる渡哲也(左)と吉永小百合

(デイリースポーツ)

 俳優の渡哲也(77)がこのほど、都内スタジオで、女優・吉永小百合(74)とともに宝酒造「松竹梅」の新CMの撮影を行った。呼吸器疾患でリハビリ中の渡にとって、1年ぶりの現場。日活時代から半世紀以上の関係で、同CMでの共演は今年で10度目となる吉永とは息もぴったりで、12月25日から全国オンエアされる「令和のお正月」編の撮影に臨んだ。

 1年ぶりにカメラの前に立った渡は、久々の再会を果たした吉永と、固い握手を交わした。2日間に分けてスチール撮影とムービー撮影を行い、「大きな喜びに」と、セリフを力強く決めた。

 合間には談笑しつつ、撮影は穏やかな雰囲気の中で進められた。気心の知れた2人だけに、渡は「吉永さんとの共演は、安心感があり和やかな雰囲気で撮影することができました」と振り返った。

 令和初の新春に、元気な姿を届ける。呼吸器疾患などでリハビリ中の渡は、今年7月の石原裕次郎さんの三十三回忌法要では体調を考慮し、手紙を裕次郎さんの妻まき子さん(86)に託して欠席。ファンを心配させたが、現場復帰へ自らを奮い立たせてきた。「現在は、トレーニングをしながら体力の回復に励んでおります」と話すように、週3〜4日はストレッチやエアロバイクなどで体を動かし、筋力回復にいそしむ毎日を送っている。

 宝酒造のCMは、1970年から出演していた裕次郎さんが87年に死去し、渡が88年から引き継いできた。並々ならぬ使命感に支えられている渡は「1970年に石原が宝酒造さんのCMをお受けして以来、来年で半世紀という節目を迎えることになります。時の流れの早さを感じながら、裕次郎さんとお酒を酌み交わしたうれしく楽しい日々を思い出しております」と、感慨を口にした。

 また、吉永は「今年も渡さんと楽しい現場で新しいコマーシャルを作りました。ご期待ください」と話した。
 
シェア
 
ツイート
goo blog
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

『エヴァ』主題歌で億万長者に…作詞家女性の失敗と反省

2019年07月17日 12時27分27秒 | 芸能ネタ



2019/07/17 11:00



『エヴァ』主題歌で億万長者に…作詞家女性の失敗と反省

(女性自身)

社会に出たころの貯金はゼロながら、億単位の資産を持つまでに至った女性がいる。そんな“億女”の言葉には、大いに学ぶべきところがある――。

「お金を稼ぐことは好きですが、執着するということはまったくありません。モノにも執着がないし、もっと言えば、自分の命に対しても執着はないんです――」

作詞家の及川眠子さん(59)は、『残酷な天使のテーゼ』をはじめ、エヴァンゲリオン関連の曲を手がけ、6億円以上の印税収入を獲得したヒットメーカー。この四半世紀、年収は3,000万円を切ったことがない。まさにペン1本で“億女”になった人だ。

「『デビュー以来どのくらい稼いだの?』と問われると、『10億円以上は確実にあるけれど、20億円には届かないかもなぁ』と答えてしまうくらい大ざっぱなんです。あ、でも税理士さんには把握してもらっています(笑)」

そんな及川さん、稼ぐ額だけではなく、その使い方も豪快だ。「人生絶不調だった」という'14年には、体調を崩し、預金残高は3万2,000円になっていたという。

「いまも自宅は仕事場を兼ねているので、びっくりされそうな家賃を払っていますし、税金も払って……。入ってきたお金が手元に残ることはほぼないんです」

さかのぼると、撤退してしまったシティバンクにファンド購入を勧められて失敗、「トルコに物件を買うともうかる」とそそのかされ、家も洞窟(!)も買ったが、それも失うことに。

「失敗を繰り返してわかったことは、私には本業以外への投資は向いていないということです(笑)」

そんな及川さんの“億女”になるまでの軌跡をたどると、「音楽の世界で生きていきたい」と、地元和歌山から上京してきたのが24歳のとき。貯金はなく、友人に頼んで安アパートを探してもらったそう。

上京後はリクルート社の営業職など、じつに12回の転職を繰り返すが、その傍らで作詞を続け、1年後に「三菱ミニカ・マスコットソング・コンテスト」で最優秀賞を受賞、作詞家デビューをはたす。

転機となったのは'88年、Winkに提供した『愛が止まらない』が大ヒット、続いて翌年には『淋しい熱帯魚』が日本レコード大賞を受賞する。「作詞家として、ヒット曲を出す、レコ大を取る」という目標を20代にしてかなえた。

そして'95年、大ヒット曲『残酷な天使のテーゼ』を手がける。

「企画書を斜め読みしたうえで、『哲学的に』というオファーがあったので、そのように詞を書いていきました。2時間くらいで完成しました。じつは、『エヴァンゲリオン』の本編はいまだに見たことがなくて……」

成功のいっぽうで、のべ数千曲を書くなか、「これは」と手応えを感じた自信作が日の目を見ないこともあったという。

「職業作詞家ですから。苦手なジャンルも断らず引き受けました」

プライベートでは'05年に旅先のトルコで知り合った18歳年下のトルコ人男性と結婚。そこから「ジェットコースターのような日々」が始まる。結婚生活9年間で元夫に費やしたお金は、洞窟ホテルの開業を目指すなど、3億円という豪快すぎる金額。離婚時も7,000万円の借金を背負ったという。

「誰しも失敗はすると思うんです。そのとき『はい! 失敗です』って素直に失敗を認められたなら、その途端に“失敗”は“経験”に変わる。おもしろい経験をさせてもらったと考えています」

元夫のおかげで学んだことは「人のお金でビジネスをしようとしても、危機感が欠如するので成功しない」ということだという。

「よく『どうやったらお金が手に入りますか?』と質問されますが、あえていうなら、お金は貯め込むと濁るから『人にお金を使う』ということに尽きます。『お金を持ってくるのも、仕事を持ってくるのも人』ということですね」

お金の使い方で後悔はしない。失敗も糧にする“億女”の“哲学”は、示唆に富んでいる。


<form class="header" action="https://ja.m.wikipedia.org/w/index.php" method="get">
 ねこさんと言うお名前が面白いですね。
及川さんのご自分の経験による人生哲学です。
</form>

及川 眠子(おいかわ ねこ、1960年2月10日 - )は、日本作詞家和歌山県和歌山市出身。血液型B型

及川 眠子
生誕 1960年2月10日(59歳)[1]
出身地 日本の旗 日本,和歌山県[1]和歌山市
ジャンル J-POP
アニメソング
活動期間 1985年[2] -
 
 
 
 

来歴・人物

中学生の時に「音楽が好きで、音楽に携る仕事がしたい」との思いから作詞家を志し、「及川眠子」という筆名を思いつく。高校生の頃にシンガーソングライターに憧れたが、ギターのFコードが弾けず作曲を断念[3][4]。タウン誌の編集、コピーライターなど12回の転職を経験後、1985年に車のPRソングの歌詞を募集する「三菱ミニカ・マスコットソング・コンテスト」に応募した作品「パッシング・スルー」(歌:和田加奈子)が応募総数36785通の中から最優秀賞を受賞し、作詞家としてデビュー[2]。「パッシング・スルー」は秋元康が補作詞をしているため[2]、実質的なデビュー作はその8か月後のポピンズのアルバム収録曲「秘密100パーセント」「リップ・スキャンダル」。

フジパシフィック音楽出版(現フジパシフィックミュージック)所属時代には[4]WinkCoCoなど1980年代後半から1990年代前半のアイドルのヒット曲に多くの歌詞を提供した。1989年にはWinkの「淋しい熱帯魚」が「第22回全日本有線放送大賞年間グランプリ」と「第31回日本レコード大賞」を[5]1994年にはやしきたかじんの「東京」が全日本有線放送大賞で「読売テレビ最優秀賞」と「特別賞」を受賞した[6]。また、1995年に発売された高橋洋子の「残酷な天使のテーゼ」(テレビアニメ『新世紀エヴァンゲリオン』オープニングテーマ)は発売15年にして2011年JASRAC賞金賞(著作権分配額1位)を受賞した。この他、CMやミュージカルなどの作詞も手がけている。

あまり売れなかったが好きな自作曲として、池田聡の「僕は君じゃない」、大地真央の「ララバイ」を挙げている。

印税について、「エヴァンゲリオンはすごい。カラオケで歌われると1回につき1円から1.2円が入る。カラオケよりもパチンコの印税が高い」、年収について「パチンコの時は、いきました。この四半世紀くらい年収は3,000万円を切ったことはない」と明かしている一方で、『新世紀エヴァンゲリオン』自体はほとんど見ておらず、終わった仕事なので興味はないと語っている。

 

影響

中山ラビ加川良の影響を受けており、はじめは彼女らのマネから詩作を始めたと述べている[9]

 

評価編集

Winkのプロデューサーをつとめた水橋春夫は、「初めて詞を見たときに感じたけど、あなたの着眼点は人とまったく違っていた」と評価している[10]。エヴァンゲリオンの主題歌を歌った高橋洋子は、どんなに難しい曲でも及川の詞が乗ると途端に歌いやすくなると述べており、彼女の詞を「歌に乗せると生きる詞」だと表現している[1]

 

作詞作品編集

2018年6月時点で、音楽作品での作詞担当は931曲、舞台やCMその他の曲では303曲にも及ぶ[11]




goo blog

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

田村正和 心臓手術していた!「静かに死にたい」と胸中語る

2019年06月25日 06時40分04秒 | 芸能ネタ

田村正和 心臓手術していた!「静かに死にたい」と胸中語る

田村正和 心臓手術していた!「静かに死にたい」と胸中語る

田村正和 心臓手術していた!「静かに死にたい」と胸中語る

(女性自身)

「最近、田村さんが出演した過去作品の使用許可を取ろうと事務所に電話をかけたんです。ですが全く連絡がつかず、事務所は閉鎖状態。なんとかつかまえたマネージャーさんも、『私も田村さんとはしばらく話をしていない』と言っていました。お元気だといいのですが……」(テレビ局関係者)

平成を代表するドラマ『古畑任三郎シリーズ』(フジテレビ系)などで、絶大な人気を誇った田村正和(75)。しかし、昨年2月に放送された『眠狂四郎 The Final』への出演を最後に表舞台からすっかり姿を消していた。2年前に本誌が取材した際、かなり痩せて見えた田村。俳優業について「もう十分やってきたから……」と“引退宣言”ともとれる発言をしていたのだった。そして、もう1つ気がかりな点があった。50年近くにわたって田村を支えてきた妻・和枝夫人(78)だ。近隣住民はこう語る。

「実はここ数年、奥さまの姿をほとんど見かけていません。高齢のご夫婦ですし、近所のみんなも心配しながら見守っている状態なんです……」

謎のベールに包まれた田村の“隠居生活”。6月中旬の午前10時過ぎ。麦わら帽子をかぶったしゃれた装いで、都内にある自宅から現れた田村。ウオーキングに出掛けたのか、自宅周辺を歩くこと20分。軽い屈伸運動を終え、自宅へと戻ろうとした田村に記者は話を聞いた。

――田村さんは今どのように毎日過ごされていますか?

「のんびりしているよ(笑)。たまに天気の良い日は、気が向いたらこうやって歩いてみたりね」

突然の問いかけにも、嫌な顔ひとつせず答える田村。不安視されている和枝さんの近況について聞いてみると、微笑みを浮かべながらこう語った。

「カミさんは、俺より元気。心配ないよ(笑)。夕方になったらカミさんと2人で食事して、ニュース番組やテレビを見て、そして寝る。健康的な毎日ですよ」

晴耕雨読な日々を過ごす田村だが、自身の体調は万全ということなのだろうか?

「う〜ん、それは普通かな。前に心臓を悪くして、手術もしたからね。だから無理はできないんです。生きるうえで、体はいくつになっても大切だからね」

2年前の本誌取材で、「心臓の手術はしていない」と語っていた田村。しかし、姿を消している間に治療を済ませていたのだ。

「10年以上前から田村さんは、心臓に病を抱えていました。冠動脈性心疾患という、心臓に血液を送る冠動脈が狭くなったり、ふさがってしまう病気です。発病してからは、奥さんに心配をかけまいと大好きだったたばこもやめたそうです」(田村の知人)

田村が手術を決意した陰には、俳優として“最後のプライド”が隠されていた。

「田村さんは、昨年の『眠狂四郎 The Final』を最後の出演作と決めていました。40年以上にわたって演じてきたシリーズだけに、並々ならぬ熱意で撮影に臨んでいたといいます。病いと闘いながらの撮影でしたが、かたくなに手術を拒んだと聞いています。完璧主義者で知られる田村さんは『俳優をやっている間は体にメスを入れたくない!』とかねて考えていたようです。撮影が終わったことで、ようやく手術を決断することができたのだと思います。また、ずっと心配してくれた奥さんを安心させたいという思いもあったのでしょうね」(前出・田村の知人)

以前、本誌でも報じたように、生前墓を購入するなどひそかに老い支度をしてきた田村。自身の老後について尋ねてみると、“田村流の死生観”を明かしてくれた。

「僕はもう、やり切ったから『静かに死にたい』っていう感じかな」

日本のドラマ界を長年にわたってけん引してきた田村の姿をもう見ることはできないのだろうか?復活を願う記者の質問に「あとは静かにフェードアウトするだけだね」と否定する田村。

しかし不敵な笑みを浮かべ、こう続ける。

「映画もテレビもやったし、舞台もやった。昭和から始まって、平成まで。もう十分じゃないかな。令和はまだだけれどね。フフフ」

表舞台から離れ、今は夫婦2人きりの、穏やかな暮らしを楽しんでいる田村。だが、その姿からは今も変わらぬ大スターのオーラがあふれていた――。』
 
田村正和さんは、自らの天命を知り、悟られたのでは有りませんか。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

岡村孝子が急性白血病を公表「必ず元気な姿で戻って参ります」 デイリースポーツ2019年04月22日10時26分

2019年04月22日 14時53分49秒 | 芸能ネタ

 

デイリースポーツ2019年04月22日10時26分

岡村孝子が急性白血病を公表「必ず元気な姿で戻って参ります」

 シンガーソングライターの岡村孝子(57)が22日、公式HPで急性白血病であると公表した。これに伴い、現在発表されているコンサートツアー4公演が中止となる。デイリースポーツの取材に対し、岡村の関係者は17日に診断を受け、現在は入院中としている。

 公式HPによると、岡村は「先日行った検査の際に『急性白血病』と診断され、急きょ、長期の療養に入ることになりました」と報告。「6年ぶりとなるオリジナル・アルバムのリリース、コンサートの開催を目前に控える中、アルバム、コンサートを楽しみにお待ち頂いている皆様、また関係者の皆様には多大なご迷惑とご心配をお掛け致しまして誠に申し訳ございません」と記されている。

 「岡村孝子はまた皆様の前に必ず元気な姿で戻って参りますので、どうか温かく見守って頂けますようお願い申し上げます」と、必ずの復帰を約束している。

 岡村は加藤晴子とのデュオ「あみん」として82年にデビュー。「待つわ」が大ヒットし同年の紅白にも出場した。83年にあみんの活動を休止し、85年にソロアルバムを発表し、ソロデビュー。87年には「夢をあきらめないで」などを発表し大ヒット。その後も発表するアルバムが6作連続アルバムチャート1位を獲得するなど、「OLの教祖」と呼ばれ、多くの女性から圧倒的な支持を得た。

 来月5月22日には、6年ぶり、18作目となるオリジナルアルバム「fierte」が発売予定。それに伴い、コンサートツアーも行う予定だったが、6月15日、22日、30日、7月14日のツアーは公演中止となる。』

 

全快をお祈り申し上げます。

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

林家こん平 自殺未遂を起こしていた

2019年03月30日 10時50分37秒 | 芸能ネタ

"デイリースポーツ" width="100" />

林家こん平 自殺未遂を起こしていた

 自殺未遂を起こしていたことが明らかになった林家こん平=都内

(デイリースポーツ)

 多発性硬化症で闘病中の落語家・林家こん平(76)が29日、都内で、「地方創生・ふるさと輸入プロジェクト」の発表会見を実施。2005年のリハビリ中に自殺未遂を起こしていたことを明かした。

 こん平は04年8月、日本テレビ系「24時間テレビ」内で、レギュラーを務めていた演芸番組「笑点」の特番に生出演後に倒れ、救急搬送。多発性硬化症と診断された。会見に同席した次女の笠井咲さんによると、05年にリハビリ用の病院に移ったが、落語家として復帰できないのではと思い悩み、病室の窓を開けて飛び降り自殺を図ろうとした。未遂に終わったという。

 こん平は現在、当時の経験も踏まえ、自殺予防キャンペーンで地元の新潟県庁を訪問するなど、精力的に活動。要介護認定も当初の「4」から「2」まで下がった。過度の飲酒が病気につながったとされているが、この日は「地元のお酒を飲みたい」と笑顔で話す場面も。咲さんは「来年の東京オリンピック・パラリンピックに向け、文化の祭典に落語家として参加できるように頑張っています」と話した。』
 
誰でも難病になれば、死ぬ事を考えます。
起死回生の落語家として、難病を煩う人達の為にも頑張ってください。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

萩原健一さん死去 4度の逮捕、4度の結婚…極秘闘病の末、力尽く

2019年03月29日 05時08分53秒 | 芸能ネタ
 
2019年ここから本文です3/28(木) 22:57配信

デイリースポーツ

 

 

 俳優・萩原健一=本名・萩原敬三=さんが26日午前10時30分、都内の病院で亡くなっていたことが28日、分かった。68歳。所属事務所が書面で発表した。病名はGIST消化管間質腫瘍)。2011年からひそかに闘病していたが、本人の強い要望で病名の公表を控えていた。妻でモデルのリカ=本名・理加=さん(57)が最期を看取ったという。葬儀は家族のみで営まれ、都内の斎場で27日に荼毘(だび)に付された。

【写真】人身事故を起こして記者会見する萩原健一さん

 萩原さんは1967年、「ザ・テンプターズ」のボーカリストとして、16歳でデビュー。ドラマ「傷だらけの天使」など俳優として圧倒的カリスマ性を発揮。“永遠の不良”と呼ばれた。嵐のように生きた生涯に幕が下ろされた。

 4度の逮捕、4度の結婚…。自身でも「嵐のように激しく生きてきた」と振り返っていたように、波乱に満ちた人生だった。83年には大麻取締法違反(所持)で逮捕。84年に飲酒運転で人身事故を起こし、逮捕。2004年10月にも人身事故を起こして逮捕され、謹慎した。

 05年には降板した主演映画の出演料をめぐるトラブルにより、恐喝未遂容疑で逮捕。映画「透光の樹」の主役を途中降板しながら、同映画のプロデューサーに対し、山口組など暴力団の実名を出し、「契約書通り払ってください」などと脅迫したというもので、同年6月に懲役1年6月、執行猶予3年の有罪判決を受けた。

 その後は活動を休止。08年から活動を再開したが、緩やかな仕事ぶりとなった。

 私生活では80年に女優・いしだあゆみ(71)と再婚、84年に離婚した。2011年2月、モデルの冨田リカと4度目の結婚。この結婚後は、物腰も柔らかくなり、あちこちで「ショーケンが丸くなった」と言われるように。周囲の人がうらやむほどのアツアツぶりをメディアの前でも披露していた。』

 

萩原健一さん波瀾万丈の四度目の人生でしたが、人の命は本当に分かりませんね。

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

欽ちゃん 駒大を“積極的”留年「大学が楽しいもんで…もう1年ド〜ンとやってみよう」

2019年03月04日 06時48分16秒 | 芸能ネタ

欽ちゃん 駒大を“積極的”留年「大学が楽しいもんで…もう1年ド〜ンとやってみよう」

15年、入学式会場前で欽ちゃん走りを披露する萩本

(スポニチアネックス)

 駒沢大仏教学部4年に在籍しているタレントの萩本欽一(77)が、取得単位が不足しているため今春で卒業せず、留年することが3日、分かった。

 欽ちゃんは本紙の取材に「大学が楽しいもんで、もっといたくなっちゃって単位を取らなかった」と積極的な留年であることを明かした。「ゆっくりと勉強したいというのが一番。もう1年、ドンとやってみよう!ってことだね」と4月からの“5年生生活”に目を輝かせている。

 認知症対策の一環で、72歳だった14年に大学受験を決意。猛勉強を重ねた末、翌15年の社会人入試に一発合格し“70代の大学生”として大きな注目を集めた。1年次からほとんど全ての講義に出席し、成績もほとんど最上の「S」評価をマーク。「最初は四苦八苦していた試験も、やり方が実にうまくなってますます面白くなった」という優等生だ。

 しかし「普通に4年で卒業するのはイヤだなと。卒業しないことがこんなに幸せなことだという歴史を残したかった」と、4年になっていくつかの試験を放棄。残り単位は30ほどといい、あと1年で十分取得可能だが「もう1年いたくなったら、また取り残しちゃうかもしれない」と笑った。

 「5年学ぶことで、大学生から“大学人”になりたい。この肩書が、留年に代わる言葉になるくらい頑張るよ」と、独特の表現で志を語った。一方で年下の同級生や教員からは「要するに留年でしょ」とツッコまれているといい「それもまたオチがついていいでしょう。コメディアンとしては、そう言われることも受け止めてますよ」と語る。「視聴率100%男」は、引き続き常識を超えたキャンパスライフで日本中を驚かせる。』
 
卒業出来そうなので、留年しても良いですね。
お年が、お年なので、健康に注意されて卒業は早くして欲しいと思います。
学ぶことに年齢制限は無いという事を証明されたのは高齢化社会の今の日本にきんちやん旋風を吹かせてました。
禅語の教え『老松に凌雲の勢い有りです。』です。

 

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

エンタメ 堀ちえみ 口腔がん闘病を公表 ステージ4「かなり厳しい状況」も「私は負けません」

2019年02月19日 13時34分58秒 | 芸能ネタ




堀ちえみ 口腔がん闘病を公表 ステージ4「かなり厳しい状況」も「私は負けません」

2019/02/19 10:03



堀ちえみ

(スポニチアネックス)

 タレントの堀ちえみ(52)が19日、自身のブログでがん闘病中であることを公表した。口腔がんでステージ4であることを告白し、「かなり厳しい状況です」などとつづり、治療に専念することを明かした。

 堀は「2月4日に検査入院の際の、検査結果が出るという事で、それに合わせて、今後の治療方針を決める事に、なっていました。舌の生体検査の結果、口腔癌(左舌扁平上皮癌)と診断。そして左首のリンパにも、転移している事が判明。ステージ4との告知を受けました。かなり厳しい状況です」と自らの病状を説明。「いろいろ後悔しても始まらない。ただ前だけを向いて、ポジティブに生きていこうと。私は負けません」と闘病への決意をにじませた。

 堀は19日に入院し、22日に手術を受ける予定。手術は口腔外科と形成外科の合同チームで行われ、「舌の半分以上を切除。首のリンパに転移した腫瘍も、同時に切除します。切除した舌には、自分の皮膚の一部を、移植します」。「先生方を信頼して、身を委ねてお任せしたいと思います」と12時間以上におよぶ大手術に臨む心境を明かした。

 「力いっぱい闘って、必ず戻って来ます。そして再びファンの皆様の前で、歌が歌えるようになりたい」と復活を誓い、「その為にも頑張って、治療に専念させていただきます」と治療に専念することを報告。「皆様にはどうか、温かく見守っていただければと思います。尚、当ブログは体調の良い時に、時々更新させていただきますね」とし、最後は「私は負けない!」と力強く締めくくった。

 ◆堀 ちえみ(ほり・ちえみ)1967年(昭42)2月15日、大阪生まれの52歳。81年、第6回ホリプロスカウトキャラバンで優勝し芸能界入り。翌年、「潮風の少女」で歌手デビュー。83年、TBSのドラマ「スチュワーデス物語」で「ドジでノロマな亀」のヒロインを演じ人気に。87年、一度、芸能界から身を引くがその後、復帰。現在はバラエティーなどで活躍中。

誰でも病気になりまっせ浪花の姉ちゃんのど根性で、癌に勝ち抜いて下さい。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

サンミュージック波乱の50年 引きずった岡田有希子の死「お父さんの一言に救われた」

2018年11月18日 14時56分17秒 | 芸能ネタ
ミュージック波乱の50年 引きずった岡田有希子の死「お父さんの一言に救われた」



08:40


創業者の故・相澤秀禎さんと二人三脚でサンミュージックプロダクションを設立した元専務、福田時雄名誉顧問 (C)oricon ME inc.

(ORICON NEWS)

 老舗芸能プロダクション「サンミュージックプロダクション」が11月27日、創業50周年を迎える。タレント第1号の森田健作氏をはじめ、都はるみ、松田聖子、岡田有希子、酒井法子、ベッキー…その系譜を辿れば“芸能界の歴史”そのものとも言える。そこで今回、創業者の故・相澤秀禎さんと二人三脚でサンミュージックプロダクションを設立した元専務、福田時雄名誉顧問に、栄光と波乱の50年について聞いた。

■松田聖子は押しかけ上京で“ポスト百恵”に「聖子は自分で運を掴んだ」

――サンミュージックの第1号タレントは森田健作さんだとお聞きしました。

【福田時雄】初めて自分で探してきたタレントが森田健作でした。本人は芸能界に興味がなかったけれど、なんとか説得し、当時人気絶頂だった黛ジュンさんの映画『夕月』の相手役募集に応募させたところ、見事合格。それが1969年の11月25日で、撮影がスタートしたのが2日後の11月27日。その日がサンミュージックの創立記念日なんです。

――その後、森田さんは主演映画、歌手デビューと順調なスタートを切ったわけですね。

【福田時雄】そして、相澤(秀禎)が2人目として連れてきたのが野村将希(デビュー時・野村真樹)。その年の新人賞を取り紅白歌合戦に出場しました。そのころ事務所も手狭になり新宿三光町から四谷4丁目に引っ越したのですが、森田が撮影用のライトが頭に当たって入院、野村も雑誌の取材中に落馬して入院と最悪の出来事が続きました。

――好転するきっかけというのは?

【福田時雄】新宿三光町の事務所は昼間でも電気をつけないと暗いような部屋でしたが、日当たりの良い四谷4丁目に引っ越して、不思議と良くなったんです(笑)。そんなときに現れたのが桜田淳子でした。『スター誕生(スタ誕)』(日本テレビ系)の秋田大会をみて、ぜひこの子だと思い手をあげました。

――『スタ誕』からはたくさんのスターが生まれました。

【福田時雄】森昌子、山口百恵、ピンクレディー、小泉今日子、中森明菜など。うちも桜田淳子をはじめ渋谷哲平、岡田有希子など『スタ誕』から9人入りました。この番組は日テレがバックアップしてくれて歌番組やドラマに出られるというメリットもあったんです。

――80年代のスターと言えば松田聖子さんは外せません。聖子さんとはどんな出会いだったのでしょうか。

【福田時雄】CBSソニーの若松宗雄ディレクターが連れてきたのですが、当初は断るつもりでした。ただ彼女の声を聴いたらとても良い声だったので、来年高校を“卒業”したら東京に出てくるように言ったんです。ただご両親が芸能界入りに反対していたので、僕が福岡まで説得にいき許諾を頂きました。そしたら聖子はなんと高3の夏休みに東京に出てきました。仕方がないので相澤の自宅に下宿させレッスンを開始しましたが、秋には『おだいじに』(日本テレビ系)というドラマに出演しまして、その役名が「松田聖子」なんです。翌年の春、資生堂のCMソング「裸足の季節」で歌手デビューしましたが、そのタイミングで山口百恵さんが引退を発表し、いきなり聖子が“ポスト百恵”と言われて注目されました。

――タイミングも味方したわけですね。

【福田時雄】高校を卒業してから東京に出てきていたら、そんなことはなかったわけで、聖子は自分で運を掴んだんです。さらに聖子が成功したのは、歌声が良いこと、そして負けず嫌いってことですね。ご両親を説得にいったときも、聖子がお盆でお茶を運んできて、そのお盆を胸に抱いたまま廊下に正座して、父親が「うん」と言うまで動かないという強い意志を感じました。

――聖子さんがデビューしたころは、歌番組もたくさんあって、歌謡曲がすごく盛り上がっていました。

【福田時雄】都はるみさんの「大阪しぐれ」がミリオンセラーになりその年のレコード大賞最優秀歌唱賞を受賞したり、牧村三枝子も「みちづれ」が大ヒット、聖子もヒット曲連発。とにかくいい時期でしたね。

■デビューに反対だった岡田有希子の父親「立派に成長させる」と約束した

――聖子さんの後もアイドルがたくさんでました。
【福田時雄】次は早見優ですね。ハワイの明るい太陽の下で育ったなんとも言えない明るさがありました。彼女がデビューした1982年は、花の82年組と言われて、シブがき隊、中森明菜、小泉今日子、松本伊代、堀ちえみ、石川秀美、三田寛子…たくさんいて大変でした。

――当時は賞レースが盛んでした。

【福田時雄】優もいろんな賞にノミネートされるんですけど、いつも同じ7組が入賞していて。優もそこに入ってたんですけど、横浜音楽祭では落選。それで落胆していると思って焼き肉に連れていったら、優がトイレに行って出てこない。しばらくして目を真っ赤にして出てきて「スピーチさせてください」っていうんですよ。さすがハワイから来ただけあるなと思って聞いたら、「トイレで悔しくて泣いていて、ふと鏡を見たら、自分の顔が醜くて、自分が思いあがってことに気づきました。明日からまた頑張ります!」と言ったんです。17歳でその発言はすごいなと思って、それからはみんなで本当に全国を駆けずり回って頑張りました。

――次が岡田有希子さんですね。

【福田時雄】有希子も『スタ誕』出身です。ここも父親が大反対でいくつか彼女に条件をつけたんです。それを彼女は頑張って全てクリアしたんです。そこで私は「彼女を3年だけ私に預けてください。必ずスターにするとはお約束できませんが、不幸にして売れなくてお返しする時には立派に成長させてお返しします」と、父親にお話をしてお許しを頂きました。

――岡田さんとのエピソードを教えてください。

【福田時雄】北海道にキャンペーンで行ったとき、彼女が雪で転んだんです。でもなかなか起き上がらない。みんながのぞき込むと寝転がったまま「星がきれい」って言ったんです。負けず嫌いですよね(笑)。

――聖子さんも岡田さんも、スターになる人は負けず嫌いなんですね。その後には酒井法子さんが頭角を現しました。

【福田時雄】酒井法子のデビューは1986年。デビュー早々「のりピー語」が大流行し、シングル「夢冒険」が選抜高校野球大会の行進曲になったりしました。一方で、平成になり音楽番組や賞レースが減りはじめ、タレントをどう売り出すか色々考える時になりました。そうしている内にドラマの時代になったんです。清水美沙は朝ドラの『青春家族』(NHK総合)のヒロイン、安達祐実は『家なき子』(日本テレビ系)が大ヒット、そして酒井も『星の金貨』(同)の大ヒットで女優としても認めていただけるようになりました。

■“お笑い”を見出した慧眼「スターはここぞのタイミングを逃さない」

――サンミュージックでは、苦しい時代に、必ず“次の担い手”が現れているように思います。そして次はバラエティ、お笑いの時代ですね。

【福田時雄】最初はゲッツのダンディ坂野だけだったけどね。

――今もダンディさんはCMなどにもたくさん出演されていますね。

【福田時雄】あれで10年以上続けているから凄いね(笑)。今の社長の相澤正久は、アメリカに留学していて、1970年代にはすでにコメディアンが芸能界の中心にいるのを見ていた。だから、日本でもお笑いタレントを育てようということになったんです。その後カンニング竹山、小島よしお、スギちゃん他多くの人気者が出ました。そして、私は新人開発部門で色々なタレントを発掘しようと。そこからベッキー、塚本高史、小野真弓などが出てきました。

――ベッキーさんといえばバラエティというイメージです。

【福田時雄】ベッキーはバラエティが好きでね。頭の回転が速いし本当に勉強しています。

――お話を聞いていると、スターになるタレントさんは、頭が良くて、負けず嫌いというのが共通している気がします。

【福田時雄】今はコメント力など頭の回転が重要ですね。カズレーザーも物知りで大したもんです。竹山はああ見えて努力家で、新聞を読んだり勉強してますよ。あと大事なのは、男でも女でも華があることですね。桜田淳子の秋田予選の映像はすごいですよ。彼女にだけ光が当たっているように見えます。森田健作も彼がいるだけで回りが明るくなります。スターは作ろうと思っても作れません。我々は機会を与えることはできるけど、後は本人次第。すごい素材でも、タイミングが悪いとうまくいかないこともある。淳子や聖子のように「ここぞ」ってところをきっちり掴んだ人は、一気に駆け上りますね。

■芸能界に導くということは、相手の“人生を変えること”

――サンミュージックは50周年を迎えました。今の事務所のスタッフさんやタレントさんたちにどんなことを伝えたいですか。

【福田時雄】相澤(秀禎)が築いたスタッフとタレントの関係性です。

――創業者の相澤秀禎さんは業界内でも人格者として有名でした。

【福田時雄】相澤を悪くいう人はいなかったです。サンミュージックの3人目のタレントは、相澤が佐渡から連れきた中森重樹です。でも、彼はなかなか売れなくて、今は芸能界を引退して自動車のエンジニアをしています。彼が相澤が亡くなる直前病院に見舞いにきたんです。2人きりで喋っていたから重樹に「何を喋ってたんだ?」て聞いたら、相澤は彼に「幸せだったか?」と尋ねたそうです。40年前に佐渡から無理やり連れてきたことを、相澤は死ぬ直前になっても気にしていたと。それに対して重樹は「幸せだからここに来たんだ」って言ったそうです。

――才能を見出して芸能界に導くということは、相手の“人生を変える”ことだという認識が頭にあるんですね。

【福田時雄】そうですね。無理やり誰かの運命を変えることだから、僕も有希子のことはずっとひっかかってるし、あのときは本当に辞めようと思いました。でも、有希子のお父さんがお葬式のときに「有希子早く亡くなったけれど、人生の縮図のように生きたから幸せでした」って一言言ってくれて、それでただただ救われました。今思えば、楽しくて同時につらい仕事だったけどね、芸能界の歴史を作っていくような仕事をやってきたから、それはよかったと思います。』

創業者の故・相澤秀禎さんと二人三脚でサンミュージックプロダクションを設立した元専務、福田時雄名誉顧問のお話、人間味有る芸能人と一緒に歩まれた人生論です。


コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

解散30年超のおニャン子クラブ なぜ今もファンを魅了する?

2018年11月18日 14時23分24秒 | 芸能ネタ


エンタメ 解散30年超のおニャン子クラブ なぜ今もファンを魅了する?
"おニャン子クラブファイナルコンサート メンバー1人1人が最後の挨拶" を YouTube で見る


解散30年超のおニャン子クラブ なぜ今もファンを魅了する?

07:00



会員番号40番、生稲晃子の水玉ビキニ

(NEWSポストセブン)

 1985年に誕生し、わずか2年半の活動期間で解散した「おニャン子クラブ」。このアイドルグループは、1985年4月から放送された番組『夕やけニャンニャン』(フジテレビ系)から誕生した。デビューシングル『セーラー服を脱がさないで』のヒットからブレイクし、当時のアイドルシーンを席巻するが、1987年8月の番組終了とともに突如解散する。

 解散から30年以上経つが、解散コンサートが行なわれた9月20日には、毎年有志らの手でイベントが開催されている。今もファンを魅了する理由はどこにあるのか。自身も熱烈なファンだった『モーニング娘。のDNA─おニャン子クラブは2度解散する…』の著者・永田一八氏が分析する。

「少々つまらない言い方かもしれませんが、結局、当時を生きた世代にとっての“青春の象徴”なのだと思います。わずか2年半で解散してしまったことで、“まだまだ”と望む感情が強く、なかなか吹っ切れなかった人が多い。

 平日夕方の番組で、生活に深く入り込んでいたにもかかわらず、自分たちの意に反して急に終わらされてしまった。ファンが、さながらおニャン子クラブの“死”を現実のものとして即座には認識できなかった、あるいは認識したくなかったという要素が、今も執念を生んでいるのだと思います」

※週刊ポスト2018年11月23日号

おニャン子クラブの名前、仮名とカタカナ表記にしたところが、斬新でしたね。

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

女優の江波杏子さんが肺気腫のため死去 76歳

2018年11月02日 17時17分18秒 | 芸能ネタ




14:1


江波杏子さん 【報知新聞社】

(スポーツ報知)

『 映画「女賭博師」シリーズの「昇り竜のお銀」などで知られる女優の江波杏子さんが、先月27日に肺気腫(慢性閉塞性肺疾患)の急性増悪のため亡くなったことが2日、分かった。76歳だった。所属事務所が公式サイトで明かした。また報道各社にFAXで発表した。

 公式サイトによると、江波さんは22日までNHKのラジオドラマの収録をしていたが、26日に体調不良を訴え、都内の病院に緊急入院。回復することなく、27日午後9時6分に息を引き取ったという。この日、近親者のみで密葬が営まれた。公表は密葬後にしてほしい、という故人の遺志により、この日の発表となった。

 所属事務所は「肺気腫は長年患っておりましたが、日常生活には差し障りなく女優業に励んでおりました。11月以降から来年にかけて、いくつかのドラマのオファーにもお引き受けすべく、私共スタッフとミーティングも重ねておりました」と説明。江波さんは最近でも2016年10月〜17年3月に放送されたNHK連続テレビ小説「べっぴんさん」にジャズ喫茶の女主人役で出演するなど活躍を続けていた。

 所属事務所は公式サイトのメッセージを「江波杏子は私たちに別れを告げましたが、数々の映画、ドラマの中に生き続けています。皆様のお心の裡、記憶の中にも生き続けてくださることを祈っております」と結んでいる。』

個性的なスッパリした女優さんでしたね。



コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

急に老けた「顔、激変」落胆の声

2018年10月07日 14時41分33秒 | 芸能ネタ





売れっ子になると芸能人たちはとにかく歯を直していくが、表立って「矯正した」とは言いづらい女優たちの中には、「前の方がよかった…」とファンから残念がられることも。女優の沢尻エリカは、大ブレークしてから八重歯がなくなっている。八重歯を抜くと、『急に老けた』『輪郭が変わった』といった声が上がることが多数あがったと「まいじつ」が報じた。

『顔が激変』!?ブレーク後に歯並びをイジった女優・アイドルたち - まいじつ

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする