Kaettekita 私が思う あのこと このことReturn(Get Back Part2)

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皆様、明けまして、おめでとうございます!日蓮正宗無量山寿海寺の元朝参りに行く!昨日の紅白について。特に演歌界の事情について。私の熱い持論『演歌論』を新年に当たり大いに語り尽くす。年頭所感。

2023年01月01日 08時13分07秒 | 人生訓・人生論・人の生き様・年末年始賀正・正月祝・祝誕生日・記念日・祝祭日旗日
 皆様、明けましておめでとうございます。新年の御祝詞を祝い、寿ぎ、私からの、ご祝意とさせて頂きます。

 さて、今年、2023年令和五年1月1日もようやく明け、昨日から今日にかけての、午前零時からの、日蓮正宗無量山寿海寺(福島県郡山市土瓜)の元朝参りに、参詣いたして来ました。私にとり、生まれて初めての、もう、この信心をして、六年になるというのに、全くの生の私でありました。

 この式には、皆様と、朝の五座の勤行を、御住職様と共に、本日元旦の午前零時を期して、行われました。入り口の提灯にも火が灯され、よーく見てみると、昔ながらのロウソクの火影が見えて、光が揺れていました。

 何もかもが、格式の有る、立派な式でした。元朝参りに行けて、とても良かった、と胸を撫で下ろして居ります。

 来た人たちも一杯であり、この日が、かなりの数の人数の方々が、お寺本堂に押し掛けました。途中、換気等が行われました。

 これら、元朝参りの式には、びっくらこいた、その人数、一斉に、御住職様と共に、五座の初座では、東方、東に向かって、読経、題目三唱をする。これらが、整然と、何の不思議も、一切皆、乱れる事無く、粛々と、極々当たり前に慣れた手付きで実行し、行われてゆく。その事実に、感服致し、本当に来てよかったな、と思いました。気分が極めて、晴れ晴れとして、清々として、清らかに、新年らしく、誰よりも先んじて素晴らしい一年の始まりを迎える事が出来ました。

 それから、昨日の紅白歌合戦についてですが、極めて、目印というか、星、というか、ビッグな人が、例年から、私は、演歌が少なくなった、と不満を漏らすタチなんですが、今年は更にそれらが進んだな、との思いを深くしました。

 何で、五木ひろしさんがいないの?森進一さんは?北島三郎さんは以前から紅白共々、辞退、引退為されているにしても、まだ、山川豊はいるし、鳥羽一郎、この二人は元々兄弟ですが、この二人を、兄弟出演させて、何で見せてくれないの?

 大月みやこ、都はるみさん達はどこへいったのだろう?加藤登紀子も、シャンソン、フランス系の歌を歌ったり、フォークソングを歌う貴重な歌い手だから、出してあげても良かったのでは?島津亜矢だっていたではないか?演歌五人娘・女の、伍代夏子、藤あや子、長山洋子、坂本冬美、香西かおり。その後をゆく、やたらに可愛いらしく美しい清楚とした美女、石原詢子。

 フォークの、森山良子だってよい。何なら、これは驚き桃の木山椒の木、だが、何とか出演交渉を、三顧の礼で重ねて、あのビッグなフォーク歌手、しゃべりが過ぎるのも魅力の「松山千春」さん、ちーさま、を、是非、年末の紅白での、初出場を、私などは、夢見ているんです。

 私は、演歌の大御所が今、舞台を去ってゆくならば、代わりに、どんどん、新人さん、若手演歌歌手、皆が知っていようがいまいが、どんどん発掘をして、この、紅白を登竜門にして、出してあげてもいいんじゃないかと思って居る。

 たとえば、もう、古株に近く、かなりのキャリアを持つが、北山たけし、とか。私が生まれた、神奈川県足柄上郡開成町からも程近く、確か隣町の、神奈川県足柄上郡松田町の出身の、北川大介、とか。たしか福島県にもゆかりのある、和田清児。女性演歌歌手では、私が今、注目しているのは、色気もあり、可愛らしい感じの、私のお気に入りになった、新進女流歌手・藤井香愛。他、もっと沢山居ると思うんだ。

 昨日見てたら、氷川きよしさんは、休業されるとかで、最後の歌となり残念だったが、後を占めたのは、例年と同じ、申し訳程度の、ケン玉兄ちゃんの三山ひろし、水森かおり、山内惠介等々が一人(三人)、気を吐いたに過ぎない。

 この若手の方々が居なければ、頑張らなかったならば、この、去年の終わったばかりの紅白は、非常に虚しい、見どころの無い、極めて視聴者をバカにしていて、全ては灰燼に帰したと言っても良い。

 中でも、山内惠介君の立ち居振る舞い、その歌唱力は、素晴らしく良かった。山内惠介君、彼は、いつ見ても爽やかで、こちらが彼から送られる一陣の風を受け止めるふうの、常にきりッとした、若さ、清さ、男性の魅力が溢れて居て、それはまるで、若武者のようであり、カッコよく、私は男性だが、彼の歌『さらせ冬の嵐』は、素晴らしい感動性に満ちていて、何度もリピートで聞いている。『さらせ…』では、iTunesのアップル社で買い求めて以来の、私は彼本人も、彼の曲をそのものも、かなりの大ファンである。彼がテレビに出演する時には、非常に注目をして、集中力を持って、私は注意を払い、期待感を持って、彼の一挙手一投足を、じっと見詰める。

 演歌では、例年マンネリ化が進むが、ズバリ、その、予定調和が、そのマンネリ性が、日常と非日常が交錯した日々の人々の哀歓が、実は演歌の魅力なのだ。時代劇ならば、勧善懲悪、演歌ならば、不倫もあるだろうし、明日を問いかけ、明日に希望を持つ歌、希望が持てる歌、命を賭けた歌、女性男性の未練の歌、明るい歌少し暗めの歌、男女の、情念の歌。恨みの歌。

 その中で、マンネリだけれども、いいな、と思ったのは、例年も出ているが、大御所の、「石川さゆり」さんが、今も御健在で出ていらっしゃる。これには、昭和世代の私、小生などは、大変に励まされる。

 それを、昨日のように、テレビの画面いっぱいに、「天城越え」などやられた日には、盆と正月が一遍に来たかのような、本当にもう何時間後には正月は来るんだが、昭和の中期終わり近く、四十年代後半に私はこの世に生を受けたが、やはり、あの、石川さゆりさんの歌声、美声、その端麗な着物姿の容姿は、見事、昭和の時代から抜け出て来た、昭和の生き証人、昭和のさすらい人、昭和昭和…と、全てが、昭和びいきの私には、安心感の、定番感が約束、担保された、今年も良い物を見た、という、気持ち、気概にさせてくれた、唯一の人だった。

 NHKも、火曜日の夜八時位から始まる、以前の番組名は「歌謡コンサート」。今は「うたコン」として、その放送では、沢山の演歌歌手が御出演為されて居る。これらを登竜門として、その歌唱力、その歌の持つ素晴らしさを後世に残し、語り継いでゆく為に、力を貸してくれないだろうか。

 詰まりは、NHKが、国民的放送局として、日本の演歌界、演歌歌手の育成に乗り出す、一大プロジェクトに参画し、大いに派手にその普及の一端、一助となって頂きたいと切望する。

 今の演歌界は、大御所たちの引退、スター的存在だった氷川きよしさんの休業宣言など、かなりのダメージ、疲弊を見せている。

 ここで、大組織の、国民からお金を徴収しているNHKが、一切の辛苦労苦を投げ打って、演歌界の刷新に力を貸し、リードしてゆく。何と勇ましく、立派な事、事業だろう。

 これは、将来、未来への、大事な投資である。日本の音楽産業の一大興隆にとっても。

 この全国に張り巡らされた組織力、その資金力を、眠らせておくばかりが能ではあるまい。NHKには、しっかりとして、ちゃーんと自分の仕事を、去年の紅白を奇貨として、自身を、あんな、去年程度じゃあ、ダメだ、との、自己改革、自己変革、自己反省に満ちた、今年からのスタートを切って欲しい。

 国民を舐めたら、幾ら天下のNHKだっても、そこから下だり、堕ちてゆくのは、時間的に見たら、あっという間の短さ、激しいものがありますよ、と言いつつ、これは脅しでも何でもなく、これを機会に、NHKには御刷新・御一新・御精進を願いたい。

 まだ、去年の紅白の視聴率は新年の報道には上がってはいないみたいだが、視聴率以上に、国民皆が見たいコンテンツ、分野が、古そうなものに意外と、その真価が発揮され得る、新しさがあるのではないのか。

 「温故知新」と、儒教の孔子様も仰っているではないか。デザイン、ファッションの分野でも、流行の周期が、数十年・十年・数年単位で、巡り巡って、再度、人々に認識・認知されて、今まで古いと思われていたファッションが、今ではまた、新しいものと、改めてその価値が見直され、人々の間で価値の再発見が果たされている。それが世間の流行の本質である。

 ならば、音楽の世界でも、それが可能なのではないのか?今は古いと思われて来た、「演歌」が、最新のヒット曲と何ら、そん色のない音楽として人々に認識され得る日々が来る、との、私のこれは、「予言」に近いものだが、これが、「誤認」「過誤」に過ぎなければいいのにな、と、今は思いを致して居る。

 人が音楽を聴いている。それがたまたま流行り出し、一般大衆に受け入れられ、ウケ出し、急速にか時間を掛けてか次第に広まってゆき、皆がそれに感動し、熱心にそればかり聴き、大衆が熱狂状態となる。これを、一大「流行」「ブーム」と呼ぶ。ブームはブームを産み出し、更に、その賛同者を得ていき、ますます、それらは抑えがたい、大流行を生む。

 こんな昭和の頃の様な、歌に明け暮れた、一年間、そんな作法、振る舞いを、我々日本人は、この、平成から令和にかけての御代に於いて、何度繰り返して来たのか?皆無かも知れない。

 氷川きよし君の、あの数十年前の華々しいデビュー当時も、演歌界のプリンスとして、主婦や子供たちにまで、「演歌」のすそ野を伸ばした瞬間があった。その経験からすれば、「演歌」が、日本国民の耳目を集める、常に関心事の対象から、これからも除外、外され続ける事が永遠に続くかについては、私は疑義の目を向けざるを得ない。

 それらは、優れた、昭和の頃の作詞作曲陣にも負けない、つまりは、あの頃の、作詞家・阿久悠などや、作詞家・たかたかし、作詞家・荒木とよひさ、作曲家・古賀政男、福島が生んだ作曲家・古関裕而、作曲家・三木たかし、等々。それらに負けないアーティスト、作詞作曲家が、是非とも、この日本の、令和の御代に出でて欲しいのだ。これは、私のみの願望ではあるまい。

 一番いいのは、異種業参入、昭和平成で言えば、ロック・ニューミュージック界の大御所だった、作曲家「大瀧詠一」氏が、演歌界に進出。森進一の「冬のリビエラ」、小林旭の「熱き心に」等々のキャッチ―でシリアスでメロディアスな曲群が挙げられ、こういった、演歌界への大貢献をされた作曲家が、昭和最初、初めての日本のロックバンド「はっぴいえんど」のメンバーだった大瀧詠一氏のような方が、大胆に沢山輩出され、出て来てくれないと、非常に困る。

 日本の、全作詞作曲者の、総力を挙げて改革を断行してゆく。演歌歌手の皆さんの歌唱力に裏打ちされた、演歌界を盛り上げてゆく、一大構想力が、今の時代、現代、現時点では、非常に大切、必要である。これの、市場規模は、世界海外に拡大しつつ、日本の外貨を稼げる程の、日本発の、一大産業にも充分なり得る、との公算は非常に高く大きいとの見積もりを算段し、考える。

 これらを書き付けて、今年の年頭の所感、想いを書き綴った。皆様、改めて、今年もよろしくお願い致します。今年こそは、皆で、良い年と致しましょう。今年は、全力を挙げて、私も微細ながら、日蓮正宗で説く所の、「仏国土建設」「広宣流布」「折伏教化(自行化他に亘る)」「勤行唱題の日々実践」を、今年も、今年こそ、ひたすらに打ち続け、毎日毎時、寸暇を惜しんで、寝るのも惜しむ位に、いつだってずーっと継続して、実践し抜いて参る所存で御座います。そこの所、宜しくお願い致します。

 御本尊様に、非常に、しきりに、深々と、堂々と、甚深なりとの、大感謝です。

 今年は、私は雄々しく、悠々・悠然と、確実・着実に地歩を固めて、じっくりと歩き続けてゆきます。

 今年には、私は、自身の日頃の願掛けが叶うよう、なづき(頭・髄・脳髄)を砕き突き破らんばかりに祈りに祈り続け、今年こそ、今年も引き続き、勤行唱題を心掛け、命を賭けた自行化他行、折伏行、破権門理の理を突き詰めてゆき、この為に死身弘法、不自惜身命で取り組んでゆきます。
 これからも、日蓮正宗を死ぬ気になって弘め、大聖人様の真実の御金言を、人の世に、伝え、弘宣、弘法してゆきます。

 これは、ここでの、私の有言実行への予兆予言とせんべく、喜んで今年も来年も死ぬまでも、永久に、一生仏道修行だと、念じ思い考え、「一年の計は元旦にあり」の言葉を嚙み締め、「心にうつりゆく由無し事」(徒然草・序)を考えつつ、今日一日を日がな、過ごして居ります。

 以上。よしなに。wainai


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