「自己肯定感を高める三要素」 (1) (2) (3) (4) (5) (6)
「自己肯定感を高める三要素」・・・その1 「自己肯定感とは」
新指導要領に「主体的・対話的で~」という文言が加えられ、指導要領全体を規定する基本概念とされました。しかしながら現場の先生は、「主体的」という言葉に身近に接しながらも、なかなかそのイメージングが難しいようです。そこで、よりなじみが深いと思われる「自己肯定感が高い状態」(主体的とほぼ同義)ということを考察し、理解を深めていきたいと思います。
自己肯定感は、その言葉どおり自己は「マル」です。つまり「自分は自分のままでいい」「良いところも悪いところもある自分はOK」ということです。つまり多様な自己を受け容れている姿になります。不思議なことですが、自己の全てを受け容れると、人間というものは謙虚に真摯になれるものです。次への一歩を踏み出す力がわいてきます。すると、他者を評価するとき、他者の多様性をも比較的容易に受け容れることができるのですね。受け容れることを困難に感じたときでも、自己の感情と折り合いをつけ、相手を理解しようと務めることで、最終的には「マル」になっていきます。
OKかOKでないかを「マ...ル」「バツ」で表すと、一般的には上図のように4通りに分類されます。自己が「マル」で他者が「バツ」。これは「自己中心的」であると言えます。自分が良ければいい、という姿です。すると、わいてくるのは自己の「マル」というものは「本当のマル」なのか? という疑問です。「いじめをする人は自己肯定感が高い(???)」というような考えを持つ方がおられるのですが、実はそのとらえ方はいじめの本質に迫ることができない表面的な見方になります。いじめの根本は投影や反動形成と言われる人間の防衛本能(心理学で言う防衛規制)です。自分が認めることが出来ない自己を他者に見いだし、攻撃する・・という行為です。つまり、自己の「マル」は限りなく「バツ」なのです。ただ、表面上は「マル」を装っているだけなのですね。
また、自己が「バツ」他者が「マル」という場合は、自己犠牲の一種になります。自己が「マル」であれば、主体的自己犠牲といえるものなのですが、自己が「バツ」である場合の自己犠牲は、同じような行動を他者に押しつけたりします。たとえば、職場依存になっている方が、他者に対して表面上は感謝を表していても、こころの奥底では「死ぬまで働け!」と思っているような状態です。
自己が「バツ」他者が「バツ」の場合は、きわめて厳しい状態であると言えます。人間は何かしらの「マル」を装い自己防衛しようとするものですが、それすらもできない危険な状態です。すぐにでも支援が必要な状態にあるはずです。
以上のことから、自己肯定感の対極には自己否定があり、自己において自己肯定感を「マル」とすれば、対極には自己を否定する「バツ」しかないということになるのです。「バツ」から「マル」に成長していくためには、「バツ」から「マル」に至る矢印上に自分自身の位置をピン留めし、自分自身の状態を受け容れることから始まるのです。自己を受け容れ、認めることで成長への扉が開かれます。
(次回からは数回にわたり、自己肯定感を自ら高めるための手法を展開していきたいと思っています。)
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