上記ブログにて、 私は、現、寿海寺講頭さんとの、ある密談、というか、盟約、密約というか、男と男の約束、この場で言う事は、この場合、「有言実行」への端緒と成るものだ。それを、自身、憚りながら、申す。
それは、ある日蓮正宗の教区で、私と同じ病に苦しむ同志がいる。彼は立派に、正社員として立派な仕事に励み、そして、私よりも、病状が重いとも言う。
けれども、彼は、比較的簡単な仕事を任されて、今では、立派にその教区のお寺の信徒としても、お寺、仕事、両者、重要な地位を任せられていて、お寺と仕事との、立派な両立も果たす。そのお寺に行くと、いつも大抵は、夜の会合に居て、結構、誰もが知る、知る人ぞ知る、有名人だと言う。
それ、そんな話を講頭さんから伺い、そんな世界があるんだと、ただ単純に、私も息を呑み、素晴らしい、私もそうありたい、私もそうなりたい、そうであって欲しいひたすらに願う、とその場で、敢えて申し上げた。ただ単純に、私はその世界観に、ひたすら感動を覚えた。
その時、講頭さんに、こんな自分でも、果たして、そんな芸当、こういう風な具合に、上手く、人生が行くものなのか?と聞いた。
すると、やる気があるならば、大丈夫。ただ、やる気次第。○○君(私)にその決意・覚悟・やる気・根気・熱意・熱情・ひたむきさがあるのか?と単純に講頭さんは、私に尋ねて訊いて来た。
それに対して、私は、立派に、今の現状、福祉にお世話になりっ放しの現状を嘆きつつも、その悲惨な現状から早く脱するべく、自分も、いつかは、家族を持ちたい。との、自身の烈々たる気負い、気概、初めて他の人に、自身の野望・野心、この場合、願望を、講頭さんへと強く訴えた。
できれば、私は、子孫が欲しい。子供も孫もいる境涯。そんな、自分が、おじいちゃんになって、後世を仰ぎ、人生の半生を振り返った時に、自分がよーくやった、と、自身を褒めてあげられる程の人生を送りたい。私の信仰、日蓮正宗を受け継ぐ家族が出来得る程の、後継ぎが欲しい。法統相続がしたい、と、涙ながらに講頭さんにこの時ばかりは強く訴え、直訴し、めそめそするのをこの後、すっぱりと辞めた。涙が、希望へと変わる瞬間だった。
それを聞き届けた講頭さんは、今までいたこのお寺の障碍者の中で、そういう風な、自ら、自分から代わりたい、私(筆者、wainai123753)のように、変貌を遂げたいという話を伺えたのは、稀有で、珍しい、今日、この日、或る教区のそのお寺の御方のお話をしたのは、○○君にも、本当に良かった、と気分よく仰られた。
私の方こそ、こんな、立派な御方のお話を聞けて、それは以前の、私と講頭さんとの、私が去年入院中の携帯メールにても、その、障碍者さんのお話があることは伺ってはいたが、それがこの時、去年の私の九月の入院以来、願うべき、初めて実現したものであった。
改めて、この場を借りて、講頭さんには、有難う御座います、と申し上げます。感謝、です。涙は、男らしく、封印いたします。男と男の、約束ですから。
以上。よしなに。wainai
お寺にて、事前にコンビニで買ったおにぎり三個を、終わった後、お寺の、あずま屋というか、休憩所で、一人きりで食べました。とても充実した、五時間の唱題行でした。
この後、明日は、同じ日蓮正宗無量山寿海寺に於いて、「勉強会」があります。
これにも、参戦、参加したく、思います。この、日々の積み重ねが、自身の信心の成長、折伏への未来を指し示す、道しるべ、かじ取りとなって、世界の大海原に漕ぎ出してゆけるんだ、と思って居ります。
Kさん、いつも、応援、有難う御座います。
以上。よしなに。wainai