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息苦しい世の中で 自由に語り合える空間を

自由でも民主でもない この日本を もっともっとよりよく変えていくことができるように たくさんの知恵を語りましょう。

空虚な結党あいつぐ

2010年04月18日 07時55分36秒 | あれこれと
「大阪府の橋下徹知事が代表を務める地域政党「大阪維新の会」が19日に発足するのを控え、多数派工作が大詰めを迎えている。新党に参加するメンバーは府議会だけでなく大阪、堺の両市議会にも勢力を広げ、橋下旋風が席巻し、新党になびく議員も相次ぐ。「(新党からの)誘いを断ると、選挙で刺客を送り込まれるかもしれない」と悩みを深める議員もおり、議員たちは「黒船が来た」と戦々恐々だ。」(産経)


「たちあがれ」と同様に、威勢の良いネーミングと、知名度頼みとしか考えられない結党の印象。
 危惧するのは、新党の傾向が、どれも「国民の暮らし」に向いていないことだ。
 おそらくは、「第二自民党」の性格からは脱しないものばかり。
 「日米同盟の堅持」「大企業の税制庇護」にメスが入らないかぎり、この間の民主党の体たらくと、いささかの相違のない金縛りの活動に陥ってしまうと思う。

 社民は、公明党の轍を踏みつつある。足腰が弱いだけに、それこそ党自体の消滅にもつながりかねない。早めに、連立から脱するべきだ。

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年齢には関係ないが 消えてもらいたい政党の誕生

2010年04月11日 04時06分27秒 | あれこれと
いきなり詩を引用しての記者会見。

「青春とは人生のある期間ではなく、心の持ち方をいう。青春とは怯懦(きょうだ)を退ける勇気、安易を振り捨てる冒険心を意味する。時には20歳の青年よりも60歳の人に青春があり、年を重ねただけで人は老いない。理想を失う時、初めて老いる。精神がシニシズムの雪に覆われ、悲嘆の氷に閉ざされる時、20歳であろうと人は老いる。頭を高く上げ、希望の波をとらえる限り、80歳であろうと人は青春にしてやむ」

これは私にとってもありがたいお言葉。それはそれでよし。

あとは、まったくいただけない「たちあがれ日本」

「私は、今行われている民主党政権による政治というのは、この国をダメにしてしまうんじゃないか。先の総選挙も戦いましたけども、皆様方はマニフェスト(政権公約)ばかり見ているけれども、政策集、インデックス2009で、これは本当に売国的な法案が羅列をされておりまして・・・」

これは平沼氏。売国的、久しぶりに聞く言葉です。要するに国を売り渡す「非国民」である民主の政策だはいかんといういうのだろう。
えっ、あなたの同志がこれまで、アメリカと内緒で行ってきた「密約」こそ売国的なのでは?

「しかし、今の政治の現状を容認することはできないわけでして、このまま放置しておくと、私たちの国、私たちの社会がどこに行ってしまうか分からない。日本が没落するかもしれないという危機感を持たなければならないと考えております」

与謝野氏も似たような現状認識らしい。

では、彼らはどんなことを約束してくれるのか。

結党趣旨は「打倒民主党」「日本復活」「政界再編」を掲げた。
「国民の生活」が出てこない。また、何をしてくれるのかまだ分からない。

検索を繰り返してようやく「片鱗」を見つける。
「綱領や基本政策では「自主憲法制定を目指す」とし、外国人参政権と選択的夫婦別姓に反対を表明。社会保障財源として消費税を含む税制の抜本改革を掲げ、規制緩和や行革とあわせ3年間で経済と財政を再建するとした。」

要するに、ナショナリズムの強調(日本の利益最優先政策)、憲法九条の敵視、逆累進課税の消費税の導入(見方を変えれば、企業からの税金については甘くしますよ、国民からはがっぽり取りますよ)、規制緩和(小泉流は破綻したはず?)。

日本の行く末が見えてきた。
日本を立ち直すためには、国民の生活は二の次にして、まずは経済を再建させよ。規制緩和により、多少の失業者、非正規社員の増加は我慢しろ。企業あっての日本、法人税は安く、国民は「自助努力」で乗り切れ、消費税も当然だ。日本は再軍備することを明言して、それを後ろ盾にして海外に進出せよ。

「良識ある国民の皆様方に必ずやご支持いただけると確信をしており、また、われわれも真実を国民に訴えながら戦ってまいりたいと考えております」
と、与謝野氏。

良識があれば、支持はしないだろう。真実を訴えたら、支持はしないだろう。

「昔はよかった」程度の旗揚げで国民が支持すると思っているのだろうか。
年齢をどうのこうの言うつもりはないが、未来の日本像は過去に求めず、創造的なものをあみ出してもらいたいものだ。(彼らには無理でしょうが)

国民にとって、なんの御利益のない、この政党の惨敗と消滅を祈る。
(ただ、うちの国民は、石原慎太郎のような、中身は空っぽなのに「勇ましい」「有名」だけでもっている人物に弱いからなあ)
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肌色考

2010年04月05日 21時35分02秒 | あれこれと
明日は入学式。どこの小学校でも、今日は「前日準備」と言って、教室の机や椅子の移動や、旧担任の荷物移動、入学式の準備など、新6年生に登校をお願いして作業する日にあてています。

旧担任の荷物を、どの教室に運ぶかで、新年度のクラスの担任が、おおよそ分かるものなのですが、それに気づくのは毎年、勘の鋭い女子の一部だけのようです。

私も女子から、「あっ、先生は絶対に1年生を持つタイプじゃないよね。でも、今年は卒業させているから、3,4年辺りじゃないの・・・」
「そうそう、そんな気がする。4年生は持ち上がりだから、きっと3年生!」
などと予言されました。

それは、明日までの秘密です。

入学準備で、1年生の教室にお手伝いに行き、学校からの様々な配布物を入れた袋を見て、ちょっとびっくり。
「中に入っているもの」の一覧で、「保健調査書 男子は青色 女子は肌色」と印刷されているのに気がついたからです。

「あ、これ、まずいんじゃないのかな」と言うと、周りの同僚も同感の様子。

「肌色」というのは、日本人にとっての「肌の色」であり、人種が異なると、自ずからそれを意味する色合いが違ってくるからです。
校長先生に話すと、「やっぱりまずいよねえ」という意見。

袋を印刷し直そうか、という話になりつつあるときに、機転をきかした先生の発案で、青、肌の文字の上に、穴あけパンチでくりぬいたシールをはることになりました。
もちろん、シールの色は、「青」「肌色」のものです。

100人を越える新入学生ですから、全部貼り終わるのに、職員総出で30分もかかってしまいました。

教科書を入れる袋が破れてしまった、保健調査票が入ってない、ここには二枚も入っている、のりのふたの色が2種類ある、机の上にある教科書や袋の位置がまちまちだ・・・てんやわんやの大騒ぎの果てに、無事?準備は終わりました。

今度は出会いの入学式。
スポンジのように、たくさんの未知のものを吸い込んで、どんどんたくましく育ってほしいと思いました。


「人種差別に対する問題意識から、人種・個人差・日焼けの度合いによって肌の色は異なるのに特定の色を肌色(フレッシュ)と規定する事はおかしい、としてこの名称を避ける動きがあり、クレヨン・クーピーペンシル・絵具等で従来の肌色を薄橙(うすだいだい)・ペールオレンジ(pale orange)等と言い換える場合がある(アメリカでは、たとえば1962年にCrayola社は肌色に相当するfleshの呼称をpeach「ピーチ」と呼び変えている)。」
                (http://www.dismas.jp/dic/%E8%82%8C%E8%89%B2)
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国営昭和記念公園と沖縄

2010年04月04日 23時44分41秒 | あれこれと
今年の遠足は、西立川にある昭和記念公園です。
180ヘクタールの広い敷地には、31種類、1500本もの桜が植えられているそうです。
ソメイヨシノの満開の一昨日には二万人もの入場がありました。

もともとここは、米軍基地。
私の世代が、「砂川闘争」という言葉を知っている最後かもしれません。
ここに「不法侵入」したとして逮捕され、裁判にかけられた(「砂川事件」)被告に、当時東京地裁の伊達秋雄裁判長が「米軍の駐留は憲法九条に違反する」とした無罪判決を言い渡したのも、だんだんと人々の記憶から薄れていってしまっているかもしれません。
私が五才のときですから、私自身は、あとから書物で知ったものです。
有名(だった?)伊達判決です。

ここにも密談が存在し、判決に驚いた藤山愛一郎外相とマッカーサー駐日大使が密談。高裁を飛び越えて最高裁に上告したこと。最高裁はシナリオ通り、地裁判決を差し戻し、有罪が決まることになります。
これも、アメリカの公文書が2年前公開になってから明るみに出たものです。

伊達裁判長は、判決当日に、辞表をポケットに忍ばせていたというのですから、なみなみならぬ勇気と憂いと恐怖心とをもって臨んだに違いありません。

1977年に、この基地は返還され、今や家族、カップルが憩いの場所として利用している公園になっていることを考えると、沖縄もまたしかり。
基地のなくなった跡地で、沖縄の人が、また観光客が、ゆったりと時間を過ごす公園になっている日も近いのかもしれません。

海外に移設すれば、「万々歳」という気持ちは毛頭ありませんが、少なくとも屈辱にまみれた沖縄の半世紀を思うと、「もういいのでは・・・」という思いになってきます。
基地の返還が第一。どうせ移すのなら、(もちろん冗談ですが)千代田区あたりに移してみてはどうでしょうか。






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最高裁の判決を読み替える時期にきた

2010年03月29日 21時10分48秒 | あれこれと
国家公務員が政党機関紙(この場合、なんでもいい。自由新報でも公明新聞でも赤旗でも救国尊皇新聞でも)を配布したことに対する高裁判決。
「配布行為で国民が行政の中立性に疑問を抱くとは考えがたく、罰則規定の適用は憲法21条に違反する」として、被告に無罪判決。


公務の中で政治的立場を鮮明にする行為は良くないことは当然だが、今回のように、身分を明かさず、しかも休日に、さらに郵便受けに配布することまで、一律処罰することは、やはり無謀なことだと思う。
公務員といえども、政治的な関心や意見は当然持つべきものであるし、勤務を離れたら、一国民として、その考える主義、主張を実現させるべく活動することは、推奨されることはあっても、禁止、抑制されるべきものではない。

古い判決ながら今もって生きている、1974年の「猿払事件」の最高裁判決には、
「公務員の政治的行為の禁止は、合理的で、必要やむを得ない場合に限り憲法上許される」

これをぜひ、こう読み替えて解釈しようと提案したい。

「公務員の表現の自由は、合理的で必要やむを得ない場合を除いて、最大限許されるべき」
と。
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流れるプール 波のプールの発明者はだれだ?

2010年03月29日 02時45分47秒 | あれこれと
同僚のT先生と居酒屋に行って、あれこれとおしゃべりを楽しんだのですが、その中で、

「そういえば、私たちの小さいときには、流れるプールも髪のプールもなかったよなあ。これってすごい発明じゃないのかな。いったい誰が、いつごろ発明したのだろう」

という話になりました。

プールの水が回る、反対側にはね返って波ができる。今はあたりまえに私たちは、子どもと一緒に楽しんでいますが、最初に思いついて始めた人は、この発明の偉大さに気づいていたのでしょうか。

ネットで調べてみても、どこにも(いや、ちょっとだけ検索をしたのですが)ありません。

どなたかご存じの方はいないでしょうか。
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足利事件 無罪

2010年03月28日 03時33分00秒 | あれこれと
肝心なことをブログにアップしていないことが気がかりでした。

「3月26日、宇都宮地方裁判所において足利事件の再審の公判が開かれ、裁判長は菅家さんに無罪を言い渡した。検察は控訴しないとしているので、これで菅家さんの無罪が確定することになった。無罪判決を受けた菅家さんは夕方の無罪報告集会において「本当にありがたい。今度は困っている人を支援していきたい。冤罪を無くしていくには全面的可視化が必要。まずは、車の免許を回復したい(逮捕される前は運転手であった)」と、喜びをかみしめつつも緊張の様子で語っていた。

 無罪報告集会には、狭山事件、袴田事件、布川事件、免田事件、東電OL殺人事件など冤罪事件の当事者や支援者が多数駆けつけ、財田川事件以来、無罪判決を勝ちとってきた方々に代々受け継がれてきたという「無罪」と書かれた歴史的重みのある垂れ幕が披露され、菅家さんの手から布川事件で無罪を訴えている(1967年に茨城県布川で起きた殺人事件。検察官が無実につながる証拠を隠していたことが明らかとなり、まもなく再審開始となる)お二人に「無罪」の垂れ幕が引き継がれた。

 弁護団の弁護士は「どんな小さなことでも可能性を信じて絶対にあきらめてはいけない。悲痛な叫びをあげている方の声に少しでも耳を傾けることが重要。被疑者の方の叫び、藁をもすがる思いをきちんと捉えるのが弁護士ではないかと痛感した」と述べていた。(杜 海樹)」(レイバーネット)

※冤罪で理不尽な人生を歩まざるを得ない人が、1人でもいる限り、やはり死刑制度は廃止しなければならない。
 
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こんな人物に翻弄されたくない

2010年03月16日 22時48分16秒 | あれこれと
どこの職場にも、本人には告げることはしないで、陰で、つまり本人のいないところで、あることないことを言いふらす人はいるようです。

私の経験でも、いくつか渡り歩いた職場には、必ずといってよいほど、一人は、そんな人がいました。(現在も、です)

そして、そんな人ほど、自分のことは客観的に見ることができない、自分を変えようとしない、謝ることができない人なのです。

回り回って、自分に対する「噂」が入ってきて、そのときは憤慨するものなのですが、最近では、「こんなくだらない人物のために、いやな気分になるのは、かえって損だ」と考えることにしています。

と、今日体験したことからたどりついた結論。
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東京大空襲から65年

2010年03月10日 19時53分53秒 | あれこれと
65年は、戦争体験を風化させるには十分な時間だ。
このとき、今年95になる伯母は、代々木上原にいて、深夜の寒い街中に落ちてくる焼夷弾の雨をかいくぐりながら逃げ回ったらしいが、あまりたくさんのことは話してはくれない。
かつて『ガラスのうさぎ』という(おそらく)東京大空襲を扱った作品があったが、これも読後感は「ひどい時代があったものだ」程度のものだったような気がする。
池袋の北口から東口に通じる地下の通路に、白い服を纏った傷痍軍人がたくさん座っていて、ある人はアコーディオンを弾き、またある人は詩吟を唸らせながら物乞いをしていたことを思い出す。まだ小学生の低学年だった私は、恐怖感から、伯母の手をぎゅっと握り、目をつむって彼等の前を通り過ぎたものだった。
父は勤労動員先の軍需工場で、右の親指を切断しているし、日光の伯母の夫は、ゼロ戦のパイロットで、教練中に、翼が海上の波に触れて機体がバラバラになり死亡している。
それでも幼い私は、軍事将棋を楽しみ、戦艦大和に憧れ、戦争ごっこに、なんの疑いもなく興じていた。

戦争はいけないのだ、それくらいの気持ちはあったのだと思う。
しかし、大事なことは、戦争につながることを見抜き、それを避ける、または阻止する力だと、今になって、そういう思いにたどりついた。

戦争は起こってからでは遅いのだ。

日本に外国の軍事基地があること。
君が代や日の丸に絶対的な敬意を強制すること。
一部の国に対して、国民に偏見を植え付けること。

こんな大それたことでなくてもいい。
私たちの周りにある偏見や差別、過剰な反応、群衆心理。
それらは戦争遂行のためには、大きな原動力となるものである。

繰り返すが、戦争につながるものを、絶えず探し出して、取り除く努力することなしに、平和を続けることはできないであろう。
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恐竜はなぜ滅亡したのか

2010年03月09日 06時01分01秒 | あれこれと
恐竜の絶滅の理由に関しては、こどもから大人まで、幅広く興味や関心を持つテーマです。

「恐竜など白亜紀末期の生物大量絶滅は、現在のメキシコ付近への1回の小惑星衝突が原因とする論文を、日本など12カ国の国際チームが5日の米科学誌「サイエンス」に発表した。約6550万年前に地球環境を一変させた破壊的衝突の全容も明らかにした。大量絶滅をめぐっては、複数の地球外天体衝突説、火山噴火説も出されているが、研究チームは「否定された」と結論付けた。」

「チームには、地質学、古生物学、地球物理学、惑星科学など専門家41人が結集。メキシコ・ユカタン半島の巨大クレーター「チチュルブ・クレーター」(直径約180キロ)が形成された時期の世界各地の地層などの最新データを、解析し直した。

 その結果、チチュルブ・クレーター形成と大量絶滅の時期は一致▽他の天体が前後に衝突した痕跡はない▽6550万年前ごろは火山活動が活発ではなかった--と判明。クレーター形成による環境変化は、大量絶滅に十分だったとした。

 チームによると、衝突した天体は直径10~15キロの小惑星、衝突速度は秒速約20キロ、衝突時のエネルギーは広島型原爆の約10億倍、衝突地点付近の地震の規模はマグニチュード11以上、津波は高さ約300メートルと推定された。

 衝突による放出物は世界約350地点で確認された。放出物は大量のちりとなり、太陽光がさえぎられて地球上が寒冷化。5~30度の気温低下が約10年続き、海のプランクトンや植物が死滅、食物連鎖の上位にいた恐竜などが絶滅したと考えられるという。

 この際、海底に生きる一部のプランクトンや、体が小さく食料が少なくてすんだ哺乳(ほにゅう)類は生き延び、後に多様化したとみられる。

 チームに参加した後藤和久・東北大助教(地質学)は「チチュルブへの衝突によって生物の大量絶滅が起きたという説が揺らぐことは、もはやないだろう」と話している。」
                                (毎日新聞)

やっぱりか・・・と思われた人も多かったでしょうが、すっきりとした反面、「これで決まり」とされては、私たちのロマンがここで途切れてしまう残念さもあります。
あれこれと行う、邪馬台国のような素人の謎解きが、また楽しいものなのですが。




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玉石混淆の民主党

2010年03月08日 21時44分18秒 | あれこれと
何度も書きますが、民主党はまだ「寄せ集め」の未完成の政党です。
リベラルな議員から、自民党の体質を引きずったままの、またはそれ以上の議員まで、まるで標本箱のような大所帯です。

それらの「ちぐはぐ」な議員のベクトルの和が、現在の「揺れ動く」民主党の混迷ぶりなのですが、この課題をなんとかしていかないと、行く末は自民党の「派閥」のように、国民の生活よりも、政争による勝利が目的となるような政党となってしまうことは、自明です。

民主党の、「危うい集団」は、かなりの割合で存在し、いつ日の目を見てもおかしくないほど、活発に活動しているようです。

ざっと見渡しても、次のような議員達が、いつかは党の主流となるべく「奮闘」していることを知っておくのも、政局を語る、また予想する上で必要かと思います。

★野田グループ(花斉会) 約30人
野田佳彦(財務副大臣)を中心とする若手議員グループ。松下政経塾出身者が中心で、所属議員のメディア出演も多い。田村謙治、長島昭久、三谷光男ら保守系議員が目立ち、党代表選などで前原グループと協調路線をとることも多い。まだ入閣者はいない。武正公一、近藤洋介ほか

★前原グループ(凌雲会) 約20~45人
旧日本新党、さきがけ系の若手議員を中心に構成される。小沢氏と距離を置く議員もいる。「前原・野田グループ」と一括りに呼ばれることも。外交防衛政策ではタカ派・改憲派が多いが、個別政策によってはリベラルな立場をとる議員もいる。前原誠司(国交相)、仙谷由人(行政刷新担当相)、枝野幸男ほか

★「慰安婦」の強制性を否定する『ワシントン・ポスト』紙(2007年6月14日付全面広告に名前を載せた議員
米国下院で、従軍「慰安婦」問題について日本政府に謝罪を求める決議案が提出されたことに対し、日本軍の強制性を否定する日本側の意見広告が『ワシントン・ポスト』紙に出された。日本の国会議員約40人も名前を連ねていた。
民主党では、松木謙公、吉田泉、石関貴史、松原仁、笠浩史、泉健太、鷲尾英一郎、北神圭朗、神風英男、田村謙治、牧義夫が名を連ねる。

★みんなで靖国神社に参拝する国会議員の会
日本遺族会が中核となって1981年に結成された。春季例大祭(4月21日~23日)、終戦記念日、秋季例大祭(10月17日~20日)に靖国神社に集団で参拝する超党派議連。
鳩山由紀夫、田名部匡代、鹿野道彦、笠浩史、松原仁、田村謙治、奥田建、糸川正晃、羽田孜、吉田治、滝実、原口一博、鈴木克昌、田島一成、伴野豊、中根康浩、樽床伸二、大畠章宏、若泉征三など
※靖国議連の議員はリスト化されていないため、過去10年間に靖国神杜の春季例大祭、終戦記念日、秋季例大祭に参拝、および代理参拝した「靖国議連」メンバーを抽出している。

★日本会議国会議員懇談会
「日本を守る会」「日本を守る国民会議」が統合して1997年に括成された、伝統的保守団体「日本会議」に呼応する超党派の会。元号法制化、憲法改正、首相の靖国参拝推進、国旗掲揚・国歌斉唱の推進、男女共同参画条例への反対などを目指す。
渡部恒三、吉田泉、松原仁、長島昭久、笠浩史、鷲尾英一郎、糸川正晃、田村雄治、牧義夫、中井洽、前原誠司、三谷光男、松野頼久たち。

★新憲法制定議員同盟
会長は中曽根康弘。1955年に結成された「自主憲法期成議員同盟」を原点とする超党派の改憲派同盟。会長代理は中山太郎、顧問は安倍晋三、谷垣禎一。
・顧問…鳩山由紀夫
・副会長…前原誠司
・常任幹事…松原仁

この現象は、これまでの自公政権の内部の力関係と、なんら変わることのないものである。

沖縄の基地問題がここまで混迷し、解決案を先延ばししている背景には、上記の議員たちの動きがあるのでしょう。
断言しますが、五月に「だれもが納得できる案」など、出せるわけがありません。残念ながら、もちろん、これは民主党だから、ではなく。
全てを納得させる案など、どの政党が手がけても無理だからです。

ではどうしたらいいのでしょう。

①日米安保を国益の根幹という考えを最優先するなら、地上案、国内案となるだろう。

②沖縄の声も大事にしたい、日米安保も大切だと考えるなら、グアムやどこか無人島が浮上していくだろう。

そして・・・

もうそろそろ日米の関係を対等にしていってもいいのではないか。敵対とは異なり、対等であり、親善は関係は、もちろんのこと、どの国との関係と同様として。
つまり、沖縄に限らず、日本の各地にある米軍の基地、施設を返還していただくこと。
もう、お引き取り願うという案です。
日本の主権の確立という意味でも、国民が自分の国の「安全保障」について真剣に考える契機となるという意味でも、これは大切なことではないでしょうか。
「基地が生活を支えてきた」とする意見に対しては、産業の振興に、国は大きな援助をしなくてはならないでしょうが。

半世紀も、他国の軍隊が駐留してることは、やはりおかしなこと。
その軍隊が、「民主主義のため」と称して、また別の国に干渉し、空爆し、その背後で、せっせと支援している日本の主体性はどうなのでしょうか。

民主党に話を戻します。
たぶん、この政党は①か②しか、選択肢はないのだろうと思います。

民主党は、もっともっと苦しんで、選択肢を考えるべきです。もっともっと内部での論争を繰り広げて、党としてのスタンスを絞り込んでいくべきです。
その過程で、おそらくは★に書いた議員が、表に出てくる(出ざるを得なくなる)だろう。
議員は総じて、「世論」に弱い。★の議員には、「NO」の世論で対抗し、ひとまず「大風呂敷」の議員のモットーを取り下げさせることです。

そんなバラ色にはならないものか・・・







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民主のコンビと全面凍結 

2010年03月08日 00時49分06秒 | あれこれと
「鳩山由紀夫首相が7日、東京・谷中霊園を訪れ、幸夫人とともに、この日が命日の祖父、鳩山一郎元首相の墓参りをした。首相は墓参後、記者団に「鳩山の名に恥じない仕事をやらせてもらいたい、という思いと、先祖のおかげでこの立場に立たせてもらっているということの感謝の思いを墓前で申し上げた」と語った。」(アサヒ・コム)

苦労知らずのお人好し御曹司と、自民党を抜け出しながらも旧態然とした金権、脅迫手法で権力を保持している鉄仮面のコンビで、本当に国民の生活を、抜本的に変えることができたら、それこそ奇跡とも言えるだろうと思う。

ただ、面白いとばかりは言ってはいられない。

「現在の地球の赤道は高温多湿だが、7億1600万年前には氷で覆われていたという新たな研究が発表された。太古の地球に関する「スノーボールアース(全地球凍結)」説を裏付ける確かな証拠が1つ加わったことになる。」
「ハーバード大学の地球科学者フランシス・マクドナルド氏が率いる研究チームは、カナダで氷河堆積物に挟まれる形で見つかった火山岩を分析した。堆積物が氷河によるものであることは、氷河が融けた後に残る岩屑(がんせつ)や、氷河が動く際に変形した堆積物が存在することで判断できる。
 ウラン・鉛法による超高精度の質量分析を行った結果、この火山岩と氷河堆積物がいずれも全地球凍結時代とされる約7億1650万年前に堆積したものと判定された。この結果は、カナダが赤道付近にあった時代にこの岩石が生成されたという過去の磁気分析と一致した。長い時間をかけて地球の大陸プレートが動いて岩石を北に押しやり、現在のカナダのユーコン準州やノースウエスト準州の位置にまで運んだのである。」
(Christine Dell'Amore for NationalGeographic News)

自国の土地を、他国の軍事基地に提供し、それがベトナムで、中東で、人殺しに利用されているにもかかわらず、「友好関係」「日本の平和を保障するものだ」として、なんら反省することもなく、ここまできてしまったことは、やはり異常なことだ。
右翼だろうが、左翼だろうが、そろそろアメリカの庇護から自立して、日本の平和構築策を考える時期にきているのではないだろうか。

それを避けては、世界に先駆けて、日本が真っ先に、全面凍結してしまうことだろう。


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黒い聖母マリア

2010年03月07日 00時36分55秒 | あれこれと
前回の塚原琢哉氏が、「ポーランドの人々は、黒いマドンナをあがめ奉っている」といったことを話しました。
マリアを崇拝することは、おそらくはキリスト教では邪道だとも思えますし、またなぜ「黒いマリア」なのかと不思議に思い、帰宅してからあちこち調べることにしました。

その「黒マリア」のイコンがあるのは、ヤスナ・グラ僧院です。ヤスナ・グラ僧院は、聖パウロ教会の僧院として、1382年にオポルチク公によって建設されました。有名な「黒マリア」のイコンは1384年に寄贈されたものです。この「黒マリア」は、頬のところに二本の引っかき傷があります。伝説によると、モンゴル軍の兵士が盗もうとしたが、突然鉄のように重くなり、怒って刀で切りつけた傷だといわれています 。(実際には、1430年に僧院に押し入った強盗によって損傷されたものだそうです。)その後1600年初頭よりスウェーデンによるポーランドの侵略が始まり、1655年にはポーランドのほとんど全土が侵略されたのにもかかわらず、ここチェンストホーバーは陥落しませんでした。
そのことからヤスナ・グラ僧院の「黒い聖母」がポーランドの守りとして祀られ現在もポーランドの最大の聖地となっているそうです。

19世紀に、プロシア、ロシア、オーストリアにより分断され、123年にもわたり、ポーランドという国名が世界から消滅していたころも、このイコンの前に、人々が集まり、曾祖父母は祖父母に、祖父母は父母に・・・と、「祖国の復活」の願いを語ってきたことでしょう。ソ連による圧政に喘いでいたころも、きっとそんな光景が見られたことでしょう。

8月15日の聖母マリアの被昇天の祝日は、ポーランド全土から巡礼団が集まる日です。
敗戦記念日である我が国の「記念日」とは違って、数々の諸外国の侵略にも耐え忍んできた国民の誇りを再確認する日なのでしょう。
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塚原琢哉写真展「シレジア」

2010年03月07日 00時17分08秒 | あれこれと
中野坂上にある東京工芸大学の写大ギャラリーで開催されている、塚原琢哉の「シレジア」という写真展に行ってきました。
 副題に「廃墟の重工業地帯」とあるように、ポーランドにある工場、鉱山の廃墟を撮った写真が展示されています。幸運なことに、訪れた時が、本人によるギャラリートークが行われる直前の時間で、2時間にわたって、彼の作品に対する思いをたっぷりと聴くことができました。
 ポーランドは、ソビエト、プロシア、オーストリアに囲まれて、常に干渉、侵略の災難に遭遇してきた国です。この国は19世紀に、この三国による分断により、123年もの間、世界地図から消滅してしまいます。それが1918年に、再び独立を果たすことになるのです。一世代30年として考えると、曾祖父母の時代に失った祖国を、ようやく曾孫の世代で勝ちとったということになるのですから、世代ごとの団結がいかに濃く、強かったか、想像しきれないほどのものだったに違いありません。
 彼の今回展示している写真は、プロシア、ソ連に組み込まれていたころの、工場などの廃墟を写したものですが、セピア色風(彼によると、白黒のネガをスキャンして、デジタル処理したものだといいます。セピア色とは違って、三年間色をあれこれと選択したそうです)に表現された対象物は、さらに歴史の流れ、重さを感じさせるものとなっていたと思われました。
 今年で73歳になろうかという彼のトークは、その年齢を感じさせないくらいみずみずしく、若く、抑圧された人々への深い共感や平和への強い思いが伝わってきました。

写真展に関しては、
http://www.t-kougei.ac.jp/arts/topics/topics649.html
を参照してください。
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この事件はどう考えたらいいのか?

2010年02月22日 00時43分15秒 | あれこれと
「教え子の父親に対し、被差別を中傷する内容の手紙を送りつけたとして、福岡県警久留米署は21日、同県久留米市国分町、市立高校教諭Y容疑者(37)を脅迫、偽計業務妨害容疑で逮捕した。

 発表によると、Y容疑者は昨年9~10月、同校の男子生徒の父親(38)方に、被差別を中傷する文言のほか、「死んでしまえ」「 棺桶 ( かんおけ ) はすぐそこ」「 三途 ( さんず ) の川を渡れ」と書いた手紙6通を郵送して脅迫。父親から相談を受けた同市教委に同9月~今年1月、二十数回の対策会議を開かせるなど業務を妨害した疑い。Y容疑者は「間違いありません」と容疑を認めているという。

 Y容疑者は1995年、英語教諭として勤務先の高校に着任。2年ほど前から生徒指導を担当していた。昨年、男子生徒の指導方法について、父親と電話で話をした際、口論になったという。同署は、この時の口論が原因となり、手紙を送ることを思いついた可能性もあるとみている。

 また、同校には、Y容疑者の同僚教諭を中傷する手紙が4、5通届いており、同署は関連を調べる。同署は20日夜、Y容疑者が勤務している高校と自宅を捜索し、手紙の作成に使ったとみられるパソコンなどを押収した。」(読売 名前はYとして引用)


※単純に白黒をつけて報道される事件とは異なるものかもしれません。もう少し、経緯を知った上でコメントをしたいと思います。
私が大学生のころに、栃木に住む伯母が、「あそこはチョリンボウだから」という言葉を発したのを聞いて、たしなめたことがあります。
チョリンボウは、おそらく「」からきている言葉でしょう。
権力の末端として、栃木では、死刑の執行や、最終的な税の取り立てなど、民衆と敵対する官職に「エタ・」が就いていたことを伺えます。

今回の事件は、同和教育がきちんと行われているであろう福岡県で、しかも差別的な文書を教師が書いたという点で、少し深刻にならざるを得ないものです。
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