教育カウンセラーの独り言

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『エヴァ』主題歌で億万長者に…作詞家女性の失敗と反省

2019年07月17日 12時27分27秒 | 芸能ネタ



2019/07/17 11:00



『エヴァ』主題歌で億万長者に…作詞家女性の失敗と反省

(女性自身)

社会に出たころの貯金はゼロながら、億単位の資産を持つまでに至った女性がいる。そんな“億女”の言葉には、大いに学ぶべきところがある――。

「お金を稼ぐことは好きですが、執着するということはまったくありません。モノにも執着がないし、もっと言えば、自分の命に対しても執着はないんです――」

作詞家の及川眠子さん(59)は、『残酷な天使のテーゼ』をはじめ、エヴァンゲリオン関連の曲を手がけ、6億円以上の印税収入を獲得したヒットメーカー。この四半世紀、年収は3,000万円を切ったことがない。まさにペン1本で“億女”になった人だ。

「『デビュー以来どのくらい稼いだの?』と問われると、『10億円以上は確実にあるけれど、20億円には届かないかもなぁ』と答えてしまうくらい大ざっぱなんです。あ、でも税理士さんには把握してもらっています(笑)」

そんな及川さん、稼ぐ額だけではなく、その使い方も豪快だ。「人生絶不調だった」という'14年には、体調を崩し、預金残高は3万2,000円になっていたという。

「いまも自宅は仕事場を兼ねているので、びっくりされそうな家賃を払っていますし、税金も払って……。入ってきたお金が手元に残ることはほぼないんです」

さかのぼると、撤退してしまったシティバンクにファンド購入を勧められて失敗、「トルコに物件を買うともうかる」とそそのかされ、家も洞窟(!)も買ったが、それも失うことに。

「失敗を繰り返してわかったことは、私には本業以外への投資は向いていないということです(笑)」

そんな及川さんの“億女”になるまでの軌跡をたどると、「音楽の世界で生きていきたい」と、地元和歌山から上京してきたのが24歳のとき。貯金はなく、友人に頼んで安アパートを探してもらったそう。

上京後はリクルート社の営業職など、じつに12回の転職を繰り返すが、その傍らで作詞を続け、1年後に「三菱ミニカ・マスコットソング・コンテスト」で最優秀賞を受賞、作詞家デビューをはたす。

転機となったのは'88年、Winkに提供した『愛が止まらない』が大ヒット、続いて翌年には『淋しい熱帯魚』が日本レコード大賞を受賞する。「作詞家として、ヒット曲を出す、レコ大を取る」という目標を20代にしてかなえた。

そして'95年、大ヒット曲『残酷な天使のテーゼ』を手がける。

「企画書を斜め読みしたうえで、『哲学的に』というオファーがあったので、そのように詞を書いていきました。2時間くらいで完成しました。じつは、『エヴァンゲリオン』の本編はいまだに見たことがなくて……」

成功のいっぽうで、のべ数千曲を書くなか、「これは」と手応えを感じた自信作が日の目を見ないこともあったという。

「職業作詞家ですから。苦手なジャンルも断らず引き受けました」

プライベートでは'05年に旅先のトルコで知り合った18歳年下のトルコ人男性と結婚。そこから「ジェットコースターのような日々」が始まる。結婚生活9年間で元夫に費やしたお金は、洞窟ホテルの開業を目指すなど、3億円という豪快すぎる金額。離婚時も7,000万円の借金を背負ったという。

「誰しも失敗はすると思うんです。そのとき『はい! 失敗です』って素直に失敗を認められたなら、その途端に“失敗”は“経験”に変わる。おもしろい経験をさせてもらったと考えています」

元夫のおかげで学んだことは「人のお金でビジネスをしようとしても、危機感が欠如するので成功しない」ということだという。

「よく『どうやったらお金が手に入りますか?』と質問されますが、あえていうなら、お金は貯め込むと濁るから『人にお金を使う』ということに尽きます。『お金を持ってくるのも、仕事を持ってくるのも人』ということですね」

お金の使い方で後悔はしない。失敗も糧にする“億女”の“哲学”は、示唆に富んでいる。


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 ねこさんと言うお名前が面白いですね。
及川さんのご自分の経験による人生哲学です。
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及川 眠子(おいかわ ねこ、1960年2月10日 - )は、日本作詞家和歌山県和歌山市出身。血液型B型

及川 眠子
生誕 1960年2月10日(59歳)[1]
出身地 日本の旗 日本,和歌山県[1]和歌山市
ジャンル J-POP
アニメソング
活動期間 1985年[2] -
 
 
 
 

来歴・人物

中学生の時に「音楽が好きで、音楽に携る仕事がしたい」との思いから作詞家を志し、「及川眠子」という筆名を思いつく。高校生の頃にシンガーソングライターに憧れたが、ギターのFコードが弾けず作曲を断念[3][4]。タウン誌の編集、コピーライターなど12回の転職を経験後、1985年に車のPRソングの歌詞を募集する「三菱ミニカ・マスコットソング・コンテスト」に応募した作品「パッシング・スルー」(歌:和田加奈子)が応募総数36785通の中から最優秀賞を受賞し、作詞家としてデビュー[2]。「パッシング・スルー」は秋元康が補作詞をしているため[2]、実質的なデビュー作はその8か月後のポピンズのアルバム収録曲「秘密100パーセント」「リップ・スキャンダル」。

フジパシフィック音楽出版(現フジパシフィックミュージック)所属時代には[4]WinkCoCoなど1980年代後半から1990年代前半のアイドルのヒット曲に多くの歌詞を提供した。1989年にはWinkの「淋しい熱帯魚」が「第22回全日本有線放送大賞年間グランプリ」と「第31回日本レコード大賞」を[5]1994年にはやしきたかじんの「東京」が全日本有線放送大賞で「読売テレビ最優秀賞」と「特別賞」を受賞した[6]。また、1995年に発売された高橋洋子の「残酷な天使のテーゼ」(テレビアニメ『新世紀エヴァンゲリオン』オープニングテーマ)は発売15年にして2011年JASRAC賞金賞(著作権分配額1位)を受賞した。この他、CMやミュージカルなどの作詞も手がけている。

あまり売れなかったが好きな自作曲として、池田聡の「僕は君じゃない」、大地真央の「ララバイ」を挙げている。

印税について、「エヴァンゲリオンはすごい。カラオケで歌われると1回につき1円から1.2円が入る。カラオケよりもパチンコの印税が高い」、年収について「パチンコの時は、いきました。この四半世紀くらい年収は3,000万円を切ったことはない」と明かしている一方で、『新世紀エヴァンゲリオン』自体はほとんど見ておらず、終わった仕事なので興味はないと語っている。

 

影響

中山ラビ加川良の影響を受けており、はじめは彼女らのマネから詩作を始めたと述べている[9]

 

評価編集

Winkのプロデューサーをつとめた水橋春夫は、「初めて詞を見たときに感じたけど、あなたの着眼点は人とまったく違っていた」と評価している[10]。エヴァンゲリオンの主題歌を歌った高橋洋子は、どんなに難しい曲でも及川の詞が乗ると途端に歌いやすくなると述べており、彼女の詞を「歌に乗せると生きる詞」だと表現している[1]

 

作詞作品編集

2018年6月時点で、音楽作品での作詞担当は931曲、舞台やCMその他の曲では303曲にも及ぶ[11]




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