先日、近所の家に折伏に行ってきました。
うちの母の元仕事仲間の高齢女性で、母より幾らか若い方ですが、創価学会を信仰されています。
「日蓮正宗はいいですよー」とこちらが言うと、初めは「わかるー」と言っていたのですが、「戦時中、宗門は神様拝んだでしょ」「日顕(上人)は建物壊したでしょ」と、お決まりの創価のデマが連発。私はしかし、防戦一方で、「事実は違うんです」「理由があるんです」との言葉を発するのみで、理由を言えなかった。
私が今、一人で暮らし、家の事を何でも自分なりにやり繰りしている事を言うと「偉いねー」との言葉。
この日の事を菩提寺である寿海寺の先輩に相談すると、「その場で一つ一つ反論、破折して、一言でいいから言った方が良い」とのアドバイスを頂いた。
「事実と違います。宗門は形式的に神札を物置に置いておけといって信徒の余計な軋轢を避けたし、拝みはしなかった」
「正本堂は安普請で、二十年経った時点で錆びだらけ、大地震の耐震上も問題があるので、建て替えた。今は奉安堂が同じ地に建っている」
「偉いのは大御本尊様の功徳のお陰です」
このお母さんも、悪い人ではないのだが、以前、二十年位前の創価の私の地区の座談会で、この女性は、泣きながら体験発表をして、「池田センセー」と訴えた位だから、余程の強信者と見える。中々手ごわい。
この日は私一人で乗り込んだが、日蓮正宗のパンフレットは受け取ってもらえた。
又、「懲りず候」で、今度はお寺の応援を頼み、是非とも行きたいと思いました。