以前、私が創価学会員だった頃、創価の幹部たち、本部の、どこだか、聖教新聞だか、ネットの情報だかで得た話は、戸田城聖創価学会第二代会長は、それはそれは、怖ろしい方であり、池田先生が、その、戸田先生が、瞬間湯沸かし器の如くに、怒れる方であり、後の池田会長が、その防波堤となり、私達、まわりの幹部の学会員を守って下さっていた。というのは、けれども、それはポーズであった。池田センセーは、誰よりも、戸田先生の薫陶を受け、事実上の、相思相愛の師弟関係にあった、というのも、デマ、であり、私などは、創価自体から吹き込まれていた。
そもそも、それは、池田自身の素行の悪さを、戸田先生は指摘し、その悪辣な、権威にも平伏(ひれふ)さない、池田の傲慢さを、戸田先生は、第一番に、御注意なさっていたのだ。
それを、池田がまるで、私達、一般学会員や、幹部を守って下さった、などの、尾ひれがつき、池田賛美には、格好の話題作りなのだろうが、いっつも思うのは、創価学会では、必ずと言っていい程、事実を捻じ曲げる根性、根っこがあると思う。
それだけの、池田の当時の素行の悪さは、戸田先生の目にも余る程のものだったのだ。創価学会の正史では、池田と戸田先生の師弟関係がクローズアップされ、それをその関係を、元の私達会員や、一般学会員にまでも、大風呂敷を敷き、敷衍して、真似をさせよう、という、訳が判らないこの感覚。
池田は、自画自賛して、戸田先生の直弟子、愛弟子を自称し、皆に吹聴するが、実体、実際は、本当の戸田先生の後継者の目途(もくと)は、後の公明党委員長になる石田幸四郎氏の兄弟の、石田次男氏にこそあったと言う。しかしけれども、石田次男氏は、学究肌であり、教学では誰よりも抜きんでていた。しかし、戸田先生程の、カリスマ性、指導力、人望が無かった。そこを、戸田先生死去後、池田大作氏に、皆、いいように持って行かれた格好、形となってしまった。
池田大作名義の小説・人間革命で描かれる、戸田先生と、池田大作こと、山本伸一青年の、あの、師弟愛、師弟関係は、まるっきりの、大ウソ、信じる方がバカを見る程の、信用が全くできない、出来損ないの小説だったのだ。
私は、全十二巻を全部読み、今度は、新人間革命にまで、第六巻くらいまで読み耽ったが、文体が、旧人間革命と、新人間革命では、まるっきり、全然違う。これは読みづらいなあ、とは思うが、洗脳の為せる業、池田先生の書いた、ものした書物だからと、しばらくは読み耽っていた。
けれども、その内、その、「新人間革命」からは、私は自然と遠ざかった。何か、嘘くさいのである。自然と、噓だと判るのである。
この、執筆者が、前回の、旧人間革命と、新人間革命では、書き手が変わったな、との、現実を、突き付けられる思いがして、何故か、それ以上、読み進める事が出来なくなった。
その後の、急転直下の、私の、今から、六年前の、日蓮正宗帰依、帰伏であった。
私は、創価のタチの悪い、何でもウソで塗り固める、信じる者達だけの「お花畑」の世界観には、もう、ついてはいけなかった。ウソはもう、止めて欲しかった。
今は、日蓮正宗の信仰、信心に励み、学会のウソを、手に取るように、第三者の目をも持って、正宗側の言い分を聞くと、成程、学会はウソつきだ、まあ、ボタンの掛け違いも多少あったが、悪いのは全て、学会じゃないか、との念慮を深くした。
余りに意図的なのである、創価学会は。この嘘つき体質は、この団体が、解散し、粉々に組織がぶっ壊れて、この地上から無くなる日が来るまで、その悲劇、惨劇が、これからも続いてゆくのだろう、と思うと、身震いというか、空恐ろしさ、この世の地獄を見たような、その一般会員の、池田をトップ、頂点として、幹部に至るまで、それから、それら、末端会員達の、末路、後生は、どうなるのだろうか、との、疑問点、不審点、とにかく、胸騒ぎがしてならない。
話しが冒頭に戻るが、戸田先生は、創価内で言われた程の、コワい方ではないよ。本当に優しく、慈悲深い御方であったよ。
それを、池田大作の目、姿勢、姿かたちから見詰めるから、こうした、誤解が浮かび上がって来るんだよ。
池田の、個人的な、戸田先生への、本当は隠しておきたかった、うらみつらみも、勿論あるのだろうけれどもねえ。
ともかく、日蓮正宗御宗門を裏切った時点で、創価の賞味期限は、ついえた。今までの善行、功徳は、全て、消し去った。それ以降の、創価のやりたい放題は目に余る。とうとう、「新興宗教・創価学会」の旗揚げ、「池田教」の確立、宣揚が、ここにきて、現実となり、今はその、エンジンのぶっ壊れたか無くなったかの、飛行機か自動車が、墜落か交通事故か、暴走飛行途中途上の、その後の落ち着き所はどこなのか?悪辣な教えを振りまく、害悪宗教、現時に於ける、大それた、最もやってはいけない、日蓮正宗御宗門に盾突く悪徳謗法団体、謗法の中の大謗法が、池田創価学会なのである。
そういった、悪行、悪徳な行いが、最期、どういった結末、末路を辿るか、日蓮正宗に矢を向ける等、これは、この世の掟、最大限の、最もやってはいけない事共を、実際に実行に常に今現在移している創価学会の、その後の発展などは勿論望めずに、ただひたすらに、没落の一途をたどるのは、火を見るよりも明らかである事に、今現在も学会員である人々は、心して、聞きなさい。
「ただ、後生を畏れよ!」
以上。よしなに。wainai